身延山「北側展望台」からの眺望。左(西)から右(北東)へ。「七面山」1983m は、この身延山久遠寺の奥座敷で、山頂近くに敬慎院という坊がある。敬慎院に泊って夜明けの勤行に詰めたあと、七面山→安倍奥への縦走は、いつか踏破したい巡礼コースだ。
青薙山~笊ヶ岳~生木割の稜線は、南アルプスの支脈で、笊ヶ岳は 2629メートル。雪こそ冠っていないが、高峰が並んでいるのだ。
↓笊ヶ岳の稜線を北(→)へたどると、伝付峠で下降したあと、別当代 2216m に昇り返す。看板によると、晴れた日にはその向うに、冠雪した荒川三山(悪沢岳 3141m,ほか)、塩見岳 3052m、白根三山(北岳 3191m,ほか)が見えるはずだが、残念ながら今日は雲に閉ざされている。
↓笊ヶ岳~別当代の稜線の手前が、早川の谷で、深く切れ落ちている。大地溝帯フォッサ・マグナの西側の断層:糸魚川‐静岡構造線だ。早川谷の手前に、富士見山と櫛形山が盛り上がっている。これらは、フォッサ・マグナの形成でいったん海底に沈降したあと再隆起した地層からなる。
↓櫛形山の北(右)は、甲府盆地。盆地の奥に、八ヶ岳(やつがたけ)と奥秩父山系の山々が見える。
身延山も、昇って来た領域は、よく育った杉林に覆われていたが、北側斜面は広葉樹の自然林になっているようだ。ホオノキが目立つ。
「北側展望台」から、ロープウェイ「奥の院」駅まで戻り、「西ハイキングコース」の標識にしたがって、下山路へ向かう。
「感井坊」 GPS高度 926m↓。「追分」の名がついているのは、ここで「七面山」への巡礼路と岐れるからだ。下り坂を油断して走ってきたので、坊に到着する直前で大きく転んでしまった。同時に左足が吊ったので、しばらく起き上がれなかった。
「感井坊」のいわれは、登路にあった「法明坊」と同種異流の伝説。こちらにも、ちゃんと井戸がある↓。しかも、こちらの伝説のほうが宗教色が濃い。日朗は、湧水を探しあぐねて途方に暮れていたところ、帝釈天が現れて、夢ともなく現(うつつ)ともなく水のありかを指し示したという。その場所を杖で掘ってみると、甘露の水が噴き出したという話。そこで、坊内には、日蓮の自刻と伝える帝釈天像が安置されている。
帝釈天(インドラ)は、大乗仏教でも守護神として重んじられているが(32人の部下を従えた課長クラス。本人を加えて「三十三天」と云う)、バラモン教では、ギリシャ神話のゼウスに相当する中心的神格。『リグ・ヴェーダ』讃歌の 1/4 はインドラに捧げられている。
「インドラは、〔…〕神酒ソーマを痛飲し、ヴァジュラ〔金剛杵=電撃=雷光〕を揮って、蛇形のヴリトラ〔「障碍」の意〕その他の悪魔を退治し、人界に待望の水と光明とをもたらす。〔…〕インドラは武勇の方面を代表し、豪放な戦士の面目を発揮して〔…〕いる。」
『筑摩世界文学大系 9 インド アラビア ペルシャ集』,1974,
「リグ・ヴェーダ讃歌」,p.8, 辻直四郎・訳者前註。
ヴェーダの詠唱 UNESCO 2008.
「Ⅰ,32,1 われ今宣(の)らん、ヴァジュラ〔雷撃〕手に持つインドラが、最初に立てし勲業を。彼はアヒ〔=ヴリトラ〕を殺し、水(路)を切り開き、山腹を穿(うが)てり。
Ⅰ,32,2 彼は、山にわだかまるアヒを殺せり。トヴァシュトリ〔工巧神〕は彼のために、高ひびくヴァジュラを造れり。鳴きつつ〔仔牛のもとに赴く〕牝牛のごとく、水は奔流して、一路海に向って落下せり。
Ⅰ,32,3 牡牛なす神〔=インドラ〕は、ソーマを選べり。トリカドルカにおいてソーマの液を飲めり。寛裕なる神は武器としてヴァジュラを手にしたり。彼は蛇族の初生児〔=ヴリトラ〕を殺せり。
〔‥‥〕
Ⅰ,32,8 切られし葦のごとく、あわれに横たわるもの〔=ヴリトラ〕の上越えて、水はマヌ〔人間の祖先〕のために流れゆく。かつて(ヴリトラが)その威力により占め囲みたる(水)、その〔水の〕足もとに、アヒは(いま)横たわる。
〔‥‥〕
Ⅸ,113,1 ヴリトラの殺戮者インドラをして、シャルヤナーヴァト〔ソーマ草の名産地〕に生(お)ゆるソーマを飲ましめよ。彼がまさに勇武の偉業をなさんとして、力を身につくるとき、インドゥ〔=ソーマ液〕よ、インドラのために渦巻き流れよ。
〔‥‥〕
Ⅸ,113,6 祭官が詩句を唱えつつ、パヴァマーナ〔「自身を浄化するソーマ」の意〕よ、石もて打つソーマ〔ソーマ草を叩いてソーマ液を搾り出すこと〕に英気を催し、ソーマによりて恍惚を生むとき、インドゥよ、インドラのために渦巻き流れよ。
〔‥‥〕
Ⅸ,113,11 歓喜と愉快、享楽と悦楽との存するところ、至高の欲望の成就せらるるところ、そこにわれを不死ならしめよ。インドゥよ、インドラのために渦巻き流れよ。」
『筑摩世界文学大系 9 インド アラビア ペルシャ集』,1974,
辻直次郎・訳「リグ・ヴェーダ讃歌」,pp.8-9,12。
「帝釈は三十六の善神王(ぜんじんおう)をつかはし二十六の善神王をさしそへ持経者を擁護せしめ給う〔…〕 可秘(ひすべし)可秘(ひすべし) 法華経云(いう)甘露を以て灑(そそ)ぐに熱を除いて清涼を得るが如くならん」
日蓮『善神擁護鈔』より。
インドラは、ゼウスと同じく、自然現象としては雷電の神格化で、大蛇(ヴリトラ)を退治することで有名だが、ヴリトラ退治とは、水を堰き止める悪魔を破壊して、降雨と水流をもたらすことだという。インドラは、水の恵みをもたらす神であり、河川、また飲料水と関係が深い。ちなみに、「寅さん」で有名な柴又・帝釈天も、舟運の要衝だった江戸川の沿岸に近く、柴又と対岸を結ぶ「矢切の渡し」は、今も現役で運行している。
恵みの水→渇きを癒す水、ということから、ソーマ(神酒)とインドラのかかわりを唱う讃歌も引用した。ソーマは、不明の植物ソーマ草の搾り汁と牛乳を混ぜて作ると唱われている。つまり、アルコール飲料ではなく、植物アルカロイドをふくむ麻薬と思われる。日蓮が「秘すべし」と言っているのは、その関係か?
