地図↑を見ると、「高宮廃寺」のすぐ近くに「天ヶ滝」という滝がある。見えるところまで行こうとしたが、崖が崩れていて行けなかった。しかし、この近くには他に幾つもの滝が、細かい沢すじに落ちていて、沢登りの達人たちが YAMAP に記録を寄せている。
山林修行の場に滝は付きものらしい。この間、奈良時代以前の山岳寺院の跡を幾つか訪ねたが、どこでも、すぐ近くに滝を見ることができた。寺院の遺構は廃寺となれば土に埋もれてしまうが、滝のような自然地形は 1500年くらいではほとんど変わらない。
分岐点まで戻って、「石寺址道」を昇る。
崩れた石垣のようなものが現れた↓。「石寺」址の一部らしい。
「石寺」址には、「第20経塚」↓が立っている。大きな自然石を運んで立てたようだ。
↑「常不軽菩薩品(ほん)第二十」は、『法華経』の章の名前。第20章ということ。
「経塚」とは、経文を筒に納めて埋めた塚のこと。この経塚は、「葛城二十八宿」という28か所の経塚の一つ。『法華経』全28章各章の経塚が、和泉山脈の西の端から、このあたりで逆L字に折れ曲がって、二上山と生駒山のあいだを大和川が抜ける「亀の背」までつづく。各塚に1章ずつ埋めてあるのか、『法華経』全体のコピーをそれぞれ埋めてあるのか、わからないが、なにしろ埋めたのは役小角だと云うから、掘り返してみる人もいないのだろう。
「石寺」は、第20経塚に設けられた修験道の霊場(修行場)で、これじたい古い。鎌倉ないし平安時代までは遡るだろう。
このあと、金剛山頂で「第21経塚」に出会うことになる。
↓植林はヒノキに変わり、石ころだらけの路が続く。下生えは相変わらず、陰地を好むアオキだが、コナラ、シラカシ、カヤなど自然樹も混じってきた。
↓「欽明水」。修験者が喉をうるおした泉だが、いまは渇水して、しみ出るていどの水しか出ていない。稜線でキャンプ場やらケーブルカーやら開発しつくした余波だろう。
稜線に上がると、雪が残っている。下生えはクマザサに変わった。「伏見道」登山路との合流点。
「伏見峠」↓からはダイトレ(ダイヤモンドトレール)を行く。GPS標高 981メートル。いままでと比べると、山上の都会かと思うような大通りだ。
1040メートル圏に「展望台」がある。樹が成長して少しじゃまだが、大峰山脈が、奥がけ道のほうまでよく見える。
大峰山。↓左から、山上ヶ岳、大普賢岳、稲村ヶ岳。
「奥がけ道」に入ると、↓ボリュームのある山塊が 1900メートル級の弥山,八経ヶ岳、その右に、1800メートル前後の仏生ヶ岳、釈迦ヶ岳。
これから昇る山↓。左が葛木岳、右が湧出岳。標高は、葛木岳のほうが 10メートルほど高い。
湧出岳に向かう。
「湧出岳」の頂上は、こんな場所↓。ともかく標高 1112メートル。
頂上に三角点。見上げればマイクロウェーブ。足もとを見れば「第21経塚」。
↓「葛木岳」に向おうとするが、雪が固まっていて速く歩けない。「葛木岳」の最高点は「葛木神社」の奥。どうせ神域の中で立ち入れないと諦めて、「転法輪寺」へ向かう。
↓「大和葛城山」が木の間越しに見える。あっちのほうが低いw。
↓「転法輪寺」も雪の中。
↓「国見城跡」が展望広場になっている。大阪方面がよく見える(らしい)。「あそこが何だ!」「ここが何とかだ!」と、みんな感動して叫んでいるが、私には何のことやらわからない。
大阪の人は、自分らだけで分かり合って完結しているところがある。そういう集団に入りこむと、ふつうは孤独を感じるはずなのに、大阪ではかえってこっちまでワクワクしてしまう。ふしぎな世界だ。それが心地よくて、大阪には何度も来てしまう。
京都の友達と大阪に来たことがあるが、なぜか、ぼくのほうが道をよく知っていた。
「千早本道」を下る。途中で撮したのは、これ1枚だけ。このヤドリギに見覚えがあった。
踏査記録⇒:YAMAP
タイムレコード 20230228 [無印は気圧高度]
(1)から - 「高宮廃寺」址[548mGPS]1256 - 1258分岐※[545mGPS] - 1322「石寺」址[718mGPS]1331 - 1347「欽明水」[807mGPS]1351 - 1414「伏見道」合流点[972mGPS]1416 - 1418伏見峠[981mGPS]1422 - 1433展望台[1043mGPS]1455 - 1511「湧出岳」頂上[1109mGPS]1524 - 1557国見城跡[1076m]1603 - 1653「千早城址」分岐[636mGPS]1658 - 1700車道出会い[526mGPS]1708 - 1718「金剛登山口」バス停[510mGPS]。