斎藤幸平氏が⇒: 『大洪水の前に』の中で推奨している本。1989年という英米のエコ・マルクシズムもまだ出ていない時点で、マルクスのエコロジカルな観点を本格的に読みとって世に示した記念碑的先駆作である。
未来社など、社会経済史では名の通った出版社から多数の訳書・著書を出していた著者が、この本だけは、「世界書院」という・クセのあるマイナーな書肆から出版しているのは、何か理由があるのか?
もちろん現在では品切れで、現時点でアマゾン傘下の古書店にも1冊しか残っていない。しかも、かなり値が張る。入手したい向きは、急いだほうがよいだろう。
書評、「あらすじ」等も、ネットにはまったく見あたらないので、拙ブログでかんたんに紹介しておきたい。
この本は、「第1章」「第2章」の2部構成で、「第1章」では、マルクス・エコロジーの理論的な問題を扱い、「第2章」では、「日本の模範的な農業」というマルクスの指摘や、リービッヒ化学の影響、農業貿易自由化政策への批判など、今日的な問題を論じています。今回は「第1章」のみをざっと紹介し、「第2章」についてはまたいつか、まとめたいと思います。
第1章1 『哲学の貧困』(1847)における「近代的土地所有論」への道
「近代的土地所有」とは何であったか? マルクスの答えを一言でいえば、農業生産を資本主義に屈服させるための制度であった、と言えます。《大地》を、その上で生きている人間から切り離して、綿布や鋼材と同じように「商品」にしてしまう、‥、そうやって、農業を資本の投資対象とすること。それが「近代的土地所有」制度――所有権の絶対性、排他性、永遠性――を確立する意味なのです。
しかし、そこには、『経済学・哲学手稿』(1844),『ドイツ・イデオロギー』(1845-47)を経て進められてきたマルクスの広汎な経済学・歴史研究と思索のあとが見られる。すなわち、古代社会や封建社会の農村から、資本主義に支配された工業化時代の農村へ、――という人類社会の大転換が、「近代的土地所有」成立の背景にはあります。
第1章2 『経済学・哲学手稿』における地代論の性格
農村における封建制から資本主義への移行は、①農民の領主に対する「人格的依存関係」、人格的不自由、領主の暴力的支配‥等々からの解放という側面と、②領主、農民それぞれが《大地》に対して有していた「やすらぎ」の関係、領主・農民間の「和気あいあい」とした関係・の破壊という側面、――この「二重の側面」をもっていました。
とくに、マルクスが『経哲手稿』で重視しているのは、②のほうの側面であり、「封建制度からの解放」「近代化」とは、同時に、人間が《大地》から切り離され、人間の生そのものである《自然との物質代謝》に亀裂を生じさせ、未曽有の《疎外》をもたらすことなのです。
第1章3 本源的蓄積の経済学的な本質と『資本論』(1867)における地代論
『資本論』第1巻第24章に描かれた「本源的蓄積」――人間を《大地》と農業生産から引き剥がして都市へと追い立ててゆく暴力的過程――の生々しい描写は、“ものがたり”としての『資本論』の白眉のひとつでしょう。
しかし、そこで見落としてならないのは、この過程によって、同時に、農民たちは「生産物の≪直接的享受・取得≫から完全に排除されてしまうことを通じて、生産者と大地との本源的な『和気あいあい』とした関係が喪失させられ」てしまうことです。鍬をふるって耕作する農民自身が、その土地の占有者であり、収穫物は、まず農民自身の手に取得される‥「小経営」という生産様式。親方みずから職人といっしょに働く手工業経営も、これと同種であると言えます。それらが、社会の主要な生産様式であるか、それとも、資本主義や奴隷制のように、そうでないかが、社会構成体の相異を見きわめるうえで、決定的な部分だ、とマルクスは言うのです。
つまり、「生産」そのもの、「生産手段」の所有などよりも、できあがった生産物を誰が最初に取得するのか――「取得様式」こそが、重要であると。これは、従来の「公式マルクス主義」とは真っ向から反する見解ですが、たしかに、『資本論』には、そう書いてある。
「マルクス主義」者たちは、1世紀にわたって嘘をついて騙してきたのか? 「マルクス主義」の信奉者たちは、マルクスが『資本論』に書いたのとは違う大ウソを注入されて信じてきたのか?
