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【7】 敗戦、再生の生気に満ちた時代、そして転機

 


 前節のスケッチは、かなり駆け足でしたので、ヘーゲルの論理にはあまり触れられませんでした。同じ部分(第Ⅵ部「精神」)について、金子武蔵氏がもう少し一般向けに書かれた解説『ヘーゲルの精神現象学』で、もう一度なぞってみたいと思います。

 

 ところで、この本は、金子氏が 1953-56年に、長野県佐久地方の小中学校教員を主体とする「南佐久哲学会」で行なった6回の夏季連続講義の記録です。

 

 

『「わたしどもの哲学会は佐久地区の小・中学校の教師たちの有志によって組織され、昭和22年以来、金子先生に毎年、定期にご出講をいただいて、本年は満20年であります。この間、カントの〔…〕『純粋理性批判』、ヘーゲルの『精神現象学』、キルケゴール、ヤスパース、ハイデガー等〔…〕、マルクスの『国民経済学と哲学』など、さらには、先生ご自身の倫理学、宗教論そのほか、について継続的にご指導をいただいてきました。」〔…〕

 

 たとえば学生が一度も顔を見たことのない教師の課した学年末試験にパスすれば、それだけでも一つの効果ではある。しかし本書を成立させた基盤はその種の制度的なものとは無縁である。〔…〕一人の大学教授と小中学校の先生たちとの関係は、ここにおけるように、やがて 30年になんなんとする関係は甚だ稀である。双方の忍耐と常に新たな努力なくしては不可能であったはずである。

 

 「正確にものを見、判断することのできる人間、自己の生き方を求め、よく生きていける人間たるべく、たえず哲学するものでなければならない。哲学会は、もともとそのことを第一の目的としている。」


 これが佐久哲学会の理念である、とみなしてよい。』

小倉志祥「解説」, in:金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.20-22. 

 

 

 ところで、この「南佐久哲学会」がヘーゲルを取りあげた 1953-56年といえば、当時の日本共産党の「武闘方針」のもとで「国民的歴史学」運動に参加していた網野善彦氏(⇒:【基礎考察】(12))が、「自分自身の空虚さを思い知らされる経験をし」て運動から下りたという時期と一致しています。

 

 しかし、なぜこの時期に、人びとは、難解なヘーゲルを学びたいと思ったのか? 網野氏のほうの証言から、当時の「時代のふんいき」を知ることができるかもしれません。

 

 

『敗戦の年、私は 17歳であり、〔…〕動員された工場での仕事と連日の空襲に無我夢中で明け暮れていたのである。〔…〕

 

 〔ギトン註――東大に進学し、〕歴史学、日本中世史を学ぶ道に進んだのが 1947年。その年の後半には左翼の学生運動の渦中に入っていった。そのころはなにもかもが新鮮で生気に満ちており、私は全身をその渦中に投入し、1948年のほとんどを、民主主義学生同盟〔…〕本部に通って過したのである。

 

 いま思えば、そうした初心にかげりの見えてきたのは、翌年、そこから身をひいて、卒業論文のためと称して大学に帰ってからのことであった。“学問” の名の下に特権的な道に身をよせつつ、〔…〕人々を歴史学の中での運動、やがて国民的歴史学といわれた運動に駆り立てる役割をするようになった。〔…〕

 

 自らは真に危険な場所に身を置くことなく、会議会議で日々を過し、口先だけは “革命的” に語り、〔…〕そのころの私自身は、自らの功名のために、人を病や死に追いやった “戦争犯罪人” そのものであったといってよい。〔…〕そうした許しがたい自らの姿をはっきりと自覚したのは 1953年夏のことであった。〔…〕

 

 1952年のころから、共産党が武装闘争の方針をとるようになり、それに基づいて国民的歴史学の運動が展開されていったのですが、〔…〕

 

 私自身は〔…〕運動の中心部にいましたけれども、〔…〕1953年の夏ごろに自分自身の空虚さを思い知らされる経験をし、目がさめたような気がして、この運動のリーダーのような立場を自ら下りました。〔…〕

 

