小説・詩ランキング

 

 

 

 韓国の日刊紙『ハンギョレ』に掲載されたインタビュー記事からダイジェストをお届けします。

 

 前回は、バイデン政権の朝鮮半島政策を、政権OBへのインタビュー記事(中央日報)から探りました。それによると、バイデン政権は、トランプ政権の「トップダウン」対話政策を承継しないが、オバマ政権の「戦略的忍耐」(事実上の放置)にも戻らないということでした。‥‥それでは、そのどちらでもない・どんなことをするのか? という点は、いまひとつ不分明だったと思います。

 

 カミングス教授は、オバマ政権の北朝鮮政策に対して批判的であり、バイデン政権は、オバマ政権の誤った政策に戻ると予想しています(この記事は、去年6月時点のものです)。したがって、バイデン政権下では、北朝鮮の「非核化」も、朝鮮半島の平和プロセス(「朝鮮戦争」の終結)も、進展する希望はない。ただ、米政権の交替にかかわらず北朝鮮との対話を続けようとしている韓国・文在寅政権にだけ、わずかな希望が見いだせる、としています。

 

 カミングス教授によれば、北朝鮮に対しては、対話などによって「関与」してゆくことが重要で、北朝鮮を「孤立」させることが、最も悪影響を及ぼす。「孤立」した金政権は、「孤立」によっても「制裁」によっても、まったく揺らぐことはなく、むしろ着々と《軍備増強》と《核兵器開発》を進める。それは、これまでの歴史(1950年代以来の「制裁」の歴史)が証明している、というのです。

 

 もちろん、北朝鮮・金政権としても、国力に見合わない《軍備増強》や《核兵器開発》は大きな負担で、人民生活の貧困化、経済開発の遅れ、そして不満を抑えるための強権体制のいっそうの強化をもたらします。しかし、「孤立」と「制裁」による圧迫が、心理的にも現実的にも、それを強いているのです。

 

 北朝鮮という国家は、世界の国のなかで最も長い期間にわたって、「制裁」による圧迫の経験を積んできた国です。そのため、もはや、「制裁」によって内部崩壊を起すことはありえなくなっている。社会体制が、そのように編成されてしまっている(いわば「制裁」免疫説)。オバマ政権の失敗は、ヒラリー・クリントンが、その点を見誤ったことによる。そして、ジョー・バイデンもまた、この点を反省しなければ、ヒラリーの轍を踏むことになる。。。

 

 前回のメディロス氏とは対照的な、カミングス氏の見解をご紹介したいと思います。


 ブルース・カミングス氏(77)は、アメリカ合衆国の歴史学者。シカゴ大学教授で朝鮮半島近現代史研究の権威。専門は、政治学、朝鮮半島を中心とする東アジア政治。高齢にもかかわらず、大学で講義を続け、最近の朝鮮半島周辺情勢についても探求を続けるなど、旺盛に活動している。 

 

 カミングス氏は、記念碑的著書『朝鮮戦争の起源1・2』(1981年、1990年)で「朝鮮戦争」研究に新たな見解を提示し、学界に波紋を投げかけた。

 

 彼は、「朝鮮戦争」における旧ソ連の責任を中心としたこれまでの伝統的アプローチを拒否し、1945年の解放後続いた朝鮮半島の左右内戦が「朝鮮戦争」につながったという分析を示した。また、そうなった主な原因と責任を、親日派の起用など米国の行為に求めるのが彼の見解だ。


 1990年代に旧ソ連の機密文書が公開され、「金日成(キム・イルソン)主席がスターリンの承認を受けて、韓国を侵略した」事実――それが朝鮮戦争勃発の真相だった――が明らかになった。そこから、カミングス教授の“修正主義”に対する批判も強まった。しかし、教授は、「誰が先に引き金を引いたかよりも、いかなる脈絡で戦争が起きたのかを理解すべき」と反論して所信を貫いている。

 カミングス教授は 1967~68年、平和奉仕団の一員として韓国・善隣中学校で英語を教え、韓国との縁を持った。教え子である韓国系米国人と結婚した。『朝鮮戦争の起源1・2』のほか、『現代朝鮮の歴史』『朝鮮戦争論――忘れられたジェノサイド』などの著書がある。

