【5】 歴史の中で――世界精神の「疎外」と「自己形成」
ここで、ヘーゲルの「弁証法」という思考の枠組みを、ざっくりと図で示してみると、つぎのようになります。
ふつうと違って、下へ向かうジグザグ運動として描いたのは、定立⇒反定立⇒綜合によって「高まる」一辺倒のイメージでは、悪しき無限発展論になりかねないので、あえてふつうとは逆に描いてみました。絶対者=世界精神が「高まる」というのは、より深くなって厚みを増し、「現実化」することでもあるからです。
この「深まってゆく」方向にダブらせて、これから扱う「第Ⅵ部」のあらすじを描いてみると、つぎのようになります:
『精神現象学』の第Ⅵ部は「精神」と題されています。もっともプリミティヴで素朴な思い込みの「意識」が、自己分裂、反対物との矛盾、綜合による自己回復、という運動をくり返しながら、単純素朴な一面性を克服して、より広い公共性を獲得していきます。「意識」が、⇒「自己意識」⇒「理性」⇒「精神」⇒「宗教」⇒「絶対知」と昇っていく過程で、「精神」は、「理性」となった意識がさらに自己形成(教養)をとげて現実化・社会化した段階です。したがって、ここで語られる「精神」の運動は、社会哲学ないし歴史哲学といってよいものです。
ざっくりいえば、ヘーゲルの云う「精神」とは、社会のことだ、とも言えます。
『ヘーゲルの精神現象学はがんらい彼の哲学への認識論的序説であって歴史哲学ではない。しかし、もと彼の精神の概念には社会性と歴史性とが含まれており、そうしてこのことは Ⅵ「精神」から顕著になってくる〔…〕
『現象学』はもっとも直接的な意識である感覚から始めて哲学知である絶対知にまで到達せんとするものとして、ヘーゲル哲学の認識論的序説でありますが、しかし、ヘーゲルは人間の意識がもつ社会性と歴史性とを高調しますために、個人意識の発展は世界精神の史的発展を実体として背負うことになり、その結果として『現象学』は歴史哲学としての意義を具えます。』
金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』, 1996,ちくま学芸文庫,pp.220-222.
しかし、ヘーゲルの『精神現象学』のテキストじたいは、表現が抽象的でわかりにくいので、金子武蔵氏は、ヘーゲルの 1796年の手記『区別』を参照して、著者が念頭においていた実際の歴史過程を、わかりやすく示してくれています。
【6】 ギリシャ・ローマ民主制からフランス革命まで
『ギリシャ人及びローマ人は自由人 der freie Mensch であった。彼らは国制や法律にしたがいはしたし、またこれらを神々に帰しもしたけれども、これらは彼らに外から課せられたものではなく、彼ら自らが課したものである。宣戦、講和、植民のごとき国の大事も議決によって自ら決意したのであり、指導者も選挙によって自らの選んだものである。公私いずれにおいても、彼らは自分の心胸(むね)の法則(のり)にしたがう自由人であった。
しかし彼らの前には祖国というイデーが立っていて、このイデーを前にしては彼らの個体性は消え失せる。祖国は彼らにとっては、実に世界の究極目的であって、この究極目的のために彼らは生命財産を捧げつくしたのである。しかしこれによって、彼ら自身は死んでも、祖国は存続し繁栄して行くことができたから、彼らはユダヤ人のようにいたずらなる長寿と子孫に恵まれることを神に哀願することはなかった。なぜなら、〔…〕祖国をほかにして彼の「自己」はなかったからである。だから永生は彼らの念願にはなかったのである。
〔…〕この間において戦勝の栄光に輝き、また巨富を擁する貴族の支配が現われてきて、民衆を買収して政権の委譲を要求した。国民はむろんこれに反抗したが、やがて黙諾してしまった。けだし国家の機構はすでに巨大化し複雑化していて民衆はそのいとも小さな歯車であるにすぎなくなり、全体を俯瞰して国事を処理することは彼らにはもはや不可能のこととなり、〔…〕祖国のイデーはもう彼らから消えてなくなり、彼らの念願とするところはただ一身一家の幸福と繁栄とであり、国民の権利と言っても、もはや所有権の安全であるにすぎなくなっていたからである。
こうして彼らは政治的自由を喪失した。以前には彼らの死を越えて祖国が存続し、それに永生を託していたのに、今や死は一切の終りとして怖ろしいものとなった。しかしこうなったからと言って、彼らには神々に逃げ場を求めることはできなかった。なぜなら、ギリシャ及びローマの宗教は自由な民のものであって、自由を喪失した民には意義をもたぬものだったからである。
