小説・詩ランキング

 

 

 

 韓国の日刊紙『ハンギョレ』に連載中の論評記事から、第13~14回のダイジェストをお届けします。

 

 この連載記事は、当初全10回と予告されていましたが、11回目以降も連載が続いており、内容的には、ようやくストーリーの半ばを過ぎた印象です。今後も当分は連載がつづくものと思われます。

  『ハンギョレ新聞』は、軍政時代、民主化を主張して職を追われた新聞記者が中心になり設立された。盧泰愚、金泳三、李明博、朴槿恵の保守派政権には批判的だったが、金大中、盧武鉉と続いた改革・進歩派の政権では、比較的政府に好意的であった。

 2017年に誕生した文在寅政権に対しては一貫して支持しており、文在寅自身も、かつて『ハンギョレ新聞』の創刊発起人、創刊委員、釜山支局長などを歴任している。他方で、政権寄りの報道に対して若手記者が抵抗する事態も起きている。

 この記事も、文政権の外交・統一政策に対して盲目的に支持するのではなく、基本的に評価しつつ、客観的・批判的視点をも失わない基調で書かれている。

 執筆者キル・ユンヒョン氏は、大学で政治外交学を専攻。駆け出し記者時代から強制動員の被害問題と韓日関係に関心を持ち、多くの記事を書いた。2013年秋から2017年春までハンギョレ東京特派員を務め、安倍政権が推進してきた様々な政策を間近に見た。韓国語著書に『私は朝鮮人カミカゼだ』、『安倍とは誰か』などがある。現在、『ハンギョレ』統一外交チーム記者。

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

“分水嶺”としての「ハノイの決裂」

 

 2019年2月28日、アメリカと北朝鮮の「ハノイ首脳会談」は、一致点を見いだせず決裂した。この事件が、米朝のみならず、韓国、日本を含む関係国すべてにとっての“分水嶺”になった―――というのが、著者キル・ユンヒョン氏の持論である。

 

 氏の見方が果して当を得ているのかどうか、読者諸氏にも考えていただきたい。しかし、まずは記事にしたがって、事件の経過と氏のコメントを追っていこう。以下は、記事のダイジェスト。

 

 「ハノイの決裂」の評価いかんは、これから少なくとも4年間、「バイデン時代」の東アジア国際関係に対して、大きな意味をもつことになるだろう。
 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/38843.html



ハノイで開かれた2回目の朝米首脳会談が決裂した後、トランプ米大統領は、米国に帰るエアフォースワンの機内から、韓国の文在寅大統領、日本の安倍晋三首相の2人に電話をかけた。固唾をのんでこの会談の帰趨を見守っていた世界の首脳の中で、この2人にトランプ氏が連絡を取ったということは、象徴的でさえある。韓国と日本は、「ハノイ会談」の実質的な“準”当事者だったのだ。

 

 電話会談での氏と安倍氏の反応は対照的だった。文大統領が会談決裂に対する深い遺憾を隠しつつ次の会談に対する期待を示したことに比べ、安倍首相はトランプ氏が「安易な譲歩」をしなかったことに胸をなでおろして喜んだのだった。

 2・28ハノイ会談は、「朝鮮半島非核化」をめぐる朝米間の「世紀の談判」であったと同時に、「成長した韓国」が、東アジアの望ましい未来像をめぐって日本を相手に繰り広げた熾烈な「間接外交戦」でもあったのだ。

  2017年の激しい朝米対立の後、2018年1月に劇的に対話の局面が始まり、韓国は南北関係を改善して朝米対話を促進し、70年以上朝鮮半島を抑え込んできた冷戦秩序を解体する「現状変更」を試みた。文在寅政権は自らの力で「過去の対立と葛藤を終わらせた新しい平和協力共同体」である「新朝鮮半島体制」を構築したいと望んでいた。

 

 文大統領は、ハノイ会談を2日後に控えた2019年2月26日、60年前に最後まで南北分断を阻止しようとした政治家白凡・金九(キム・ク)の白凡記念館で国務会議(閣議に相当)を開き、「朝鮮半島をめぐる国際秩序も変わりつつある。何よりも重要なことは、我々が自らその変化を主導できるようになったという事実だ」と述べた。その後3・1節(独立運動記念日)100周年記念演説では、「新朝鮮半島体制に大胆に転換し、統一を準備していきたい。(中略)南北関係の発展が朝米関係の正常化と日朝関係の正常化へとつながり、北東アジア地域の新たな平和と安保秩序へと拡大するだろう」と宣言した。