ヴェーダの詠唱 UNESCO 2008.
ところで、「感井坊」の前で休んでいたら、中のお坊さんが、帝釈天の拝殿(?)の前の戸を開けてくれた。信徒でもないのに中に入ってお邪魔するわけにもいかず、恐縮してしまったが、外から合掌、一礼して辞去した。ところが、その後の下りで、猛烈なスピードが出てしまった。↑いちばん上の地図で、軌跡が赤くなっているのを見てほしい。標準タイムの2倍のスピードで駆け下っている。(ふだんの私の歩速は、標準より少し遅め。)
帝釈天の「霊験(れいげん)あらたか」と言わねばならないだろう。インドラ神は、日蓮の一行はもとより、山中で渇っした人を癒してエネルギーを賦与する力があるようだ。まぁ、少なくとも宿直僧の厚い志が元気をくれたのはまちがえがない。
GPS高度 696m。↓下界が見えてきた。
「松樹庵」↓。GPSで 561メートル。この寺の云われは、日蓮上人袈裟かけの松、ということで、ただし、いま生えているのは3代目。日蓮が草庵(この直下の麓にある)で経文を読んでいると、山の中腹の大樹の幹が光を放って読誦を助けるので、登ってみると松の巨樹があった。その後、山頂に昇るときは、その樹下で、枝に袈裟をかけて休憩したとのこと。
↓標高約 500メートル。切通しに岩石の露頭。薄く層になっているが、火成岩っぽい。板状節理? 観察している時間がないのが残念。あとで調べてみると、身延山の地質はたいへん複雑なようだ。玢岩(ひんがん)類、凝灰岩、頁岩(けつがん)層などが複雑に絡みあっている。
「妙石坊」。GPSで 394メートル。日蓮がその上で説法したという「高座石」のまわりに建てられた堂舎群。↓これは「妙法堂」。
↓ハダカになって漱げ ?! あ、違いました。コロモ偏でなく、示す偏。「祼(かん)」は、酒を地に注いで神の降臨を祈る儀式、とのこと。
↓手前左が「高座石」。奥が「祖師堂」。
「高座石」の伝説も、ただ説法したというだけじゃない。『法華経』に「提婆達多品(だいばだったほん)」という章があって、「法華経」に接すれば、どんな者でも成仏する。例外はない、という章。ダイバダッタはシャカのイトコで、悪者の典型とされていた。シャカを暗殺しようとして地獄に落ちたとされていた。ところが、『法華経』のシャカは、「ダイバダッタは物知りで、如来に必要なすべてを私に教えてくれた。彼は未来において《天王如来》という仏になるだろう」と予言する。また、この章では、女人成仏も語られる。海中で『法華経』を聴いた・竜王の8歳の娘(竜女)が、シャカに宝珠を献上すると、たちまち南方の《無垢世界》へ飛んで仏と成ったのを人びとは見た、と。⇒:要約法華経 これが日蓮信仰に重なって、竜女は、日蓮の説法を聴いて成仏し、「七面山」の七面大明神になったのだ、と。
日蓮伝説になって、かえってスケールが小さくなった感もあるけど。。。 ちなみに、宮沢賢治の童話『龍と詩人』は、「提婆達多品」の竜女伝説を下敷きにしている。こちらのほうが、原話のスケールの大きさを保っている。
「妙石坊」の門前の石段を降りきると、もう麓で、久遠寺の諸坊が立ち並ぶ。日蓮が住んだ「草庵」の跡と廟もある。ここが入口↓。
「三門」に戻ってきた。もう夕暮れ。街灯がついている。
タイムレコード 20220201 [無印は気圧高度]
(2)から 北側展望台1500 [1145m] - 1534感井坊[GPS926m]1546 - 1630松樹庵[GPS561m] - 1700妙石坊[GPS394m]1703 - 1720三門 - 1724「身延山」バス停。