 極端な例は「山村工作隊」ですよ。山村を遅れた辺境だと捉えて、そこに武装闘争の根拠地をつくろうという毛沢東路線です。学生達は本気でリュックを担いで山村に入ったんです。実際、そこで命を落とした方もいます。僕は歴研〔『歴史学研究会』――ギトン註〕などの運動を通して、その督戦隊みたいな役割をしていた〔…〕

 

 当時の共産党の山村工作隊路線が強くなってくるにつれて、運動内部の矛盾が噴き出してくる。〔…〕ある日、自分のそれまでやってきたことが全く空虚だったと気づいたんですね。今までシロだと思っていたものがクロになり、クロだと思っていたものがシロになるような体験で、いい加減疲れて、〔…〕とにかく全部勉強をやり直そうと思ったんですよ。それが現在の僕の原点です。』

網野善彦『歴史としての戦後史学』,2018,角川ソフィア文庫, pp.13-14,52-53,333-335. 

 

 

 網野氏は、「目がさめたような気がし」たと書いておられますが、同じような覚醒体験が、日本じゅうで多くの人にあったのではないかと思います。保守的な‥いや、反動思想とさえいえるヘーゲルに、熱いまなざしが向けられたのは、それだけの時代背景があったのです。

 

 

  

 

 


【8】 ふたたび、ギリシャ民主制からフランス革命へ

 

 

『ギリシャの人倫的世界においては、人間は自然のままに放任されながら、それでいて、ただ我利我欲ばかりを追求するにとどまるのでなく同時に国家社会に献身し、もって全体の美しい秩序が成り立っていました。

 

 しかし〔…〕滅びてローマ帝国の時代となると、人間は個的自己にめざめてきますが、そうかといって自然的な我利我欲にばかりとらわれていたのでは、人間として存在することはできず、したがうべきなにかある絶対的なものが厳として存在していることを身をもって体験します。〔…〕申すまでもなく、絶対精神のことです。〔…〕

 

 もっとも、絶対精神は、ここではまだ現実化しておらず、即ち主体とはなっておらず、実体として働くだけです。しかし、実体にうながされて、人間は国家社会にはやはり秩序があるべきであり、したがって権力の必要であることを感じますし、またギリシャ時代とはちがって個的自己として存在するのですから、財冨の必要であることをも同様です。そこで人間は、一度自分の個別存在をはなれ、それを(うと)んじて、自分のそとにある普遍的なものになり、これを通じて真の自己となるというように、自分を形成する努力、すなわち教養の努力を引き受けなくてはならぬことになります。これが Ⅵ「精神」の A「真実なる精神、人倫」につづく B という段階が「自己疎外的精神、教養」と題されるゆえんなのです。

 

 そこでギリシャ時代とはちがい、人間は自己疎外 Entfremdung におちいることになります。Entfremdung というのは、〔…〕自分に疎遠で外的であるものになることです。〔…〕その苦行を通じてのみ人間は真の人間にまで自分を高め形成することができるのですから、自己疎外というのは、けっきょく教養ということと同じです。〔…〕近代社会というのは、古代社会とちがって、個的自己への徹底が行なわれているから、社会と結びつくには、人間は自然性を剥脱し、否定しなければならず、そういう意味での教養をそなえたものでなくては近代社会、近代国家の一員たりえない〔…〕

 

 乱暴狼藉をほしいままにすると、人間は自分自身をも滅ぼしてしまう。だから自然のままに放任せられ、直接的な欲望のとりこになっているわけにはゆかない〔…〕

 

 乱暴狼藉を働くものは自滅するというときそこには実体〔経験の対象。対象としての世間、社会のしくみ。――ギトン註〕が働いています。疎外も教養も、じつはこの実体にうながされて生ずるものです。しかし、この実体はまだ自覚せられているのではありません。いいかえると、まだ主体となっておりません。『現象学』のねらいは実体を主体化することです。〔…〕疎外と教養とは、実体を身をもって体験すること、実体を主体化することにほかなりません。ここに教養の段階が『現象学』において根本的に重要な意義をもつゆえんがあります。〔…〕

 

 実体が主体化せられることによって、時代の要求するような新しい、古代とはちがった国家・社会が形成されてくるのですが、そのさい、主として念頭におかれているのは、フランスにおける封建国家と君主国家であります。〔…〕

 

 Ⅵ「精神」の B「自己疎外的精神、教養」という段階は

 

Ⅰ 自己疎外的精神の世界

Ⅱ 啓 蒙

Ⅲ 絶対的自由と恐怖

 

 と区別せられている』

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.255-258. 

