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 「高尾山」は山梨にもある。東京の高尾山は天狗の薬王院が山上にあるが、こちらの「甲州高尾山」には「大瀧不動尊」がある。

 

 この山がハイキングの名所になっている理由は3つ。①駅からすぐ登れる。②見晴らしがよく、富士山、南アルプスなどが見える。③氷瀑(氷結した滝)が見れる。

 

 ②は、わりと最近に山火事があって、木が無くなったせいで展望がよくなったのだそうだ。どおりで、「甲州高尾山」なんて、昔は聞いたことがないと思った。

 

 ②③から、シーズンは冬と見た。クリスマスイブには、さぞかし人が多いだろうと思ったら、道中2人しか会わなかった。シーズンには、ちょっとまだ早いのかもしれない。

 

 

 

 

 シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。

 

 

 


 ↑「勝沼ぶどう郷」駅前からの山風景。金峰山方面。奥の白いのが八ヶ岳らしい。「勝沼」駅でいいだろうに、ブドウの名所はここだぞ、と言わないと気がすまないらしい。下山したら、熱いホウトウを喰いながらワインでも飲むか。

 

 

 

 

 ↑ここを右に入る。まずは、ひたすら「大瀧不動尊」をめざす。


 

 

 

 「三光寺」というお寺がある。こちらが詳しいようだ。聖徳太子の部下で京都の太秦(うずまさ)広隆寺を創建した秦河勝(はた・の・かわかつ)が、勝沼の山中に「三岳寺」を建立したのが初め、との伝説。「平安時代には大いに栄えた。」

 

 秦河勝うんぬんが史実とは思えないが、もとは山岳寺院だったというのは本当のようだ。たしかに(このあと行って見るが)、甲州高尾山の頂上は、3つの峰に分かれている。だから「三岳寺」か。ここ麓に、寺が移転したときに植えられたという杉の巨樹も、現存している↓。

 

 

 

 

 こちらによると、2018年台風24号の強風で、主幹が縦にさけてしまった。↑この裏側から見ると裂け痕が生々しい。しかし、よく堪えたものだ。樹冠は今も青々としている。上の看板は、それより前に設置したもので、「目通り」「根周り」等は、裂ける前のサイズ。

 

 寺が 1342年に「宮宕山」から移ってきたとあるが、「宮宕山」は甲州高尾山のこと。↑いちばん上の地理院地形図でも「宮宕山」と書いてあって「高尾山」とは書いてない。のちほど登ってみると分かるが、頂上には、「宮宕山」「高尾山」「東峰」という3つの峰が並んでいる。「甲州高尾山」は、最近売り出した名前なのかもしれない。

 

 気がつかなかったが、「三光寺」の境内には「太子堂」があって、和様・宋様折衷の建築様式から、室町末の再建と推定されている。秦河勝伝説は、太子堂の縁起として創作されたのではないか。

 

 山中の「三岳寺」は痕跡も残っていないので、創建年代は判らないが、東国に山岳仏教が広がるのは、院政・鎌倉期以後ではないか。

 

 室町時代に殷盛したというのは分かる。富士講(富士山の登拝)は当時から盛んで、勝俣鎮夫氏の研究を見ると、今の富士吉田などは、戦国期には農村というより観光都市だった。

 

 



 「三光寺」の門前から勝沼市街~石和方面を望む↑。手前は、ブドウ畑。盆地の向こうの南アルプスは、残念ながら雲がかかっている。期待して来たのに、アルプスの展望は、きょうは無さそうだ。

 

 


 


 ↑まったく標示がないが、「大瀧不動尊」の「前宮」らしい。自動車が入るのは、ここまで。このあとは、日陰の寒い道路をひたすらに登る。

 

 

 

 

 ↑道路わきに「四合目」の丁目石。↓すこし先に、この堂がある。本宮というか「奥宮」は、まだまだ先だ。標示がないので不明だが、これも「大瀧不動尊」の一部なのだろう。

 

 

 

 


 ↑小さな祠もある。「三森新太郎翁之碑」「松浦儀兵衛翁之碑」と彫った石柱が前に並ぶ。祠を建てた功労者なのだろう。

 

 ↓「中央管理棟」とあるが、いまは廃屋。

 

 

 

 

 檜、杉のほか、クリ、コナラ、ミズナラ、ホオノキ、ケヤキなど。ふつうの雑木林だ。沢(大滝川)の流れに沿って昇る。谷間で日が当たらないので、とにかく寒い。

 

 

 

 

 ↓地形図に「大滝不動」と書いてある大瀧不動尊・奥宮までは車道歩き。勾配がきつくないぶん、くねくねと回り道をするので、距離が長い。

 

 

 


 ↓だいぶ上がってきた。やはり南アルプスは雲がかかっている。残念 !!

