通称「やまでら」立石寺(りゅうしゃくじ,りっしゃくじ)の最奥・最高所には、「如法堂」(奥ノ院)と「大仏殿」が並んで立つ。「如法堂」は修行者・巡礼者向き、「大仏殿」は、この寺の観光向きの顔だ。
昇って来ると、向かって右が「如法堂」↑。釈迦如来と多宝如来を本尊とし、「如法経」による写経を修行として行なう場所。
「如法経」という経典があるわけではない。書写するお経は、『法華経』がふつうだ。「如法経」とは、一定の作法に則って行われる写経で、作法は宗派ごとに異なる。1日3回の勤行を行なって斎戒沐浴するとか、1日6回の「懺悔の行(さんげのぎょう)」を21日間行なった後はじめて写経に取りかかれるとか、手間のかかる修行の過程で写経もする、というかんじになる。経典を書き写すことよりも、懺悔浄化の修行のほうに重点がある。
立石寺のHPによると、この寺の作法は、「石墨草筆 一字三礼」とのこと。具体的に分からないが、よほどたいへんな作業のようだ。
↑「大仏殿」。お線香を供えて、高さ5メートルの阿弥陀如来像を拝む。アミダ様の大仏とは、わかりやすい。この大仏さまに拝んでおけば、このヒト(人と仏はちがうか?)が直接お迎えに来てくれるっちゅーわけだ。横に、護り札の販売ブース(って言っちゃいけないんかな?)もあって、まるで神社のように観光向きだ。
ふりかえると、もう夕方近いそらだ。
昇って来た石段を下りる。修学旅行生が多い。彼らのあとに附いて、「五大堂」と「開山堂」のほうへ向かう。正面の山は、蔵王のようだ。
釈迦ヶ峰↓。修行者のための岩場。転落死した僧も多かったという。
↓開山堂。円仁の木像を安置する。左の赤い小さな建築物は納経堂で、「如法堂」で写経した『法華経』は4年ごとにここに納める。
納経堂の直下に「入定窟」という自然の洞窟があり、円仁の遺体が置かれているというが、こちらからは見えない。死後1200年経っている。ミイラでなければ、骨さえ跡形も残っていないのではないか。
↓納経堂。この寺でいちばん古い建物だという。
開山堂から数メートル昇ると、「五大堂」がある。清水寺の「舞台」のような展望所で、遠方の山々までよく見える。
「五大」とは、五大明王(みょうおう)のことだと説明されているが、ここから広々とした風光を眺めていると、古代インド哲学で“5元素”を意味する「五大」ではないかと思えてくる。地・水・火・風・空(くう)。「空(くう)」とは真空のこと。真空を元素のひとつにしているので、ギリシャの“4元素説”より1つ多い。「無いものは無い」と言って真空を否定したアリストテレスよりも、原子と原子のあいだは真空だと言ったデモクリトスに近い。原始仏教は、科学的だったのだ。ところが、《大乗仏教》の宗教改革で、「すべては空(くう)である」ということになって、東洋では科学は窒息させられてしまった。
↓「五大堂」から正面を眺める。谷間の右奥は蔵王。左奥は、大東岳方面。
視野を左に移す。左手前は、南面白山(みなみおもしろやま)。右奥は、大東岳、小東岳、神室(かむろ)岳。
開山堂をあとにして、メインの参道に戻る。↓「性相院(しょうぞういん)」。背後は釈迦ヶ峰。
仁王門を通過↓。
山門まで降りて来た↓。山門と本坊のあいだにある池が、池の名前はわからないが、紅葉のさかりだ。
駅に戻るとちゅう、立谷川の橋からの風景も捨てがたい。
左は南面白山。中央は小東岳につづく尾根。鉄橋は仙山線。
↓「山寺芭蕉記念館」は、駅のとなりで線路のガードをくぐって反対側の丘の上にある。駅から徒歩10分見当だ。山寺にある句碑などは、続け字で読めないし、説明もない。「記念館」には詳しい展示があってありがたい。
そればかりではない。ここでの展示から、私たちはとりわけ、“等身大の松尾芭蕉”を知ることができる。『奥の細道』に掲載された俳句は、何度も推敲して書き換えられた後のものなのだ。芭蕉の紀行文じたいも、いわば一人称の小説だ。けっしてノンフィクションでも記録でもない。たとえば、
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の聲
この句も、最初に書かれた形は、つぎのようだった。
山寺や 石にしみつく 蝉の聲
じっさいの山寺の現場で、芭蕉が受けた印象は、こういうものだったのだ。「閑かさ」とか「静寂」「わび」「さび」というような要素は、少なくとも言葉の表現としては、最初は無かった。それは、あとから“フィクション”として付け加えられた感慨なのだ。
「閑かさや‥‥」の句を読んで、「蝉の鳴き声は、『しずか』なんかじゃない。やかましいじゃないか」と言う人がいる。その常識的な感性こそ大切なのだ。芭蕉も、現場では「閑かさ」など感じてはいなかったのだから。
芭蕉の聞いた蝉は、ミンミンゼミやアブラゼミではなく、ニイニイゼミかエゾハルゼミだったと思われる(⇒:ウェザーニュース)。昔は関東にはいなかったエゾハルゼミが、最近は北関東でも聞かれるようになった。セミの種類と分布は、時代によって変化している。
ごうごうと谷間に響きわたるようなエゾハルゼミの低い鳴き声が、硬い岩壁に反響して、鳴き止んでもまだ、岩層の奥深くから聞こえてくるような気がする――そういう不可思議な発見と愕きが、芭蕉の“原体験”ではなかったろうか?
タイムレコード 20211110
(1)から - 1453奥ノ院1504 - 1511開山堂・五大堂1529 - 山門1544 - 1600山寺駅。