 

――――――――――――――――――

 

 

 


 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/international/37059.html

 



『カミングス教授は、「文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、金大中(キム・テジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領を越えて、北朝鮮に最も多く関与(engage)した」とし、「文大統領が北朝鮮に引き続き関与することが非常に重要だ」と述べた。朝鮮戦争勃発70周年を迎え、ハンギョレと行なった書面インタビューで、文在寅政府の対北朝鮮政策をこのように評価した。

 

 カミングス教授は、「北朝鮮は文在寅大統領を非難しているが、依然として文大統領をともに問題を解決できる人だと見ている」と指摘した。また、北朝鮮に「最大限の圧力」を加えるべきだという一部の主張を強い口調で批判した。これについて、「最大限の圧力が北朝鮮の行動に肯定的な変化をもたらしたという証拠は見られない」とし、「最大限の圧力の論理的帰結は戦争だ。朝鮮戦争は、国家的分断に対しては軍事的解決策は無いということを示した」と強調した。

 カミングス教授は、北朝鮮の核問題について、「北朝鮮の核開発プログラムを現在のレベルで封印する(cap)のが最善の解決策だ」という見解も明らかにした。さらに、「北朝鮮が事実上、核保有国という点を考慮すると、北朝鮮の核開発プログラムを全部除去しようとして失敗するよりは、その制限に向けて努力するのが韓米にとって最善の解決策」だと説明した。さらに「最終的かつ完全に検証された非核化(FFVD)という米国の要求は、これまで進展をもたらしていない」とし、「したがって、新たな方向が必要だ」と付け加えた。

 ―――25日は朝鮮戦争勃発70周年だ。朝鮮半島の分断はまだ解決していない。韓国と北朝鮮はまだ終戦ではなく休戦状態だ。この長い分断とは何を意味するのか。この長い分断の主な理由は何だと思うか。

 

「朝鮮半島の人々にとって、この長い分断は、心無い決定が、長い歴史を有する国をいかにして二分し、終わりが見えないまま2世代以上分裂させ続けてきたかを示している。心無い決定とは、1945年8月10~11日の真夜中にジョン・マッコイ米戦争部次官が、ディーン・ラスク大佐とその同僚に、隣の部屋に行って、朝鮮半島の人々とはもちろん、どんな同盟とも相談せずに、朝鮮半島を分割する場所を決めるよう指示したことで起きた結果を指す。これは、朝鮮半島の人々が自国の運命を自ら決められなかったことに伴う・取り返しのつかない結果であり、南北朝鮮は朝鮮半島に住む人々のものであるという・古い歴史的真実に対する裏切りでもあった。

 この決定は、朝鮮半島に住む人たちの間に内戦の条件を作り上げた。同族同士の殺し合いが、いきなり現実味を帯びてきた。その後、米国が 1950年代に朝鮮戦争に介入した際、我々米国人は、戦争に介入するのは容易でも、そこから抜け出すのはどれほど大変かを痛感させられた。この点で、南北と米国は、共に歴史の拘束服を着せられた。

 この長い分断には様々な理由があるが、米国人として私は、何も知らない国に攻め込んだ米国の指導者たちに責任があると思う。その点で朝鮮戦争はその後、ベトナムやアフガニスタン、イラクなどすべての『終わりなき戦争』(ベトナムでの敗北を除く)のパターンを作り出した。これらの戦争は、自分が保護しようとする人たちとその文化について知らなければ勝てないことを、如実に示している。米国は、『戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない』というクラウゼヴィッツの命題を無視してきた」

 ―――あなたの記念碑的著述である『朝鮮戦争の起源』が1981年に発表されてから39年が経った。 あなたはその本で、朝鮮戦争の構造的背景を掘り下げ、『朝鮮戦争は国際勢力が介入した内戦であり、朝鮮戦争に至る過程での米国の責任は非常に大きい』と著した。その分析は、今でも有効か。