 

 

 

 

 ↑緑色の表を再掲したので、見てほしいのですが、

 

 第Ⅵ部「精神」・B章の Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ節は、時代で言うと、「Ⅰ 自己疎外的精神の世界」は、中世封建制の終りから絶対王政期: ルイ14世を頂点とするブルボン王朝の時代です。

 

 「Ⅱ 啓蒙」は、啓蒙主義の時代で、17世紀後半から 18世紀。イギリスでは、ホッブズ、ロック、フランスでは、モンテスキュー、ヴォルテール、ディドロ、ルソー、ドイツでは、カントといった啓蒙思想家が現れます。

 

 「Ⅲ 絶対的自由と恐怖」は、まさに 18世紀末のフランス大革命期で、しかもヘーゲルの念頭にあるのは、「恐怖(テロル)」政治がさかんだった 1794年までの5年間です。

 

 

 

 

『この世界が形成せられるのは、知らず知らずのうちに、実体が人間の意識を強制することによります。むろん、当面の意識自身は実体がどのようなものであるか、どのような構造のものであるかを、まだ知らないし、知ってしまえば、実体はもはや主体となる〔…〕

 

 〔ギトン註――第Ⅵ部・B章・第Ⅰ節「自己疎外的精神の世界」は、

 

a 教養と現実の国

b 信仰と純粋透見

 

 〔…〕に分かたれているのですが、現実の国は、風のごとくいつも自己同一を保つ国権、と、水のごとくいつも自己とちがったものになる財富との2つをもって要素としており、〔…〕相互に他に転換します。』

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.259-261. 

 

 

 絶対王政時代の「現実の国」は、「国権」と「財富」を2大要素としている。これらは「相互に転換する」――というのは:。。。

 


『国権はむろん権力により統一づけるものではありますが、権力は国民の各自に自由な存在を認め、幸福を享受させることによって、彼らの献身を期待しうるところにのみ存在する〔…〕いいかえると、国権はむしろ自己自身を財富として個々人に差し出し享受させて初めて国権でありうる〔…〕逆に財富のほうであるが、これはむろん私一個の欲求からくるもので決して公共的なものではありません。しかし〔…〕富を積むためには、たとえば大きな事業をすることが必要ですが、これは多くの人々に関係して〔…〕多くの人をうるおすことですから、〔…〕じつは公共的普遍的なものであり、国権と結びつき、またそれ自身国権とならなくては、財富も財富にはならないのです。したがって国権は財富、財富は国権となるわけであります。〔…〕

 

 普遍意志が同時に個別意志を具え、ひとりの個人において存在するようになると〔つまり「君主国家」が成立すると――ギトン註〕、貴族が自由に籠絡し利用し自分の私欲をこやすことができます。このようにどうとでも自由に利用できるようになったのである以上、国権はもはや国権でなく、じつは財富となってしまっています。』

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.264,273-274. 

 

 

 教養の「現実の国」には、3組の対立があります: 国権 ⇔ 財富 善⇔ 悪 高貴なる意識 ⇔ 下賤なる意識。

 

 《国権 ⇔ 財富》は、「教養の世界が現実意識に映じたさいの対立、あるいは現実の世界における客観的な対立ですが」、《善⇔ 悪》は、「主体的な内面的な思惟」の対立です。《高貴なる意識 ⇔ 下賤なる意識》は、貴族と町人の対立です。

 

 ヘーゲルによれば、主体の思惟は、「いつも自己同一を保つものは善」「いつも他となって変ずるものは悪」と規定します。したがって、「国権」は普遍的なものでいつも自同性を保つから「善」、「財富」は逆に、いつも姿を変えて変転するから「悪」、ということになります。ただ、これは、主体が自分の即自存在を規準とした場合の判断です。即自的な主体は、自分はいつも同一で普遍的なものだと思っているので、自分と同じ国権は「善」、違う財富は「悪」という判断です。

 