〔ギトン註――ギリシャ・ローマの〕神々は自然の支配者であって、この自然の威力には、彼らは彼らの自由を対抗させることができた。もとより彼らも神々のおきてに従いはしたが、しかし「神々のおきて」と言っても、人間に外から課せられたものではなく、彼らの心胸(むね)のうちにあるものであり、自由の法則であったので、「おきて」に従うそのことにおいて彼らは自由意志に従ったのである。善人は善事を果たし、善ではあるが、そうかと言って善でない者に強いて善であることを強制はしなかったのである。彼らは他の人々の自由意志をも尊重したのである。ギリシャ及びローマの神々は偉大であり美しく高貴で自由なものである〔…〕理想化せられた人間の像であり、〔…〕自然の神々であるかぎり、神々はさまざまの人間的弱点をもっているものであって、〔…〕政治的自由を喪失して奴隷の境涯に落ちたとき、彼らは神々に逃げ場を求め、そこに永生を託し慰安を見出すことはできなかったのである。
ところでプラウトゥスの作品〔テレンティウスの作品とも。いずれもローマ共和政期の喜劇作家――ギトン註〕のうちには、或る奴隷が、「いとも高きユピテル(ゼウス)でさえ、このようなことをするとすれば、小さな人間である私が同じようなことをしてはならぬということはない」と述べる場面があるのは、極めて象徴的である。〔…〕プラウトゥスの奴隷は行動の規準を神に求めている。神は聖なるもの、完全無欠のものであって、行動の規準も神から与えられるというのがこの奴隷の神観であるが、これは神に隷従したユダヤ人の神観である。〔…〕
“主なる神” の奴として、律法をも神によって制定せられたと見るユダヤ人の実定法宗教から生まれた〔…〕クリスト教が、一世を風靡することになる。なぜなら、神の客体性と人間の隷従という対(つい)をなす2つのことが時代精神となってしまったからである。異教徒の構想宗教〔ファンタジー宗教。すなわちギリシャ・ローマの神々の宗教――ギトン註〕がクリスチャンのにとって代わられたという目を見はらせる革命は、時代精神のかかる変遷に〔…〕よることである。およそ理性というものは絶対的なものを何処かに見出さざるをえないものであるが、〔…〕それはもはや地上の人間のうちには、その心胸(むね)のうちには、その意志のうちには見出されなくなったために、人間は祝福を天上に求めざるをえなくなった。皇帝たちの専制が〔…〕自由を掠奪したこと、すべての臣民を隷従の悲惨におとしいれたこと、これが人間の精神をして祝福を求めて地上から天上へと逃れさせ逃避させたのである。
こうしてかつてギリシャ及びローマの自由な民の時代には地上における人間が所有していたところの偉大さ、美しさ、高貴さ、自由というごとき価値はすべて天上へと逃れ去ってしまった。〔…〕今日の我々の為すべきは、天上へと奪い去られたこの宝を再び地上の人間の所有へと返還を請求すること、これを少なくとも理論において成就することである。』
『ヘーゲル全集・5 精神の現象学・下巻』,金子武蔵・訳,1979,岩波書店,pp.1503-1506.
ここで、↑上記の緑色の表を見ていただきたいと思います。以上の叙述を、「第Ⅵ部」の章節にあてはめると、「Ⅵ-A-a」から「Ⅵ-A-c」までにあたります。
『祖国というイデーの前に個体性が消え失せていた時代というのは A-a にあたり、巨富を擁する貴族が出現して専制を行なったというのは、個別態の原理が「破滅の原理」として白日のもとにさらされた b にあたり、国民の願うところは所有権の安全のみとなり、ために皇帝の専制を来たしたというのは c にあたる。そうしてBとの対応において焦点をなすのは返還請求 Vindizieren と革命観とである。〔…〕
Ⅵ-B-Ⅱ-a〔「啓蒙の迷信との戦い」――ギトン註〕は、啓蒙が信仰の国の「部分という部分をすべて地上にその所有物として返還することを要求したのであり、また実際取り戻した」と言っている。したがって『区別』の設定した課題〔つまり、天上に奪い去られた「自由」の宝を地上に取戻すという課題――ギトン註〕はここで解決せられたことになるが、「疎遠になること」という Ⅵ-B の基本概念〔すなわち「教養」――ギトン註〕もこの課題解決のためのものである。〔…〕
