クリンゾル(※)、秋の森で痛飲する
わたしは酔って吹きぬけの森に坐っている
歌う小枝は秋に侵された;
ぶつぶつ云いながら酒蔵に走る主人、
空(から)になったわたしの瓶を満たすため。
明日だ、明日は青ざめた死神がわたしの
赤い肉に大鎌を音立てて振り下ろす、
もうずっとまえからそいつがわたしを
じっと見ているのがわかる、怒り狂った敵が。
そいつを嘲(あざけ)るために、わたしは夜中まで歌う、
ろれつの廻らぬ歌を疲れきった森に吐き出す;
やつの脅しを笑い飛ばすのが
わたしの歌と飲酒のこころというものだ。
多くをなし多くに堪えた、遥かな道の旅人として、
いまこの晩にわたしは坐して、飲みかつ重い気持ちで待っている、
稲妻のような鎌の刃(は)が
慄(わなな)く胸からわたしの頭を切り離すのを。
※ クリンゾル(Klingsor):ヘッセの小説の主人公。画家。
ブラームス『交響曲 第1番 ハ短調』から
第1楽章 ウン・ポコ・ソステヌート‐アレグロ
ジェイムズ・レヴァイン/指揮
シカゴ交響楽団
ブラームスの1番。定評があるのはカラヤン・BPOですが、ぼくはあんまり好きじゃないんですよね。オープニングのドン、ドン、ドン、ドンっていう太鼓の連打がでかすぎるんだな。お祭りじゃねんだよって←
そういうわけで、↑上のヘッセの詩にも合う、森をわたる風……レヴァインにしてみました。
↓なるほど、ベートーヴェンの『運命』を意識してるんですな。
「交響曲第1番 (ブラームス)
ブラームスは、ベートーヴェンの9つの交響曲を意識するあまり、管弦楽曲、特に交響曲の作曲、発表に関して非常に慎重であった。最初のこの交響曲は特に厳しく推敲が重ねられ、着想から完成までに21年という歳月を要した。完成を見たのは1876年、ブラームス43歳のときであった。
この作品は、ベートーヴェンからの交響曲の系譜を正統的に受け継いだ名作として聴衆に受け入れられ、指揮者のビューローには「ベートーヴェンの第10交響曲」と絶賛された。ハ短調という調性は、ベートーヴェンの交響曲第5番(運命)と同じ。
全曲を通して、「C-C♯-D」の半音階進行が曲を統一するモティーフとして重要な役割を果たしている。第1楽章冒頭の、ティンパニの強打に支えられた、高音域のヴァイオリンによる半音階的な旋律は、ロマン派の特徴とされる。
第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro
ハ短調、序奏付きのソナタ形式、6/8拍子(9/8拍子)。
ティンパニを中心に、コントラファゴット、コントラバスという低音楽器がC音を8分音符で連打する力強いオスティナートの上に、ヴァイオリン、チェロの上向する半音階的な旋律と木管とホルン、ヴィオラの副旋律が交錯する序奏[0:00-]で始まる。(この序奏は、主部よりあとに追加されたものである)
主旋律に含まれる半音階進行は、楽章の至る所に姿を現す。序奏冒頭部はティンパニ・ロールに載ってもう一度現われ[1:38-]、寂しげな木管の調べ[1:55-]を経てアレグロの主部[2:29-]に入る。
ソナタ形式の型通りに進行した後、終結部[11:05-]でも、『運命』のモットーの動機がティンパニと低音のホルンによるC音の連打に支えられ、ハ長調で静かに終結する。」
第2楽章は、鬼才チェリビダッケの指揮で↓。この音源が、なかなか聴かせるんですよ。
ブラームス『交響曲 第1番 ハ短調』から
第2楽章 アンダンテ・ソステヌート
セルギウ・チェリビダッケ/指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
しかし、ブラームスと言ったら、↓これを聞きたいですよね?
ブラームス『ハンガリー舞曲 第5番』
ハクメ・ジプシー・バンド
いかがでした、本場ジプシー・バンドの演奏は? え? たるい? じゃ、締めは南米の情熱・ドゥダメルにやってもらいましょう!
ブラームス『ハンガリー舞曲 第1番』
グスタボ・ドゥダメル/指揮
イェテボリ交響楽団
森の穴倉で痛飲する
森のうえで風が吹く、
ぼくらは夜の森に座っている、
赤いワインが杯(さかづき)で笑う、
ぼくらの唄が梢(こずえ)に響く。
森の穴倉に寝かされたワイン――
あの葡萄樹はどこへ行った、花ざかりだったのに?!
消えた夏の焔はその暗い
穴倉からぼくらのなかに移って光る。
もうじきぼくらも寝かされて死ぬ、
手と口は土に埋まる。
それでもぼくらを焼いた焔は
燃えつづけ赤く揺らめく。
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