 ところが、主体は他面では対他存在でもあります。対他存在を規準にすると、逆に国権が「悪」で、財富は「善」になります。対他存在にとっては、国権は「おのれの生活を束縛し幸福を制限するものだから、悪」になるのです。

 

 ここから、《高貴なる意識 ⇔ 下賤なる意識》の対立が生じます。「高貴なる意識」は、いつも自分と対象のあいだに同一性を見出そうとする態度で、国権に対しては即自を向け、財富に対しては対自を向けて――おのれの欲望をみたしてくれるのだから善いものだ――、どちらも「善」と考えます。「下賤なる意識」は、それと逆に、いつも相手に不同性を見出して「悪」とする…ケチをつける態度です。

 

 しかし、この「高貴」と「下賤」も相互転換します。

 

 

『かくて国権が財富、財富が国権に、善が悪、悪が善になるというわけで、ただいたずらに転々動揺があるだけであり、したがって人間は全く自己疎外の状態に置かれている〔…〕

 

 かくて当面の世界は徹底的に自己疎外的です。国権が財富に、財富が国権に、善が悪に、悪が善に、高貴が下賤に、下賤が高貴に転換し疎外する世界です。そうして対立するものを統一づけたものが、はっきりと出てきておればよいが、それはまだ出ていないで、ただいたずらに一方が他方に転換するだけです。だからこの世界の人間は自己疎外の苦悩をなめざるをえない』

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.263,266. 

 

 

 ところがヘーゲルは、このような「自己疎外こそ人間にエスプリを養うものであり教養を与えるものだといっているのです。」「フランス語で esprit というと、ちょっと普通では関係のつかないような2つのもののあいだに奇想天外式に関係をみつけるような能力のことです。」「こういう極端な分裂を通じて絶対に対立するものが一つになるところにこそ、」ヘーゲルは、エスプリの躍動、すなわち「精神」の躍動を見ているのです。

 

 ヘーゲルがここで取り上げているディドロの小説『ラモーの甥』は、当代の有名な音楽家ラモーの甥でヘボ楽師のラモーとの対話の形で書かれています。このラモーは、イエス・キリスト、ソクラテスをはじめとするあらゆる道徳や偉人を茶化して罵倒し、当代の廷臣から、金貸し、文士に至るまでの勿体ぶった上品な言動を嘲笑う。ラモーにかかると、あらゆる価値は逆転させられます。彼の不遜な攻撃の矛先は、うわべの態度・言動の尤(もっと)もらしさと、その人物の腹の中との分裂に向けられる。そしてこれは、これほどの軽侮を抱きながら、有力者にお追従し寄生するラモー自身にも向けられています。

 

 

『この作品の主人公は権力者をも金持ちをも〔…〕憎みのろいながら、またいずれにも阿諛を呈するのですが、つまりヘーゲルにいわせれば、国権は財富、財富は国権、善は悪、悪は善、高貴は下賤、下賤は高貴という態度をとるのですが、〔…〕

 

 ただ分裂があるだけで統一は少しもないのですから、確かに気狂いじみているけれども、〔…〕

 

 この一見錯乱した狂人じみた態度も〔…〕、むしろエスプリに富んだものであるとヘーゲルは考えて、積極的意義を認めているわけです。つまり人間精神の発展上重要なひとつの段階である疎外を表現したものという見地

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.267-268,275. 

 

 

  


   

 以上は、「教養の世界」のうち、「現実の国」「地上の国」で起きていることのありさまでした。しかし、「教養の世界」には、「地上の国」だけでなく「天上の国」「信仰の世界」もあるのです。

 

 「地上の世界」で諸対立の分裂と転換にかかわっていたのは「現実意識」でした。これに対して、諸対立を超えて対立項を包みこみ、統一にかかわってゆくのは、より高次の意識:「純粋意識」です。

 

 「純粋意識」は、さらに「否定的な純粋意識」と「肯定的な純粋意識」に分かれます。「否定的な純粋意識」とは、「国権を否定して財富とし、財富を否定して国権とし、高貴と下賤、善と悪とについても」同様の働きをする意識で、「純粋透見」と呼ばれます。「透見 Einsicht」という語は、日常語としては「理解,分別,洞察」を意味します。「純粋透見」は、旧体制(アンシャン・レジーム)の頑迷な「信仰」とは対立します。「エスプリ」は「純粋透見」であり、「純粋透見」が広く社会に普及して束になり、公共化したものが「啓蒙」です。

 

 

『教養を通じて得られた精神あるいはエスプリは、かかる対立〔国権⇔財富、善⇔悪、など――ギトン註〕が固定したものでなく、いつも反対に転換することを見透しているから、それは純粋透見であり、そうして対立を否定するものであるところからしては、自我あるいは主体の働きであります。』

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.277-278. 