じつは、この違いは重大なのです。それによって、未来に想定される「社会主義」社会の内容が、まったく異なってくるからです。
ギトン註―― ちなみに、第2次大戦中、スターリンのソ連は脇が甘くて、マルクスの遺稿を公表してしまった。その結果、戦後になると少しずつウソがバレてきたので、「マルクス主義」者の一部は「切断」という免罪符を発明しました。マルクス主義とスターリンを「切断」して、スターリンは「悪者」、マルクス主義は「いいもん」。マルクスとエンゲルスを「切断」して、マルクスは「いいもん」、エンゲルスは「わるもん」。‥‥⇒ついには、マルクスを「切断」して、前期マルクスは「いいもん」、後期マルクスは「わるもん」。←アルチュセールとその威を借りた狐たちの免罪符販売によって、「マルクス主義」は子供騙し(子供は騙されないが)に成り下がったのでした。
第1章7 勤労者の取得様式と後期マルクス・エンゲルスによる《社会主義の旗印》としての「生産者の自由」
20世紀の社会主義運動史のなかでは、社会主義国家が、資本家からも、小さな生産者からも、土地、工場をはじめとする「生産手段」を取り上げて、「国有化」するのが「社会主義」だと言われてきました。
ところが、『資本論』に書かれている未来社会は、それとはまったく異なるものなのです。「個人的所有の再建」命題、と呼ばれるものが、それです:
「資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式〔生産を行なう労働者が、生産物の取得から閉め出される様式――ギトン註〕は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働にもとづく個人的私有〔独立自営農民のような場合。生産者が直接自分の生産物を取得する。――ギトン註〕の第一の否定である。しかし、資本主義的生産は、〔…〕それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定〔資本主義の否定――ギトン註〕は、私有を再建しはしないが、しかし、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有とを基礎とする個人的所有をつくりだすのである。」(『資本論』,国民文庫版,第3冊,p.438.)
まるで判じ物のような解りにくい記述です。「協業」は解る。巨大な機械装置をそなえた工場を労働者が、このパイプは俺のもの、その圧延機の右半分は君のもの、などと分割するのもナンセンスです。工場生産を続けるなら、「協業と土地の共同占有と……生産手段の共同占有」は必須でしょう。農場の共同占有も、イメージとしては解ります。解らないのは、それがどうして「個人的所有」なのかです。
著者の解釈は、この「個人的所有」とは、生産物を生産者が直接取得する「取得様式」のことだ。独立自営農民あるいは「小経営」が持っていた・このような「取得様式」が資本主義によって解体されてしまったあと、社会主義によって「再建」されるのだと。つまり、土地も工場も農場も、国家が所有するのでも管理するのでもなく、そこで働く生産者自身が共同で所有し、自分たちで民主的に管理して生産を行なう――ということです。したがって、マルクスが思い描いていた未来像は、これはもう「生産手段の国有化」などではない。むしろ、国家の干渉を受けない自立的な団体:「生産協同組合」に近いものだったことがわかるのです。
(福富氏による↑この「個人的所有の再建」命題の読解は、『資本論』準備草稿の一部である『資本主義的生産に先行する諸形態』の用語例をみれば、もっと容易に、同じ結論をえることができます。『諸形態』でマルクスは、古代ギリシャ・ローマでは、市民は、国有地の利用権を奪われていたがゆえに「私的所有者」だった、というのです。なぜなら、「私的 privat」の語源は「奪われた privirt」(cf. deprive, privation)だからです。これに対して、ゲルマン人の共同体では、構成員は共有地を利用する権利を保持しており、耕作可能な土地は個人の耕作に委ねられたがゆえに「個人的所有」だった、と述べています。したがって、『資本論』で、「私有を再建しはしないが」と述べているのは、「国有化はしない」という宣言にほかなりません。――ギトン)