 日本は、このような韓国内の変化を憂慮の目で見つめていた。これに対抗して日本は、北朝鮮の核開発と中国の浮上がもたらす東アジアの「新冷戦」に備え、日米同盟を強化し、韓国をその枠組みの下に置く「現状維持」戦略を推進した。安倍政権の外交安保ブレーンによる政策提言集「より強固な同盟を目指して」は、「日米は韓国が今後も日米韓協力の枠組みにとどまるよう協力していかなければならない。今後は(中国と北朝鮮の脅威に対応して)『日米韓防衛協力ガイドライン』(3カ国共同作戦計画)を策定しなければならない」と述べている。

 冷戦解体と統一を目標に独自外交を推進する韓国の動きを封鎖し、日米同盟の下位パートナーにしておかなければならないという主張だった。その後、韓日間で展開された激しい攻防は、東アジアの望ましい未来像に対して・両国が抱いていた和解できない戦略観の対立が、「ハノイ・ノーディール」を通じて爆発した結果だといえるかもしれない。

 2・28ハノイ破局以降、「日本の役割」に対する韓国の不快感は、疑いを超えて敵対感情として具体化し始める。朝鮮半島における「冷戦」の終結、「朝鮮半島平和プロセス」に対して、日本はそれを支えるどころが、妨害する「役割」をしているという認識だ。一例として、チョン・ドンヨン元統一部長官は3月2日、フェイスブックに、「ハノイ談判決裂の陰に日本の影が見え隠れする。ハノイ外交の惨事が安倍政権の快哉につながる北東アジアの現実こそ、厳しい国際政治の中身だ」と評した。日本は対抗して戦わねばならない「敵」だという世論が、韓国内に起こりはじめた。日本は、「いまわしい過去の敵」から、「現に戦うべき現在・未来の敵」に変った。これは、今までにはなかったことだった。

 しかし、ハノイの破局で四面楚歌の危機に直面したのは、韓国だった。ハノイの大失敗で、文在寅政権は「韓国仲裁者論」に根本的な懐疑を抱くようになった「北朝鮮の反発」、強制動員被害者賠償判決に関して対応を要求する「日本の圧迫」、韓国の北朝鮮に対する影響力を疑うようになった「米国の不信」という、三つの外交的難題に対処しなければならなくなった。

 最初に始まったのは、予想通り日本の圧迫だった。ハノイ破局から10日余りたった3月12日、丸山穂高議員が衆議院財務委員会の発言台に上り、政府は、韓国に対して「報復措置」を検討しているかと、繰り返し質問した。丸山議員は、「報復」を求めて政府の尻をひっぱたいたのだ。結局、麻生太郎副首相兼財務相が答弁台に立ち、「いろいろな対抗措置がある。関税だけでなく送金停止、ビザ発給停止など、いくつかの報復措置があると思う」と述べた。

 この頃から、韓国メディアにも、日本が麻生氏の言及したいくつかの措置の他にも「(7月に実際に稼働される)半導体製造の必須材料であるフッ化水素の輸出中止などのカードを検討している」といった報道が出始める。

 日本の国会でのこの問答に驚いた韓国外交部は、翌13日、慌てて報道資料を出し、「キム・ヨンギル北東アジア局長が、14日午後、外交部で、金杉憲治外務省アジア大洋州局長と韓日局長級協議を開催する予定」と伝えた。振り返ってみると、この時が韓国が日本との極限の衝突を避けられる最後のチャンスだった。

 最も至急下さなければならない判断は、日本政府が韓日請求権に基づいて要請した「外交協議」を受け入れるかどうかだった。この要請を受け入れなければ、爆発寸前の日本をなだめて真剣な交渉を始めることはできないと思われた。ところがこの状況でも、「司法府の判決に政府は関与できない」という文大統領の答弁に固執してか、韓国政府は決定を下さなかった。大統領府の方針がない状況で局長級が会っても、効果的な解決策が出るはずはなかった。

 会談後、金杉局長は日本のメディアに対し、「対応措置を取らないほうが(日本の立場からも)はるかに良い。まずは(韓国の)対応を見守る」と述べ、余地を残した。しかし金杉が「見守る」と述べた韓国政府の対応は、その後もなかなか出なかった。理由は簡単だった。韓日が巨大な衝突に向かって突き進んでいた4月中旬にも、文大統領の視線はハノイの失敗を挽回する第3回朝米首脳会談に注がれていたからだ。

 文大統領は11日、「朝米間の対話の動力を早いうちに復活させる」(文大統領、首席・補佐官会議で)ために、ホワイトハウスでトランプ氏と首脳会談に臨んだ。しかし、北朝鮮に対するトランプの情熱は以前より冷めていた。