 「その本を書いた当時よりも、私の結論が妥当であると、さらに確信を持っている。その理由は2つあるが、ひとつは、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が崩壊したにもかかわらず、北朝鮮は長い間生き延びてきたという非常に奥深い事実だ。北朝鮮も崩壊したなら、私の本が間違っていたことになるだろう。しかし、北朝鮮は崩壊しなかった。これは、革命的民族主義と反帝国主義の力が北朝鮮を支える主軸になっていることを示している。これはもちろん、偶然にも現在残っている共産国家の中国やベトナム、キューバにとっても同じだ。北朝鮮はソ連が作り出したものではなく、第2次世界大戦後に行われた東アジア革命の一部だった。

 ―――朝鮮戦争は、朝鮮半島にどのような遺産を残したのか。

 「韓国は明らかに防衛条約と、当時の世界で最も高いレベルの援助(人口一人当たり)など、米国の完全なる支援を得た。その後、米国は韓国の商品に米国市場を開放し、韓国の安価な労働力の利点を取り、韓国の輸出主導型開発を後押しするためにあらゆる支援策をとった。韓国は米国に安全を保障してもらい、主な産業国家に生まれ変わった。それは、アメリカによる“勝利戦略”(戦闘は引き分けだったにもかかわらず、戦後の復興援助によって、韓国側が勝利したかの外観を作り出すこと)だった。

 北朝鮮にとって戦争は完全な災いだった。米国の爆撃が北朝鮮の領土のすべての都市を破壊したため、北朝鮮ではまだ米国に対する国民的恨みが非常に強いだけでなく、自国民数百万人が犠牲になったにもかかわらず、北朝鮮の観点からすると、戦争目的も達成できなかった。特定しがたい様々な理由で、北朝鮮指導部はその結果、精神的に大きな衝撃を受け、国境外の誰も信じられず、隠遁状態になった」

 ―――朝鮮戦争後の韓国と北朝鮮の核心的な変化を挙げるとすれば?

 「韓国は、第一共和国(1948年の政府樹立から1960年の4.19革命までの李承晩
(イ・スンマン)政権)当時、民主的な形にもかかわらず独裁し、それは1990年代まで続いた。韓国軍は戦争によって強化され、その後、1961年(朴正煕(パク・チョンヒ)の)政権奪取でその力を誇示した。

 

 韓国人の偉大な業績の一つは、長い抵抗と流血事態を経験したが、結局軍隊を政治から追い出し、部隊に戻したことだ。

 私が言いたいのは、韓国の産業力量も誇りに思うべきだが、長い過程にわたる民主化の方が遥かに尊敬に値するという点だ。米国の評論家たちは、韓国が中間層を作るとともに民主化も成し遂げたことについて驚いている。実際、韓国人は軍事独裁の持続を防ぐ市民社会と政府形態を作るため、勇気と献身で40年間戦ってきた。21世紀に韓国のキャンドル行進は(盧武鉉)大統領を誕生させ、別の大統領(朴槿恵
(パク・クンヘ))を弾劾した。私は2002年の大統領選挙と2016年の弾劾の際、いずれもろうそく行進に参加した。そして、民主主義に対する熱い意志の中で見せた非暴力に深い感銘を受けた。韓国は独裁から脱し、民主化を成し遂げた模範だと思う。

 北朝鮮政権は、戦前は根本的に左派連合だったが、戦後に金日成はライバルを戦争の結果に対するスケープゴートにして体系的に粛清した。10年も経たないうちに金日成とその側近たちが北朝鮮の政治を掌握し、今日までもそうだ。根本的に民族主義的で観念的な哲学である「主体
(チュチェ)思想」の出現は、朝鮮の性理学(儒学の一学説)の遺産を反映し、北朝鮮の支配的理念になった。北朝鮮指導部は、依然としてその家族と主要な抗日ゲリラの子孫以外は信頼していないようだ。北朝鮮の指導体制は外国との信頼関係がなく、指導体制と住民の間でもあまり信頼がない」。

