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De Raymond Carrance, 

alias Czanara (1921-1998)
 



       探 検 家

 心が疲れている、心が重い;
 わたしは海が恋しいのだ。
 紫の夕べの時間の耀きが、
 南イタリーの海峡の
 波間に燃え上がる夕べの
 輝きが恋しいのだ。
 わたしは潟湖
(ラグーン)の夜の
 青い星空が恋しい、
 古びた壮麗の運河と
 ヴェニスの美しい女たち、
 浪漫国の船頭の唄声、
 船頭たちの揺れる小舟の上の
 向こう見ずで、暗く、嵐を予感させる航海と
 その甲高
(かんだか)い波濤の響きが恋しいのだ。
 ドイツ的に重苦しくわたしを囲む都会の
 空気が膨れあがる――おお何日、
 いや何年、香りも響きも彩りもない
 嘆きをわたしはここで繰り返しているのか!

 その間にも時は過ぎゆく――
 遠くの物見に上がる狼煙
(のろし)火のように
 はるかに永遠
(とわ)に煌めきつづける
 麗しき探検の世界、
 もはや還ることなく悲しみに、
 幻
(まぼろし)と闇黒(あんこく)のうちに沈みこむ……

 心が疲れている、心が重い;
 わたしは海に帰りたいのだ。



 


 ヴァイオリンが弦楽器の花形だとすれば、木管の中心はオーボエ。オーケストラは、オーボエがなくては成り立たない。だから、バロックから現代音楽に至るまで、多くの作曲家がオーボエ協奏曲を手がけています。親しみやすい作品も少なくないのです。

 しかし、オーボエ協奏曲。ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲のような華々しさはなく、あまり知られてもいない。バッハ、モーツァルト、ハイドンのオーボエ協奏曲を即座に脳裡に浮べられる人は、よほどのクラシック通でしょう。

 オーボエという楽器の音が、なんといっても地味なんですよね。建物の重みを支える基礎のように、オーケストレーションの中心部で、主題を根元から支えるに適した堅実な音色が、オーボエの持ち味です。

 というわけで、古今の作曲家のオーボエ協奏曲を聴いてみようという企画です。まずは古いほうから。

 手っ取り早くサワリを聞きたい向きには、3:32- からの第2楽章を聞いてみてください。きっと聞き覚えのあるメロディーですよ?


 

アレッサンドロ・マルチェッロ『オーボエ協奏曲 ニ短調』
第1楽章 アンダンテ・エ・スピッカート
第2楽章 アダージオ
第3楽章 プレスト
マルセル・ポンセール/バロック・オーボエ,指揮
アンサンブル・イル・ガルデッリーノ

 


アレッサンドロ・マルチェッロ(Alessandro Marcello, 1669 - 1747年)は、数学者・哲学者・音楽家として、多分野にわたって活躍したイタリア人貴族。バロック・コンチェルトの作曲家としても有名。

 《12のカンタータ》作品1のほか、数冊のコンチェルト集を出版した。今日ではその作品はめったに演奏されなくなっているが、生前のアレッサンドロは卓越した作曲家として著名であり、代表作のひとつ《オーボエ協奏曲ニ短調》は、バッハによってチェンバロ曲(BWV974)に編曲された。《オーボエ協奏曲ニ短調》は、中間楽章が映画『ベニスの愛』において使われ、再び脚光を浴びるようになった。」

Wiki:「アレッサンドロ・マルチェッロ」
 


 マルチェッロなんて作曲家は知らないのに、どこかで聞いたことのある曲だと思ったら、バッハがキーボード用に編曲して有名にしている。しかも、その第2楽章が映画音楽に使われている。『ベニスの愛』なんて映画は見たことありませんが、音楽だけはどこかで聞いているんですね。

 バッハの編曲したキーボード・ヴァージョン↓を聴いてみましょう。原作に忠実な編曲ですが、楽器が変るだけで、ずいぶん曲想が変るもんですね。


 

J・S・バッハ『チェンバロ協奏曲 ニ短調』BWV974
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アダージオ
第3楽章 プレスト
フェルナンド・コルデッラ/チェンバロ

 

 





 

 バロック音楽といえば知らぬものはない有名曲に、「パッヘルベルのカノン」と並んで「アルビノーニのアダージオ」があります。

 

 この「アダージオ」、じつはアルビノーニ「オーボエ協奏曲 二短調 作品9」の緩楽章(第2楽章)なんですね。この曲に限らず、オーボエ協奏曲は、第2楽章が“聴きどころ”なようです。オーボエという楽器の特性が、ゆったりした静かな曲に合っているんでしょう。

 ↓このヴィヴァルディの「オーボエ協奏曲」も、第2楽章(3:20-)は、なかなか聴かせてくれます。


 

ヴィヴァルディ『オーボエ協奏曲 ヘ長調』RV455
第1楽章 [アレグロ]
第2楽章 [グラーヴェ]
第3楽章 [アレグロ]
ポーリーヌ・オーステンライク/オーボエ
ヤン・ヴィレム・デ・フリーント/指揮
ネーデルラント交響楽団・バロック・アカデミー

 