 

 

 「純粋意識」のうち、「肯定的な純粋意識」とは、「信仰」です。《国権⇔財富》《善⇔悪》など対立要素の「相互転換に媒介」されて、その「対立の底」に、「彼方にある統一的実在を把握するもののことです。」しかしながら、この絶対王政――アンシャン・レジームの段階では、対立を超越する真の統一には至っていません。むしろ、現実ばなれした仮想的な統一を、もっぱら客体的に、彼岸に表象するにすぎないのです。「信仰」は、対立と相互転換の現実から眼をそらして、彼岸における統一を夢見ているにすぎません。この統一の表象が「信仰の天界を与えます。」

 

 その意味で、ヘーゲルは、この段階の「信仰」は、まだ「宗教」になっていないと言います。(具体的には、典礼と秘蹟を重んじるカトリックの信仰が念頭におかれていると思われます。)

 

 

『教養の世界は、信仰の世界と透見の世界という相反した世界、天上と地上とを含むから、この点に関しても、まだ相互転換即ち自己疎外があり、したがって自己疎外精神であるということがどこまでも教養の基本的性格なのです。〔…〕

 

 ここでの信仰を〔…〕ヘーゲルはまだ宗教ではないと申しております。けだしそれは、宗教が絶対実在を自己として意識するものであるのに、それを彼岸として表象するにすぎないからでしょう。』

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,p.278. 

 

 

 さて、絶対王政のもとで生じた2つの「純粋意識」――彼岸の「信仰」と「エスプリ(純粋透見)」――は、どちらも、対立を包みこんで「疎外状態」を克服するには不十分でした。どちらも、現存の矛盾きわまりない状態を批判しながら、その反面かえってそこに安住しようとする傾向をもったからです。

 

 しかし、この状態を打ち破る動きは、「エスプリ」のほうからやってきました。「啓蒙」は、「エスプリ」が社会に普及して、権威の揶揄を人びとが競ってするようになり、それが一種の流行となった状態です。エスプリがはやる…というだけなら、絶対王政はびくともしません。狂言や風刺がいくらさかんになっても革命は起きないからです。重要なのは、「エスプリ」が広まることによって、その内容が変化したことです。つまり、「公共性」を獲得したのです。

 

 

『純粋透見は、いろんな区別や対立を解消しようとするものとして、エスプリです。しかし悪くすると、エスプリも「だじゃれ」を弄するにすぎぬことになります。つまり〔…〕個人的主観的にすぎず、『ラモーの甥』の場合のように我儘のためのものにすぎなくなる〔…〕主観的形式的になりやすい〔…〕

 

 そこで純粋透見が本当の意味で純粋になるには、このような欠陥が是正せられる必要があります。それにはまず純粋透見がある個人一個のものから公共化されていかなくてはなりません。この点、ヘーゲルはフランスのアンシクロペディスト(百科全書派)のことを念頭において、個人個人の透見が集大成されることによって純粋透見は次第に成長をとげていくと考えています。〔…〕最初はプライベイトな、主観的なものであった透見が社会的に普及するということをも意味するのですが、これが啓蒙にほかなりません。啓蒙は純粋透見をして公共的・普遍的・客観的・内容的なものにまで成長させるゆえんのものなのです〔…〕

 

 かくて啓蒙の運動は、純粋透見にとって、その本質上必要なものです。〔…〕

 

 啓蒙の立場からすれば、世界は自己のためにあるのですから、自我は当然絶対自由をもつことになり、これが実行に移されることにより、アンシャン・レジームの制度が打破されます。ここにフランス革命が到来します。

 

 絶対自由といっても、最初は抽象的なものであって、個別自己が絶対者であると考えられていますので、組織をもってする活動はすべて拒否せられます。たとえばルソーが立法権は国民各自が自分自身で執行すべきものであって代理されることはできず、そうすれば〔代理されれば――ギトン註〕自由はなくなるから、自分で立法に参与すべきであるといって、代議制度を否定したごとくです。

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.284-285,292-293. 