じっさいに、そういう「共同管理農場」が行なわれた実例があります。1968年チェコスロヴァキアにおける「プラハの春」改革運動の一環として実験的に試みられたのですが、ソ連の軍事介入によって潰されてしまいました。(p.115) (『存在の耐えられない軽さ』という映画のラスト・シーンに、その「共同管理農場」がちょっとだけ出てきます。主人公のあっけない死は、共同管理が抹殺された歴史的悲劇を象徴しているんだな、と気づいたのは、見てから何年もたってからのことでしたが。。。ともかく印象に残るラストでした――ギトン)
もっとも、逆に気になるのは、ロシアや英国の広大な小麦農場ならともかく、東アジアの・手間のかかる水田稲作や園芸的な蔬菜栽培は、はたして集団的な耕作や管理に適しているか? ということです。中国でもヴェトナムでも、集団農場は早々と解体しています。北朝鮮では、集団農場は凶作を繰り返し、その傍らで半ば非合法な農民小経営とヤミ市場が、事実上、国の経済を支えています(国連機関の警告とは異なって、ある程度の余力があるのはそのためです)。
しかし、耕地は個人の管理に任されても、灌漑施設などは共同で管理せざるをえません。ばらばらな個人経営の単なる集合から、集団農場まで、「共同占有」にはさまざまなヴァリエーションがありうる、と理解することもできるのではないでしょうか? 外せないのはむしろ、どんなに「集団化」が進んでも、それは『個人的所有』の複合体であって、あくまでも“個人のものだ”、という点でしょう。
(著者は述べていませんが、じつは日本にも、マルクスの構想に近い共同管理農場の実例がありました。北海道ニセコの「狩太農団」です。ここは、第2次大戦前に地主の有島武郎によって解放された農場でしたが、解放のさい、有島は、小作人ひとりひとりの分割所有にすると、外部の業者や地主に騙されて農地を手放してしまうおそれがあると考え、札幌の弁護士の指導で、組合組織にしたのです。組合員となった旧小作人たちは、有島の死後、農産物の宣伝販売に力を入れて灌漑設備建設の借入金を返済し、戦時中の食糧供出にも耐えて農団を維持したのですが、戦後の「農地改革」で共産主義のレッテルを貼られ、解散させられたのです。「農地改革」の欺瞞性をこれほどよく示す実例もないでしょう。)
そして、さらに重要なことは、“生産者が生産物を直接取得する”という・この「個人所有」こそが、「生産者の自由」の基盤になる、と(マルクス、エンゲルスによっても著者によっても)主張されていることです。生産のあり方と、人びとの意識・思想との関係は、そうかんたんなことではない。一筋縄では行かないでしょう。しかし、すばらしい「自由」の目録を列挙した憲法を持ちながら、いっこうにその「自由」が発揮されないように見える・この国の現状を見るとき、‥‥それは、あらゆる「自由」の基盤となる「生産者の自由」が、危機に瀕しているからだ、という議論にも一理あるかもしれません。
かつては、自民党政権の“中道”的な保守性を支えていた「小経営」は、大資本の圧迫と系列化の下で、今すっかり活力を失っているように見えます。
第1章4 土地所有の歴史的諸形態の一つとしての封建的土地所有の独自的な内容と共同体のなかに統一された《小農民経営》
第1章5 小経営生産=取得様式のもとにおける「労働者自身の自由な個性」の発展
第1章6 今日における「自然と人間との関係」論の新しい提起と自然主義=人間主義の思想
これらは省略しましたが、たとえば、ミハイル・バフチンの『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』が明るみに出したような、中世の「小経営」取得様式の上での民衆の「自由な個性の発展」(pp.89-94f.)など、興味深い論点が多数提示されています。
さらに範囲を広げれば、同じ脈絡で、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動が掲げた「生活と芸術の一致」や、柳宗悦の日本民芸、朝鮮陶磁に関する議論などを扱えないだろうか、といった指摘(pp.73,132)に胸がふくらみます。
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