 ―――10年前に比べ、朝鮮半島で最も大きな変化は何だと思うか

 「金大中・盧武鉉元大統領から文在寅大統領まで多くの連続性がある。我々は金大中・盧武鉉元大統領が在任していた10年間同様、再び南北関係を進展させようとする文在寅大統領の時代を生きている。3人の大統領のうち、文大統領は北朝鮮への関与の面で、最も多くのことを行なってきた。また、北朝鮮にも金正日総書記から金正恩委員長まで多くの連続性がある。ある時はトランプ大統領がこの関与を促しているようにも見えたが、今はそれをあきらめたようだ。トランプ大統領は首脳会談では何も成し遂げられず、トランプ政権は自ら崩壊している」。

 





 

 ―――1990年に発生した、いわゆる北朝鮮核危機がまだ続いている。その解決に向けて『平和プロセス』が正しいという主張と『最大限の圧力』が解決策であるとの主張がある。あなたの見解はどうか

 「直接交渉は、1994年に北朝鮮のプルトニウムを凍結し、2000年に北朝鮮のミサイルを中断させる合意を導きだした。私の考えでは、このような政策が失敗したのは、ジョージ・W・ブッシュ元大統領が判断を誤ったためだ。

 

 『最大限の圧力』が北朝鮮を肯定的な変化に導いたという証拠はどこにも見当たらない。最大の圧力の論理的結論は戦争だ。しかし、朝鮮戦争が残した祝福の一つは、国家的分断に対して、軍事的な解決策はありえないことを、事実として示した点だ。就任初年度に北朝鮮との戦争を真剣に考慮していたトランプ大統領ですら、そのような結論に至った。金大中元大統領が主導した平和プロセスは、1990年代には非常に有望だったが、ジョージ・W・ブッシュ元大統領がその努力を台無しにしてしまった。

 文大統領は、前任者の金大中・盧武鉉元大統領よりさらに一歩進んだが、米国の支援なしには前進することができない。核問題は1990年代に解決できたと思う。実際、北朝鮮のプルトニウムは8年間凍結された。ところが、ブッシュ元大統領のイラク侵攻に驚き、北朝鮮が核兵器の開発に入った。もう後戻りはできないと思う。

 つまり、北朝鮮は近いうちに核保有国として認められるだろう。韓国と米国にとって最善策は、限られた数の原子爆弾とミサイルに核プログラムを封印(cap)することだ。北朝鮮は明らかに事実上の核保有国だ。米国と他の国々がそれに直ちに同意するとは思えないが、事実上の核保有という点を考慮すれば、今の状況で最善策は、北朝鮮の核開発計画をすべてなくそうとして失敗するよりは、核計画を制限しようと努力することだ『最終的かつ完全に検証された非核化(FFVD)』という米国の要求は、決して進展をもたらさなかった。だからこそ、新たな方向が必要だ」。

 ―――南北米関係は、文在寅-金正恩
(キム・ジョンウン)-トランプの3首脳体制のもと、非核化と朝鮮半島の平和に肯定的な変化をもたらせるかのように見えた。しかし、今は膠着状態に陥っている。この3者体制に、まだ非核化と朝鮮半島の平和のための希望の機会があると思うか

 「トランプ大統領は自分が何をしているか、あまりわかっていなかったようだが、金正恩委員長に会ったのは幸いだったと思う。それは、北朝鮮を孤立させようとしてこれまで失敗を重ねてきた試みを無視し、手を差し伸べる突破口だった。しかし、もうそれも終わったかもしれない。トランプ大統領はバイデン氏に負ける可能性が高く、バイデン氏はクリントン・オバマ大統領時代の制裁と北朝鮮孤立戦略に戻るだろう」。

 ―――北朝鮮は最近、南北通信線を遮断し、連絡事務所を爆破するとともに、軍事行動まで示唆したが、それを保留した。朝鮮半島を研究してきた研究者として北朝鮮の意図は何だと考えるか。また、韓国と米国はどのように対処すべきだと思うか

 「このようなことは何十年も続いてきたから、あまり驚いてはいない。北朝鮮は最近の挑発行為を通じて、主に米国にシグナルを送っていると思う。北朝鮮はトランプ政府の関心を引こうとしている。北朝鮮は今、文大統領を非難しているが、依然として文大統領を、ともに問題を解決できる人だと見ている」。