 

 

 この論法でいくと、フランスのような大国では立法は不可能になるし、行政・司法も、大臣や裁判官にまかせてはならないことになる。そして、絶対自由を求めれば、テロリズム(恐怖政治)が不可避になる――とヘーゲルは言うのです。

 

 

 

 

 この「絶対自由」とテロリズムの関係が、金子氏のどちらの解説を読んでも、難しくて私にはわからない。そこで、該当箇所をヘーゲルの原文(金子氏の訳文:『ヘーゲル全集 5』,pp.905-907)で、何とか読んだ結果はつぎのとおりです。(正しく読みとれている自信はまったくありませんから、関心のある方は、誰の訳でもよいので自ら読まれますよう)

 

 「絶対自由」を実行しようとすれば、すべての組織を破壊することになるから、けっきょく革命政権は、肯定的な仕事は何もできないことになり、できることは破壊だけである。しかし、組織を破壊するだけでなく個人まで破壊する(テロリズム)のは、なぜなのか?

 

 「絶対自由」によって、普遍意志と個別意志は両極に分かれる。普遍意志(統治者)は、いかなる分割も分担も例外も許さない「単一の冷酷な普遍性」となるほかはなく、現実には、ひとりの個人の意志(例えばロベスピエール)を普遍意志と等置する以外のあり方はできない。他方、個別意志(被治者)は、かたくなに普遍性を排した個別意志たることに固執するから、代表も組織も拒否し、統治者とのいかなるつながりも拒否する。したがって、統治者(ロベスピエール)のほうから見ると、被治者という個人は、統治にとっていかなる意義もない・たんなる点のような存在になる。ロベスピエールは、被治者個人に、いかなる内容も、生活も認めることができない。だから、被治者を消去する(断頭台に送る)ことは、何の抵抗も感じられない、埃(ほこり)を払うようなわざとなる。

 

 そこで、冷酷な普遍意志である統治者は、普遍意志とわずかでも違いのある個別意志(被治者)は、発見しだいギロチンにかける。組織を破壊しつくしてしまった統治者には、個人を破壊する以外にできることはないので、それが統治行為のすべてとなる。しかし、テロリズムはそれ以上であって、被治者が異論を抱いているという証拠がなくとも、そういう「そぶり」を見せただけで、あるいは、たんにロベスピエールがそう疑ったというだけで、断頭台に送ることになる。なぜなら、相手は重さのない「点」にすぎないのであり、また、個人を破壊することが、統治者としてなしうる唯一の仕事だからだ。「疑わしくなること、嫌疑のあることが有罪であることの代わりになり、有罪であるという意義と実効をもつことになる。」とヘーゲルは書いている。

 

 ところで、ヘーゲルは、このように把握されたロベスピエールのテロリズムを否定するどころか、むしろ高く評価しています。ヘーゲルにとっては、すべては起こるべくして起こったことなのです。ロベスピエールは、死の恐怖によって、人類に対して「最高の教養」(奴隷を打つ鞭)を与え、人類の精神が陥っていた「疎外」状態から脱出させ、「道徳性」という・より高次の段階へと進ませたのだからです。

 

 

『およそ人間がこの世に生きるには、自己否定が必要であり、とくに教養を必要とする近代的人間の場合にはそうです。がテロリズムこそは絶対否定の必要を人間に身をもって体験させるものですから、それは至高の教養だというのです。〔…〕

 

 かくて絶対否定によって個別と普遍とが絶対的に帰一し、教養の世界の特徴であった自己疎外はここに克服せられます。〔…〕

 

 教養の世界の自己疎外は克服せられたので、精神は自己疎外から自己確信〔「自己を確信している精神」、すなわち内面的主体的「道徳性」――ギトン註〕に移ります。』

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.294-295. 

 

 



 

 

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