返還請求を真実に実施するには、ひとたび天上を肯定的に定立したうえであることを要する〔「綜合」の前段階として「反定立」が必要である。――ギトン註〕。そこで Ⅵ-B-Ⅰ-a の「教養の現実の国」〔絶対王政・地上の君主国家――ギトン註〕から疎遠となることによって、b の「信仰」〔秘蹟と典礼を重んじる・彼岸本位なカトリック信仰――ギトン註〕において天上の国を定立し、そうしてこの疎遠となること自身の疎遠となること〔地上の王国を否定して彼岸に向った「信仰」が、再び「信仰」からも離れて、地上に降りてきて、諸改革を要求するようになる――ギトン註〕を介して Ⅵ-B-Ⅱ の啓蒙においてその透見〔「エスプリ」。多数人の「透見」が集成されて「啓蒙」となる。――ギトン註〕によって右の返還請求を実施したのである〔…〕 Ⅵ-B の全体にとって「疎遠となること」がいかに基本的意義をもつかを示すに十分である。
〔…〕Ⅵ-B〔近世・近代――ギトン註〕の門口に立っている主体は、生まれながらの個人がただ人間であるというだけの理由で人格として承認されたものであって〔つまり、まだ「教養」によって陶冶されていない、中世そのままの農奴、または無教養な町人だった――ギトン註〕、人格権-所有権そのものをしかもたぬ〔中身のない権利を保障されているだけで、財産も地位もない。――ギトン註〕内容において空疎なものである。したがってかかる人格が権力と財富とを得るためには、自分の自然性から疎遠とならなくてはならぬが、この「疎遠となること」が本来の教養であり、この教養によってはじめて権力と財富とからなる地上の国は確立する。『区別』における抽象的否定を現実的とするために、権力と財富とを教養によって一度現実的に定立しているのである。』
『ヘーゲル全集・5 精神の現象学・下巻』,金子武蔵・訳,1979,岩波書店,pp.1507-1508.
「ヘーゲルがフランス革命から深い感銘を受けたことは」よく知られているが、どんな感銘を受けたのだろうか? 1795年のシェリング宛て書簡で、「彼はカント哲学からドイツにもひとつの革命が到来することを期待すると言っている」。カントは『宗教論』(1793年)の中で、「道徳的な改善は行状にかかわるだけだが、革命は、思考のしかた Denkungsart の変革である」と言っている。外面的な行動が改善されることよりも、「思考のしかた」が変ることのほうが、より根本的なことだと、カントは考えたのです。ヘーゲルの革命観も同じであったと考えられます。
『ただし「思考のしかた」と言っても、ヘーゲルの場合には事はカントにおけるごとく個人の内面にのみ関するにとどまるのではなく、広く当代の人心に関していたであろう。翌年の『区別』は、「大きな何人の目にも歴然としている革命」に先立って時代の精神のうちにおけるひとつの「静かな秘めやかな革命がある」と言うのは、かかる意味における思考のしかたにおける変革のことを指している。〔…〕
ところで絶対自由の革命において死の「恐怖」(テロル)を介して個別意志は普遍意志と一(いつ)となる。これが最高の教養であって、これによって Ⅵ-C の道徳性〔時代的には 19世紀ドイツ――ギトン註〕へと移り行くが、此処にも「革命」のあることは明らかである。』
『ヘーゲル全集・5 精神の現象学・下巻』,金子武蔵・訳,1979,岩波書店,p.1509.
ヘーゲルは、革命時の恐怖政治(テロル)こそ「最高の教養」だと言っていますが、‥‥本来「教養」を必要とするのは奴隷であって、奴隷を死の恐怖に直面させて訓練することが「教養」の基本だ、と言っていたことを想起すれば理解できます。テロルに直面すれば、どんな傲り高ぶった個別意志も、普遍意志(一般意志)に同調せざるをえません。
こうして、人びとは、革命を引き起こしてテロルを再来させてしまう恐怖から、「道徳性」に閉じこもって安住するようになります。これが、ドイツ観念論哲学からロマン主義にかけての時代です。この転向も、ヘーゲルの価値観では、フランス革命にも劣らないひとつの「革命」(政治的な向きは逆ですが)なのです。
政治的には反動期とされる「ロマンチシズム」の時代ですが、ヘーゲルにとっては、「疎外を克服した時代」にほかならないのです。
もちろん、それが歴史の到達点だなどとはヘーゲルは言いません。最終的到達点は「絶対知」であって、世界精神はそこへ向かって、さらに新たな「疎外」を生み出し、推転を重ねていきます。……「疎外」は悪いことで、「疎外の克服」は良いことだ、などという単純な(おめでたい)考えを、私たちは改める必要があります。
現代フランスのヘーゲル派哲学者コジェーヴが、日本を訪問して感銘を受け、「歴史の終焉」を語り、「日本人には疎外が無い」と言っているそうです。しかし、そのことは、いったい何を意味するのでしょうか?‥ほめられたと思って喜んでいる日本人もいるようですが、はたして?。。。
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