こんどは、「黒山三滝」のほうから「高山不動尊」へ昇ってみよう。
往路は、ごく一般的なハイキング・コースで、整備がゆきとどいている。林道と山みちを交互にしながら「奥武蔵グリーンライン」に上がり、不動尊・常楽院に至る。不動堂から奥の院・「関八州見晴台」に上がり、帰路は「四寸(しすん)みち」を戻る。こちらは、ほとんど放擲された路すじで、初心者にはお薦めできない崩落・危険個所もある。
「四寸みち」は、古くは「高山街道」とも呼ばれ、「高山不動尊」の表参道であったという(⇒:『日本山岳会埼玉支部報』松本敏夫「四寸道を行く」)。『新編武蔵風土記稿』(1830年)にも記載がある。たしかに、西武鉄道ができるより前は、平野部から「高山不動尊」に至る・いちばん近いルートは、この経路だったろう。しかし、現在では、「四寸みち」は参道として使われることはなく、林道の建設で寸断され、一部の区間はたいへんに荒れている。この古道を踏んでおくことにしたい。
東武線「越生(おごせ)」駅で「梅林」経由のバスに乗り、終点の「黒山」で降りる。2月も半ばを過ぎたというのに、「越生梅林」はまだ、大半の樹が枯れ木のままだった。高地にある「不動尊」のほうが、日当たりが良いだけかえって春が早いようだ。
「三滝」に寄って、滝を撮影して行くことにする。「黒山」の標高は 170メートル。
「黒山三滝」は、もと、京都・聖護院を本山とする修験道「本山派」の活動拠点とされ、その起源は室町時代に遡る(1398年開山)。幕末からは観光地化され、明治期には鉱泉が発見されて賑い、夏目漱石、田山花袋をはじめとする多くの文人が訪れた。現地には、温泉施設のほか「黒山文学館」というのまである。とても寄ってみる気にはならないが←
「天狗滝(てんぐだき)」↑。落差 13.6メートル。うしろの樹と比べると、滝の巨きさがわかるだろう。
↑「男滝」(右上)と「女滝」。
↑「男滝」。豊富な水量が、滝に迫力を与えている。上流へ昇ってゆくと、沢の幅が広くなった・自然の貯水池のような場所がある。それが、「男女滝」の迫力の秘密であるようだ。
滝のわきに、崖を登ってゆく路があり、上部を走っている「猿岩林道」に出る。しばらくは、ゆるやかな車道歩きになる。
↑ここで「猿岩林道」と岐れ、山路に入る。標高 390メートル圏。ゴムホースの水場が設置されている。この水は、沢の上流から引いてきている。
「猿岩林道」と岐れてまもなく、路の崖側に巨きな岩が現れる。410メートル圏。登山地図にある「狼岩」は、これだろう。
オオカミというより、羽をひろげた鷲かコンドルに見える。
↓430メートル圏。ここにも水場があって、奥の湧き水を引いている。さっきの入口の水場も、ここからホースで引いているようだ。
杉、ヒノキの暗い植林から、アカガシ、コナラ、エンコウカエデなどの明るい広葉樹林に変わり、ひと登りすると、「花立松ノ峠」手前で「猿岩林道」に上り着く。ここは、平野部の展望がよいスポットだ↓。遠く、筑波山のシルエット。
「花立松ノ峠」↓。昇ってきた「猿岩林道」が「奥武蔵グリーンライン」(左)と合流している。GPS高度 623メートル。
一般的な登山道は、「グリーンライン」の少し先で岐れて、尾根通しに「関八州見晴台」に上がってゆくが、「見晴台」は帰り路に寄ることにして、このまま「グリーンライン」を車道歩き。ちょくで「高山不動尊」に向かう。
道路沿いの杉のあいだから、「大岳山」が見える↓。
「鳥居址(あと)」。GPSで 655メートル。ここは、高山不動の“ヒナ壇”の・いちばん上の段になる。
この日も、「虚空蔵山」に登ろうとしたのだが、北側から尾根伝いに行こうとしたら、途中で径が消えて敗退した。↓敗退地点の小ピークで撮影。密生したヒノキとアセビに囲まれている。
その次の回に、こんどは逆に南側から登ったら、かんたんに縦走できてしまったことは、前回ご報告したとおり。