 ―――文在寅政府の対北朝鮮政策をどう思うか。韓国政府が南北関係を進展させようとしても、米国が『北朝鮮の非核化と南北関係の改善は共に進まなければならない』という態度を固守する限り、明らかな限界につきあたってしまう。この状況で、韓国は、依然として南北関係の改善に取り組むべきだと思うか

 「思う。文大統領が北朝鮮に関与し続けることは非常に重要だと思う。(米国の行動については)ワシントンに新政権が誕生するのを待ってみなければならない。意味のある何かが起きるとすれば、そのあとになる」。

 ―――文在寅大統領と金正恩
委員長に助言するなら、どんな言葉をかけたいか

 「朝鮮半島は朝鮮半島に住む人々のもので、外国の介入は少ないほど良いということを忘れないでほしいと言いたい。

 米国は北朝鮮を孤立させ、罰を与えようとしており、韓国を米国の政策に従うようにして、75年間分断を支える力として作用してきた。米国は朝鮮半島問題に持続的に介入する唯一の強大国だ。

 しかし、南北が自分の問題を独立的に扱うのが最善だ。もちろん、これが近い将来起きるとは思えないが、これは追求すべき目標だ」。


 ―――朝鮮半島の統一は実現可能だと考えるか

 「金大中元大統領が1998年2月の就任演説で明らかにした太陽政策が統一に向けた最善の戦略だと思う。しかし、それには米国の支持が必要だが、その支持は1998~2000年の間にあったものの、(ブッシュ大統領の就任とともに)蒸発してしまった」。

 ―――2020年11月の米大統領選挙の結果によって、米政府の朝鮮半島戦略はどうなるか

 「ジョー・バイデン氏は(核の)不拡散に焦点を置いたクリントン・オバマ政府の政策に戻るだろう。これは北朝鮮だけでなく、イランや過去のイラク、リビアも含めた政策だ。大きくは変わらないと思う。

 米国は北朝鮮との関係を正常化しなければならず、そうしてこそ米国は北朝鮮に影響力を持つことができるだろう。しかし、そのようなことが起きるとは思えない。」。

 ―――米国と中国の関係が悪化している。米中間の対立が朝鮮半島にはどのような影響を及ぼすと考えるか。米中間の対立の中で、韓国はどのような戦略を選ぶべきか

 「これまで米中間の対立は貿易と南シナ海問題、そして舌戦に限られており、韓国とはあまり関係がない。米国と中国の経済が大きく絡んでいるため、対立も限られるものとみられる。

 韓国は、1992年の中国との関係正常化以降、非常に賢く米国、中国いずれとも良い関係を維持してきた。それがすぐに変るとは思わない」』

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/international/13576.html

 


 ((オバマ政権の北朝鮮に対する「戦略的忍耐」政策を批判した 2012年のインタビュー記事を、ここに併録しておきます。))

 

 

「北朝鮮の成功的なミサイル発射は、オバマ行政府の‘戦略的忍耐’政策の貧困を証明した。 オバマの就任以後、北朝鮮は強力なプルトニウム核実験を成功裏に実施したし、3個の長距離ミサイルを発射した。 ついに3番目には衛星を上げることに成功した。 言い換えれば、北朝鮮は原子爆弾と長距離ミサイルを完成させる作業をますます進展させているわけだ。

  ‘戦略的忍耐’は、北朝鮮内に‘権力闘争’があり、この政権が崩壊するというヒラリー・クリントン国務長官の仮定に基づいたものだ。今や‘戦略的忍耐’は、全く戦略にはなり得ないということが明らかになった。 権力は、金正日から金正恩に、問題なく委譲された。米国は待ちに待つことによって、北朝鮮が強力なミサイル運搬能力を持つ核兵器国家に近づくことを許容している。」

 ―――韓国と米国は北朝鮮に対する制裁強化を推進している。 これは正しい対応か?