 そうこうするうちに、別の複雑な情報が伝わってきた。まず、元徴用工原告団が、日本の年号が「令和」に変わった5月1日に、差し押さえ状態にあった日本企業の資産を現金化する手続きに入った。次のニュースは、それよりさらに衝撃的だった。鳴りをひそめていた北朝鮮が、5月4日午前、元山の虎島半島で火力攻撃訓練を実施したのだ。』

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/38867.html

 


ハノイ決裂後、北朝鮮が出した新たな対外路線は、韓国の外交力の「急激な萎縮」という連鎖効果をもたらした。

 米国と日本はこの微妙な変化を鋭くとらえた。日本はこれまで、日朝対話の接点を見出すために韓国に助けを求めてきたが、その態度を撤回し、もはや韓国を必要な援助者とは見なさなくなった。そして、韓国への攻撃を躊躇しなくなり、強制動員被害者への賠償問題で強硬な立場へ旋回した。

 韓米はハノイの決裂を、「次回協議のための一時的な困難」と受け止めていたが、北朝鮮は、そうではなかった。国際的《制裁》のなかで孤立した北朝鮮にとって、「ハノイ」で成果が得られなかった衝撃は深刻だった。北朝鮮は、これまでの平和戦略からの転換を余儀なくされたと感じていた。「ハノイ」半月後の3月15日、チェ・ソンヒ北朝鮮外務次官は、AP通信、タス通信などを呼び集め、「米国の強盗のような立場が、結局状況を危険に陥れた。我々はいかなる形であれ、米国と妥協するつもりはない」と宣言した。韓国に対する態度も急転換した。これまで好意的に見てきた韓国の役割についても、「米国の同盟である南朝鮮は、仲裁者ではなくプレーヤーだ」と冷淡に評価した。

 北朝鮮が、修正された対外戦略を公開したのは、4月の最高人民会議においてだった。金正恩委員長は、4月12日の施政演説で、ハノイで米国が見せた態度を評して、「先に武装解除、後に制度転覆という野望を実現する条件を作ろうとした」ものだと述べた。米国は、かつてリビアに対して行なったのと同様に、北朝鮮を騙して「武装解除」させたあとで、武力攻撃を加えて社会主義体制を転覆するつもりだ、というのだ。そして、「我々と米国の対峙はいずれにせよ長期性を帯び、敵対勢力の制裁も続くことになる」と見通した。

 

 それと同時に、金委員長は、「年末までは忍耐強く第3回朝米首脳会談を行う用意がある」とも述べたが、対話の見通しは限りなく暗かった。

 北朝鮮の新たな路線は、南北関係に二つの衝撃を予告していた。まず、北朝鮮が米国の制裁を「常数」と考えると明らかにしたことで、寧辺(ヨンビョン)核施設と国連安保理の主な制裁を交換するという「交換公式」は、廃棄されたも同然だった。そして、「自力更生」を新たな路線として掲げたことで、南北経済協力の必要性は大きく減ることになった。南側が提案する・開城(ケソン)工業地区と金剛山観光の再開は、その後、北によって無残に破壊された。

 次に、北朝鮮は、「制裁解除」の代わりに「敵対視政策の撤回」を新たに要求したことによって、韓国の新型兵器導入や韓米合同軍事演習などの動きに対して、これまで以上に敏感になった。北朝鮮は、4月中旬から、韓国の F35導入に対し(4月13日)、韓米合同空中演習に対し(4月25日)、韓米合同軍事演習に対して(4月27日)、水位を高めた非難を浴びせた。

 北朝鮮の・この2つの変化は、韓国の外交力の「急激な萎縮」という連鎖効果をもたらした。日米は、この微妙な変化を敏感にとらえ、いまや韓国外交はあてにならないと見なすようになった。ボルトン米大統領補佐官(当時)は、「ハノイ以降、南北間にどのような実質的な会合」もなかったし、「文在寅金正恩の連絡が途絶えた」という事実に気づいたと回顧している。

 日本の反応はより劇的だった。安倍晋三首相は 5月6日、日本の記者団に対し、「北朝鮮への対応に関してはすべての面でトランプ大統領と完全に一致している。(中略)私自身が、条件をつけずに金正恩委員長と向き合わなければ」と述べた。北朝鮮との関係構築で、韓国を飛び越える方針転換を表明したのだ。世宗研究所・日本研究センターは、2019年末の報告書で、安倍首相が、北朝鮮の金委員長との「条件なき対話」に言及したことを取り上げ、日本の「伝統的な『ツーコリア』政策(南北を仲違いさせて利益を得る)への転換を暗示する」ものと評価した。これは卓見だと言える。