「高山不動」の“ヒナ壇”を昇り下りしていると、あちこちで展望のスポットに出くわす。山の風景なら、「関八州見晴台」よりもこのへんのほうが良いくらいだ。
いちばん奥(中央から左方)に、都県境の峰々が並ぶ。「蕎麦粒山 1473m」「三ツドッケ 1576m」「大平山 1603m」……それぞれ、遠くからでも判る特徴ある形だ。
2列目は、「有間山 1213m」から「鳥首峠 953m」の下降を経て「大持山 1294m」「小持山」に列なる、奥武蔵最奥の山列。右端に「武甲山 1304m」の三角形が突出する。
そして、最前列は「伊豆ヶ岳 851m」―「前武川岳」―「武川岳 1052m」(木の枝に隠れている)の低山の尾根すじだ。
遠くが高く、近くが低く、これだけみごとに並んだ山風景は珍しいだろう。
↑ここからは、上のパノラマの右半分が、よく見える。「伊豆ヶ岳」の・ごつごつした特徴ある形がよく分かる。「大持山」は、ここから見ても奥武蔵の盟主にふさわしい優美な山容だ。
↑右に「武甲山」、電線のあいだに「大持山」。「小持山」は、前景の「武川岳」と重なっている。
↓つぎの3枚は、“ヒナ壇”の最上段から。まず、左半分の展望。
え? 富士山は見えないのかって? 見えてますよ。‥では、拡大して進ぜよう↓。
冠雪したてっぺんが覗いてるでしょ? 富士山の左手前は、奥多摩の「御前山」。その左手前は、先日行った「棒ノ折(おれ)」。「ゴンジリ峠」の平らな肩も見える。 右へ眼を移すと↓
ソバの実のような尖んがりが「蕎麦粒山」、口を上に開いたような「三ツドッケ」、ゆるやかに円い「大平山」。
ちなみに、「○○ドッケ」という山が、このへんには多い。「ドッケ」は古代朝鮮語で「とげ」「とがったもの」という意味だそうだ。「天下大将軍」の標柱で名高い「高麗(こま)神社」もほど近い。この地方には、多くの渡来人が住みついたのだろう。
「不動堂」をあとにして山みちに入り、「奥の院」のある「関八州見晴台」に昇る。途中、「グリーンライン」の車道にいったん出て、すぐまた山路に入る↓。真新しい石標に、「関八州見晴台入口」とある。
「関八州見晴台」に到着。
環境庁の看板によると標高771.1mだが、GPS高度は 761メートル。私の気圧高度計は 776メートル。どれがほんとか分からない。平野の展望が開けて爽快だ。
この山頂にある「高山不動尊・奥の院」。古いものではなさそうだが、銅板葺き宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根が洒落ている。
都県境尾根から「伊豆ヶ岳」まで、3列に並んだ山並と右端の「武甲山」は、下で見たのと同じ。ただ、ここは藪がうるさい↓
ずっと左には、御岳山、高尾山から丹沢、大山まで見えるのだが、遠くて霞んでいるので省略。
東京方面を見透かすと、ぎっしりと林立する高層ビルの群れ。じっと見ていると、気持ちが悪くなる。こういう風景が苦手なのは私だけだろうか。
さて、ここで遅いお昼にしたあと、いよいよ「四寸みち」を下ってゆく。かつての表参道は、往年の姿を残しているだろうか?
【つづく】
タイムレコード 20210216
「黒山」バス停943 - 957天狗滝1002 - 1007女滝・男滝 - 1027滝の上(「猿岩林道」合流点)1030 - 1035休憩(「猿岩林道」途上)1043 - 1055水場・「猿岩林道」岐れ1102 - 1127「猿岩林道」出合い1130 - 1137花立松ノ峠 - 1152鳥居址1155 - 1202「虚空蔵山」北の小ピーク1205 - 1220「八徳」分岐点 - 1226不動堂1240 - 1250最上壇1300 - 1310「グリーンライン」合流・岐れ - 1316関八州見晴台1345 - (3)に続く。