「北朝鮮はすでに世界歴史上、制裁を最も多く強く受けている政権だ。 1950年代以来この制裁は北朝鮮の行動を変化させることも出来なかった。 

 

 朝鮮戦争以来、北朝鮮との対話で唯一進展を見たのは1994年だった。 当時ビル・クリントン大統領が北朝鮮と交渉することを決め、8年間にわたり寧辺(ヨンビョン)施設を凍結させた。 1998年から2008年まで金大中盧武鉉前大統領は北韓と多くの重要なイシューについて交渉した。 1998年から2000年までは‘ペリープロセス’が効果的な交渉を引き出した。 イランとは異なり、北朝鮮との対話では成功の記録があることに注目しなければならない。」

 ―――最近ミャンマーを訪問したオバマ大統領は、北韓にミャンマーのような改革を行うよう促した。 北朝鮮がミャンマーの道を進むことが出来ると見るか?

「私はそうなるだろうとは予想しない。 ミャンマーには経済的にはるかに豊かな‘南ミャンマー’がなく、同族間の争いである戦争もなかった。〔北朝鮮が硬直した社会主義統制を維持しようとするのは、“豊かな南”に対抗する意識と、戦時体制のためが大きい。〕朝鮮戦争が最終的に終結して平和協定が署名されるまで、北朝鮮は、国民に対する統制を維持しなければならないと信じるはずだ。」

 ―――米国は昨年から‘アジア中心軸’(pivot to Asia)政策を明らかにして、2期オバマ行政府ではさらに強く推進する方針だ。 これが今後の東アジアにどんな影響を及ぼすと見るか

‘中心軸’は主に中国に対するものだが、これはまた、韓・米、米・日関係を強化するために考案されたものだ。

 〔‘中心軸’がもくろむのは、〕冷戦が20年前に終わったにもかかわらず、米国が冷戦時期に東アジアで持った地位の強化だ。‘中心軸’は、米国が軍隊を二つの戦争(第2次世界大戦と朝鮮戦争)から米国に復帰させることを阻むだろう。それは、韓国と日本に数万人の軍隊を維持するための・新たな正当化を、いつでも発見できるようにするための・もう一つの証拠として示されているようだ。」

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

  朝鮮戦争後の北と南の変化を回顧すると、韓国では、とくに 1960年の4.19革命以後の産業発展は著しく、教育熱心な中間層と意識の高い市民社会を作り上げてきました。カミングス教授によれば、日本植民地時代の抑圧の結果として、解放された1945年の時点では、中間層といえるようなものは、朝鮮半島には存在しなかった(この点は、日本の朝鮮近代史研究と見解が違います)。そのことが、左右対立を激化させ、朝鮮戦争をもたらしたのだ、と。そうであるにもかかわらず韓国で成し遂げられた中間層形成と民主化の“奇跡”に、教授は驚嘆しているのです。

 

 他方、北朝鮮での朝鮮戦争前夜の社会状況は、たとえば、脱北の韓国国会議員太永浩(テ・ヨンホ)氏の手記『三階書記室の暗号』に、氏のおいたちとともに書かれています。一言でいえば、中間層に対する徹底した抑圧と、《党》忠誠分子の抜擢が、農村の隅々に至るまで行われました。朝鮮戦争は、抑圧された中間層が《南》へ逃避する機会となったので、北では《党》に忠実な分子が社会を支配する傾向がますます強まりました。

 

  こうして形成された北朝鮮の社会は、《党》への「忠誠」のどあいによって市民が徹底的に序列化された階層社会であると思われます。最近のニュースでも伝えられる、水害復興のための「百日戦闘」――《党》による市民の組織的“下放”動員――も、(仕事を放棄して行くわけですから)経済的には破壊的影響があるはずですが、中間層の抑圧・序列化、精神動員・「人民」化という点では、積極的意味をもつと思われます。強権体制を、蘇生させ更新する効果を狙っているのでしょう。こうして、外部からの「孤立」と「制裁」に耐えられる強権体制が維持されるのです。 
 

 

  「北朝鮮はソ連の申し子ではなく、東アジア革命の一部として出現した」とカミングス教授が指摘している点についても、少し補足しておきたいと思います。

 