 さて、時代順からいうと、次はバッハの「オーボエ協奏曲」と行きたいところなんですが、バッハは次回にまわしまして、きょうの最後は、現代音楽に跳んでおきましょう。

 現代音楽といえば「十二音音階」、「十二音音階」といえばシェーンベルク

 現代音楽ファンには申し訳ないんですが、わけのわからない音楽を、ただやみくもに耳から突っこんでも、頭の芯が痛くなるだけですから。。。←、今回、ウィキで、その「12音音階」の理論的なところを、少し読んでみました(⇒:「十二音技法」)。

 1オクターブを 12等分すると、12段の「半音階」になる。この 12個の音を、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シではなくて、12段の均等なスケールと見なすのが、「12音音階」の理念。

 しかし、均等に見なすと言っても、われわれの頭の中には伝統的なド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの「調性」が深く沁みついてますから、ただメロディーを思い浮かべると、どうしても「調性」の影響が出てしまう。それを避けるために、シェーンベルク数学的な技法を使いました。

 12個の音をランダムに並べると、できる音列は、12!=479,001,600通り。そのどれかを取って、これから作る曲の骨格とします。リズムは自由ですが、音の順序は、この音列のとおりにしなければならない。それで何とかして、鑑賞に堪える曲にする。

 こうして、理論的な部分を見ると、「12音音階」というのは、サイコロ・ミュージックの極致のようなかんじで、なかなかおもしろい。「12音音階」は、又の名を「電子音楽」とも言う。たんに12個の音を使うというだけじゃない。そもそも、“人間の頭に浮かぶメロディー”という伝統的常識を破壊したランダム音楽を目指している。

 しかし、それで、ほんとうに鑑賞に堪える曲になるのか? という疑問はあります。堪えるかどうかは、↓じっさいに聴いて確かめてほしいのですが。。。

 そもそも、「12音音階」、12の「半音」を等しく扱うという理念は、「平均律」の極致と言えます。しかしこの「平均律」というのが、じつは、転調をしやすくする、キーボードをオールマイティーにするための便宜的なものだったはずです。波動物理の法則から言えば、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シは、「12分の1」や「6分の1」のような簡単な等間隔にはならないんです。それを無理やり等間隔にしてしまったのが「平均律」。それを極限にまで推し進めた「12音音階」は、人間の生物的な感性から、遠く離れてしまうのではないか?

 「12音音階」の理念は、人間の本性に対する“伝統”の束縛を脱して、より広い感性の世界を切り拓こうとするものであったと思います。しかし、その結果として、人間の自然の感性から懸け離れたものになってしまうとしたら。。。?

 伝統的な調性音楽でも、“現代音楽”でもない、人類の感性に本来的に訴える音楽は、まだまだこれから発見されるのを待っているのではないか? ‥みなさんは、どう思われますか?


 

シェーンベルク『木管五重奏曲 作品26』から
第4楽章 ロンド
ハインツ・ホリガー/オーボエ
クラウス・トゥーネマン/ファゴット
エドゥアルト・ブルンナー/クラリネット
オレール・ニコレ/フルート
ロドヴァン・フラトコヴィチ/ホルン
バーゼル・アンサンブル

 


木管五重奏曲・作品26は、アルノルト・シェーンベルクが1923年4月から1924年8月にかけて作曲した作品。ピアノのための組曲作品25(1921年 - 1923年)に続く、全曲を通じて十二音技法を用いた2番目の作品であるが、全4楽章で40分に及ぶ大規模な作品となっている。シェーンベルクが十二音技法を用いた初期の作品はおおよそ伝統的な楽曲形式を採用しているが、この作品もソナタの形式が用いられている。

 木管五重奏曲というジャンルを手掛けた作曲家の中では最も大物の一人による作品であり、また十二音技法を全面使用した最初期の作品という点で音楽史上も重要な位置にあるが、あまり親しまれているとはいえない作品である。」

Wiki:「木管五重奏曲 (シェーンベルク)」
 


 




新しいスタイルのとても難しい詩を
私に送って来て、ちっとでも解るか
と訊いた友人たちに答える。

 


 多くの者には、
 しかしすべての者にではなく、
 黄色の詩行に暗い紫色を
 解する智力を
 神は与えた。

 音の数は十二、
(※)
 多くの者は十二音音階の
 曲を解する
 アドルノ
(★)に言われなくても、
 しかし署名人
(◆)
 そうでない、
 私の眼は驚愕のあまり
 塞
(ふさ)がれてしまうのだ。


註(※)「音の数は十二」:ピアノの白鍵と黒鍵を合わせると、1オクターブの音の数は、12個ある。この 12音(12個の半音)を白鍵と黒鍵の区別なく同等に扱う音階技法が「十二音音階」。

註(★)テオドール・アドルノ(1903-1969):ドイツの哲学者・思想家・音楽家。ナチズムを批判して故国を逐われたが、戦後帰国して西ドイツの代表的思想家となる。作曲家としては、十二音音階などの現代音楽で多くの作品を遺し、新古典派・ロマン主義にも、ジャズ・ポピュラー音楽にも批判的だった。

註(◆)「署名人」:ドイツの官庁用語で、「筆者」「私」の意。





 

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