 同時に、日本政府は、韓日対立の核心懸案である強制動員被害者への賠償問題でも、強硬な立場へと旋回を始めた。日本政府は5月20日、この問題を「外交協議」で解決するという従来の方針をあきらめ、韓日請求権協定第3条2項に規定された「仲裁」(3人で構成された仲裁委員会に判断を任せること)手続きに従うことを韓国側に要求した。翌日の河野太郎外相の記者会見は、文大統領の名まで口にする好戦的な内容になった。「1月9日、韓国に対して請求権協定に基づいた協議を要請した。(中略)その後4カ月以上待ってきた。我々もこれ以上待つことはできないため、仲裁要請通告をするに至った。(中略)韓国でも日韓関係をこれ以上悪化させることは望ましくないものと考えているだろうから、文在寅大統領が韓国政府の代表として明確な責任を持って対応してほしい」。2日後の23日にフランス・パリで開かれた韓日外相会談でも、険しい言葉の応酬がつづいた。

 しかし、文在寅大統領の関心は、依然として韓日関係には向わなかった。文大統領の努力は、6月28~29日に大阪で開かれる主要20カ国(G20)首脳会議のあと韓国を訪問するトランプ氏の日程に合わせ、現在の米朝「膠着局面」を突破しうる「外交イベント」を作ることにのみ集中していた。

 その一方で、韓国政府は、大阪でのG20首脳会議を、韓日の懸案解決の期限として念頭に置いていた。

 

 しかし、6月19日に韓国・外交通商部が提示した「訴訟当事者である日本企業を含む韓日両国の企業が自発的な拠出金で財源を造成し、確定判決を受けた被害者に慰謝料の相当額を支給する」という妥協案は、日本政府にとっては“驚愕”するものだった。というのは、韓国はすでに水面下で・この案を日本側に提示していたのだが、日本側は、「大法院(韓国最高裁)判決の履行を前提としているもので、受け入れられない」として撥ねつけていた。その案を、韓国が一方的に公開したからだ。安倍首相は、韓国のこのような動きを、G20首脳会議時に日韓首脳会談を開くことを日本側が拒否した腹いせだと受けとめた。

 それから2日後の6月30日、板門店で史上初の、南・北・米首脳のサプライズ会談が実現した。この出会いは感動的な場面を作り出したが、対話の進展に向けたどのような成果があったのか極めて不透明だった。日本経済新聞は、「両首脳が膝を突き合わせて話しても、実務者協議の再開しか決まらなかった。具体的な進展は何もなかった」と評価した。

 この外交イベントが終わった翌日、日本はついに韓国のわき腹を鋭い刃で刺すことを決心する。』

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 


Mathéo Feray

 

 

 

 こうして、「ハノイ」以後、2019年6月・大阪「G20」までの経過を見ると、日本政府の取った態度は、あまりにも独りよがりで、世界の誤解を招くものだったと言わなければなりません。国際司法裁判所(ICJ)でも決着がついていない国際法上の論点(国家条約による賠償放棄と個人の請求権との関係)について、韓国最高裁の判決を一方的に「国際法違反」と決めつけ、それを転覆しろと韓国の行政府に要求する日本の対応は、民主主義と三権分立を尊重する先進国同士の礼節ある態度とは言えません。

 しかし、著者キル・ユンヒョン氏の論調が、日本の肩をもっているように見えるのは、韓国の国民・メディアとして、文政権を批判する立場にあるからだと思います。たしかに、文大統領と韓国政府は、日本の理不尽に対して正論を述べている(請求権協定に基づく「協議」「仲裁」については、かつて韓国が求めて日本に無視されたことがあり、今度はその意趣返しとも言えます)としても、そうした原則論的な行動が、現実的でもあったかどうか、という点は問われなければなりません。

 

 《朝鮮半島における冷戦の終結、平和プロセス、新朝鮮半島体制》という・文在寅政権の自負する主要課題を実現するために、“過去”問題を現実的にどう処理するかということは、文政権にとって2の次の問題ではないはずです。


 2019年2月の「ハノイ」を境として、事実の経過としては、米朝は、華やかな融和イベントの裏で、実務外交が実らない成果を求めて格闘していた時代から、一切の歩み寄りが途絶えた対峙の時代へと旋回し、日韓は、花火を打ち上げるような韓国と北朝鮮の華やかで虚しい外交の陰で、安倍政権が驚愕と当惑に落ち込んだ時代から、安倍政権によるなりふり構わぬ“報復”と対立の時代へと旋回しました。


 しかし、この激動の立役者のうち、安倍、トランプという2大俳優が舞台から降りたいま、各国民はそれぞれの立場で、これまでの経過を謙虚に反省すべき時点に来ているのではないでしょうか。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 よかったらギトンのブログへ⇒:
ギトンのあ~いえばこーゆー記

 こちらは自撮り写真帖⇒:
ギトンの Galerie de Tableau

 

 


BTS キム・ソクジン