[ヤマレコ] 奥武蔵の残り陽(3)――ふかふかの落ち葉のじゅうたん | ギトンのパヴィリオン

ギトンのパヴィリオン

....漂泊の“うたびと”たち
....ヘッセの詩と BL詩 自訳と自作

 

小説・詩ランキング


コース全図(くぬぎ平・ぶな峠・旧正丸峠・高山不動)

 

 

 

 

 「刈場坂峠」から、ふたたび山路に入る。もうすっかり枯れ野原。↓「牛立久保」。旧正丸峠への正式のハイキング路は、ここで左へ岐れているのだが、あえて直進。この先「二子山」から路のない尾根を歩いてみたい。

 

 


 


 ↓「二子山」。ここで、ハイキングコースから外れる。「グリーンライン」沿いのコースをこのまま行くと、大野峠から芦ヶ久保の果樹公園につづく。

 

 


 

 尾根のバリルート(バリエーション・ルート。路のない場所の山歩き)をゆく。ホオノキとミズナラの落ち葉でふかふかだ。路はないが、歩くには苦労しない。↓「グリーンライン」の先の峰々が見える。

 

 

 


 芦ヶ久保の谷間。正丸峠の秩父側だ。遠景は秩父の山々だろう。
 

 



 地形図によると、↓このあたりが 867mピークだ。山桜の巨樹が多い。春の華やかさが想像できる。

 

 


 

 

 下りは、かすかに踏み跡ができているが、たよるのは危ない。けものみちかもしれないからだ。地形をよく見て、尾根に沿ってルートを見つけてゆく。

 

 

 

 

 陽が差してきた。紅葉はないが、樹々が葉を落としたので明るいのはありがたい。

 

 

 


 ↓きょう歩いて来た「グリーンライン」沿いの尾根が見える。

 

 

 

 

 いったん車道に下りてから、「虚空蔵峠」↓で、ふたたび山路に入る。こんどは正規のハイキングコースだ。

 

 

 

 

 「虚空蔵峠」にある石祠。年代不詳の古い石仏、虚空蔵菩薩だそうだ。

 

 

 

 

 この峠は、かつて秩父地方で狩り集められ、九州へ旅した防人(さきもり)たちも越えたという。秩父でいちばん古い峠なのだ。(たとえば:⇒峠歩きの景色)。万葉集に、その証拠になる防人歌があるらしいのだが、それ以上のことはネットではわからない。↓この歌が、そうだろうか?

 

 

 武蔵嶺(むさしね)の 小峰(おみね)見隠(みかく)し 忘れ行(ゆ)く 君が名懸(なか)けて 吾(あ)を音(ね)し泣くる

 

 「日ごろ慣れ親しんでいた武蔵嶺の峰を、見ぬふりして忘れてしまおうとするあなた。それなのに、あなたは私に、そういうあなたの名を呼んで声をあげて泣かせるのだ。」

 


 『万葉集』第14巻3362番の異伝歌で、この歌の「武蔵嶺」は、江戸時代の国学者の説によって、秩父の山々、なかんづく武甲山を指すというのが通説。18世紀の賀茂真淵『万葉考』に、そう書いてある。当時、秩父市吉田には、この歌を刻んだ石碑があった。碑が古くなると新しい碑に写して再建する、というつらなりで、現在は“3代目”の碑が立っている。このような経緯から、最近の伊藤博『万葉集釈註』でも、防人として召集され、「慣れ親しんだ山を越えて旅立って行った夫を偲ぶ妻の歌」と、解説されている。

 

 とはいっても、刊本の万葉集ではなく石碑で伝えられてきた歌だけに、さまざまな学説があって、謎も多いようだ。詳しくは:⇒こちらの論文。また、こちらに膨大な参考文献リスト。私のような素人は気が遠くなってしまう。

 

 「小峰見隠し」のクダリも、私などは、「防人として召集されたあなたが、峠を越えてゆくと、故郷の小さな峰は嶺々のあいだを見え隠れして、やがて忘れられてしまう。同じように、あなたは私のこともだんだんに忘れて、遠くへ去ってゆく」と理解したくなる。古歌の本意とはちがうのかもしれないが。。。

 

 そういえば、その『万葉集』と防人の時代、「和同開珎」の銅を産出した(※)和銅遺跡」は、この近くにある。当時、朝廷の勢力が秩父に深く及んでいたのはまちがえがない。「武蔵嶺」の歌と峠道のかかわりは、国文学だけでなく、歴史のテーマとしてもおもしろいだろう。

 

 この歌ひとつで、大学の卒業論文くらいは十分に書けそうだ。われと思わん文科系の方、ぜひアタックしていただきたい。

 

※ 「和同開珎」は、まず銀貨で、つづいて銅貨で発行された。その銅は、秩父のほか、長門・周防の鉱山からも供給されている。なお、「和同開珎」は日本最初の貨幣ではなく、それ以前に「富本銭」「無文銀銭」があった。⇒wiki「和同開珎」

 


 虚空蔵峠から尾根伝いに登り返してゆくと、木の間越しに武甲山が見えた↓。中央左寄りの尖った山影。秩父に近づいたのがわかる。

 

 防人の越えた峠が虚空蔵峠だったという推定も、ここから武甲山――「武蔵嶺の小峰」――が見えるという現場の景観が、ひとつの根拠になっているのかもしれない。

 

 

 

 

 ↓尾根すじの路を旧・正丸峠に向かう。尾根は瘠せているし、コブも多い。どうしてなかなか手ごわい路だ。さっきのバリルートのほうが、よほど楽だった。←

 

 

 


 ところどころ岩混じりになる。苔がついていて滑りやすい。

 

 


 

 左側がひらけた。「グリーンライン」の尾根が遠くまで見える。

 

 

 

 

 黄葉が少しだけある。ミズナラのようだ。旧・正丸峠に近づくと、カシワが増えた。

 

 

 


 ↓「旧正丸峠」に到着。南側に国道の正丸峠ができたので、ここは「旧」になった(さらに 1982年には北側に「正丸トンネル」が開通したので、国道はそちらに移った)。しかし、中世以来往来の多い峠だった。明治以後も鉄道ができるまで、秩父の絹を、東京や輸出港横浜へ運び出すには、もっぱらこの峠道が使われた。

 

 

 

 

 峠道を飯能方面に下る。↓宝暦5(1755)年建立の馬頭観音。正丸峠越えの古い石仏。網のような苔に覆われて、すっかり磨滅しているが、お供えが絶えない。ハイカーの日記でもよく触れられている。

 

 

 

 

 ↓高麗川(こまがわ)の谷に下りて来た。

 

 

 


 高麗川沿い。ここまで下りると、ようやくイロハカエデの紅葉が見られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイムレコード 20211123 [無印は気圧高度]
 (2)から - 刈場坂峠1150 - 1158横見山1210 [866m] - 1213牛立久保[846m] - 1219二子山1221 [866m] - 1230 867mピーク1233 [870m] - 1258虚空蔵峠1310 [723m] - 1406旧正丸峠1410 [665m] - 1423車道交差1438 [540m] - 1525正丸駅 [303m] 。