 

 

 


 「大瀧不動尊」「奥宮」。これが「仁王門」↓。手前の石柱には「奉 大瀧山」「納 不動尊」とあった。「大滝山不動尊」が正式の名前かもしれない。

 

 

 


 左の看板を拡大↓。

 

 

 


 「中生代の硬質砂岩・粘板岩」というからホルンフェルスか。たしかに、この山の岩は固くて尖がっていて、このあと上で苦労する。ツガというかコメツガ。ウラジロモミもある(のちほど)。標高1000メートル以下のわりに、樹種は高山だ。

 

 

 


 「前滝」。上から下まで氷結している。よく見てほしい。流れの形で凍っているが、ぜんぶ氷だ。

 

 「本堂」に到着↓。私の高度計で 951メートル。本殿の後ろにも、氷結した滝がある。

 

 

 

 

 

 やはり、「大瀧山不動尊」が正式名だ

 

 

 

 

 

 ↑「明野町」といえば、甲府の先の「韮崎」駅の北、茅ヶ岳の麓だ。「浄居寺(じょうごじ)」という寺があって、狼(ヤマイヌ)の石像がたくさんあるので、行ったことがある(狼神社の探訪記を、もう少しためてからウプする予定です)。どうして、そんな遠くの団体が、この不動尊に寄進を?

 

 それで思い出したが、甲州は、教派神道が盛んなのだった。おそらく、神道教団のつながりなのだろう。仁王門も、この本殿も、地元の寺社では考えられないくらい立派に建てている。

 

 本堂の上に見えていた「雄滝」↓。流れのまま凍って、つららになっている。

 

 

 


 

 これは思ったより迫力がある。ガシャーン、カシャーン、……と氷が溶けて落下する音が、あちこちから響いてくる。↓「雌滝?」。こちらも凍っている。

 

 

 

 

 ネットで目ぼしい説明を見てみると:

 

 

『大滝不動尊は、高さ140mの男滝を始めとして、女滝、神洗滝、前滝、後滝などの大小の滝があり、さらに山中には本堂、文珠堂、籠り堂、山門、金界坊堂、八郎坊堂(天狗堂)の諸堂や雨乞い場が配され、修験霊場としての歴史景観が良く残されています。また一帯は、モミ、ツガの自然林が見られ、その下にはミツバツツジ、コアジサイなどの植物が群生し、自然環境も良く保存されています。』

甲州市観光協会『ぐるり甲州市

 

 

 見えている以外にも、滝はたくさんあるらしい。みな氷結しているのだろうか?

 

 

『大滝不動尊は、元慶4年(西暦880年)に金界坊が三光寺南堂の不動明王を移し草創したと伝えられているそうです。本堂の周囲には落差140mの男滝をはじめ、女滝、神洗滝、前滝、後滝などの滝が囲み、さらに山中には文珠堂、籠り堂、山門、金界坊堂、八郎坊堂(天狗堂)などの諸堂や雨乞い場が配され、古くは修験霊場ともなっていたそうです。〔…〕

 本堂の背後には落差140m男滝(オタキ)が流れ落ちています。』

山梨の林道事典

 

 

 「三光寺」から不動像を移した、とあるところをみると、「大瀧山不動尊」の草創は「三光寺」ないし「三岳寺」より遅く、鎌倉期以後ではないだろうか。

 

 本堂の前脇に、6体の石仏が並んでいる。ただの石仏ではない格式ある戦士の造形。「十二天」あるいは「十二神将」の一部か?

 


 

 

 

 

 

 

 

 

タイムレコード 20221224 [無印は気圧高度]
 「勝沼ぶどう郷」駅[482m]905  - 918「三光寺」[529m]930 - 942「大瀧山不動尊」前宮[602mGPS] - 955「四合目」[689m] 1010 - 1056「大瀧山不動尊」奥宮仁王門[914m]1059 - 1111本堂[951m]1135 - (2)につづく。