 和田春樹・東大名誉教授によれば、朝鮮戦争は、「中国解放戦争」の最終局面だったと言えます。対南侵略を進言した金日成に対して、スターリンは、中国の毛沢東の“同意”を条件にこれを許可しました。「国共内戦」に勝利して中国を解放したばかりの毛沢東は、早晩アメリカとの衝突は不可避だろうと予想し、衝突の場所として、中国本土でも、蒋介石が逃げ込んだ台湾でもなく、朝鮮半島が選ばれる結果となったことを喜んだのです(中国にとって被害の少ない戦争となったから)。

 

 朝鮮戦争は、最初から(正式に中国義勇軍が派遣される前から)中国が大きく関与した戦争でした。毛沢東の子息も戦死していますが、それでも中国は、朝鮮半島で米国と戦うことによって、自らの犠牲を最小限度にすることができたのでした。カミングス教授の研究は、朝鮮半島(朝鮮民族)内部の内戦から朝鮮戦争となった過程を綿密に論証しましたが、この戦争が、他面では、中国の「国共内戦」の“最終局面”でもあったことが看過されています。

 

 このことを重視すれば、朝鮮戦争の“終結”にほかならない「朝鮮半島平和プロセス」もまた、中国の参与なくしてはありえないのです。北朝鮮との「対話」と「非核化」もまた、そのプロセスの一部としてあるのであれば、やはり中国を引きこむことなくしては、進まない。これは、論理的帰結でしょう。

 

 最近、日米韓の「軍産複合体」サイドから、“核均衡論”が再び抬頭しています。北朝鮮の“核の脅威”に対抗して、日本、韓国などに中距離核戦力を配備しようという議論です。韓国の文政権は、核配備は「北東アジア核ドミノ」を誘発することになるとして、反対していますが、日本の自民党政権は、暗黙に推進しようとしているかもしれません。そのことが、立憲民主党の態度変化に現れています。同党は最近、「アメリカの核の傘」をしきりに強調し始めました。

 

 北東アジア「核ドミノ」を最も恐れているのは中国です。中国は、核兵器保有の量は大きいが、旧式であり、“近代化”は容易ではありません。北朝鮮の核開発の進展が、韓日台の「核ドミノ」をもたらすことを、中国はもっとも強く警戒していると思われます。しかし、そのことは、中国が、北朝鮮の核開発に無関心ではいられない、「核ドミノ」を防ぐために、北朝鮮の核開発を抑えようとする理由になりえます。

 

 中国を参与させることによって、北朝鮮の「非核化」、あるいは「核凍結」「核の削減」をみちびくことは可能と思われるのです。現に、この“トランプ時代”の数年間、北朝鮮に対する「制裁」は、中国の協力によって大きく進展しました(これも、カミングス教授の従来の予想には無かった最近の変化です)。

 

  北朝鮮との《対話》は、中国を引きこまずにはありえないのです。

 

 しかし、さしあたっての焦点は、バイデン政権と韓国の文政権のあいだで、北朝鮮に対する戦略が、どのように調整されるかでしょう。カミングス教授は、「バイデン政権はオバマ政権の『戦略的忍耐』にもどって失敗する」と断言し、メディロス氏は、バイデン・チームは経験豊富だから揺らぐことはなく、韓国が考えを変えるだろう、と言外に匂わせていました。しかし、任期も残り少ない(韓国の大統領は再選不可)文在寅氏は、ほかのすべての外交課題(対日など)を放棄してでも「北朝鮮」一本に絞るいきおいです。韓国の働きかけが、米国外交を修正させないとは限りません。

 

 バイデン大統領は、北朝鮮と対話を開始する条件として、北が「核削減」の意志を示すことを挙げていますが、ただ待っていても、北が自分から「核削減」を申し出てくることは無いと思われます。最近の南北関係では、韓国のチョン・ウィヨン外相が間に立っても難しいかもしれません。アメリカが圧迫を強めても、カミングス教授によれば効果はありません。米国は、より「関与」を強める方向に戦略を修正しなければならないでしょう。

 

 文政権の働きかけが功を奏することを祈りたいと思います。

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 よかったらギトンのブログへ⇒:
ギトンのあ~いえばこーゆー記

 こちらは自撮り写真帖⇒:
ギトンの Galerie de Tableau