嵐が来る
山は黒々と立ち空は鋼(はがね)のよう、
きれいな色はみな最後の
日を受けた家々と山の牧場(まきば)に逃げ込んだ、
そのうしろでは何もかもが生気を失くし、
いまにも死にそうだ、苦悶と影に満ちている。
それでも太陽はまだ膝の上で
無心な子供のようにきらきらと
ビーズ珠(だま)を転がして色遊びに夢中だ。
まもなくみんな弾(はじ)けるだろう、
まもなくすべては炎につつまれる、
それでもわたしは予め最後の瞬間まで
絵具箱を開いて待ち構えている、
闇に沈む樹木と黄色い荒壁を描き、
青黒い墨がたちまち意地悪く空を覆うのを
すばやく眼でおいかけるが、
それにしてもまだ風はない!
いきなり稲妻が雨が雹(ひょう)が機関銃のように轟き、
私の絵筆はすっかり悪魔に取り入って、
すべては崩れて消え去ろうとする――
眼よ、おまえの中に色を吸い込んでおけ!
あしたはもう秋の風が吹くかもしれぬ、
夏はもはや残っていないだろう。
ヴィヴァルディ『合奏協奏曲 ニ長調』RV565
『調和の霊感』第11曲
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アダージオ・スピッカート
第3楽章 アレグロ
第4楽章 ラルゴ・エ・スピッカート
第5楽章 アレグロ
エンリコ・オノフリ/ヴァイオリン,監督
ヨーロッパ・ユニオン・バロック・オーケストラ
※「スピッカート」:跳弓。弦の上で弓を跳ねさせるヴァイオリンの奏法。
「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」の“スキン・ヘッドの帝王”エンリコ・オノフリが、↑こちらのバンドでは、監督(directer)におさまっていますね。
↓つぎも、ヴィヴァルディの協奏曲ですが、マンドリンが中心になっています。
マンドリンは、リュートから分かれた撥弦楽器。ヴィヴァルディのころまでは“花形”音楽の仲間入りをしていたのですが、クラシックのオーケストラ編成から締め出されたために、その後はマイナーな道を歩んできました。↓のちほど引用するウィキに説明があるように、ヴァイオリンの代わりにマンドリンを主体とした・マンドリン・オーケストラというのもあるそうですが、やはりアマチュアの同好の域を出ないようです。
「マンドリン(英: Mandolin、独・仏: Mandoline、伊: Mandolino)は、イタリア発祥の撥弦楽器。
現在、もっとも一般的にみられるのは、17世紀中頃に登場したナポリ型マンドリンから発展したもので、弦はスチール製の8弦4コース、調弦はヴァイオリンと同じく低い方からG-D-A-E。ただし、ヴァイオリンと違って指板にはフレットがあり、弓ではなくピックを使って演奏する。
撥弦楽器であるマンドリンは、ギターと同じく、持続音が出せない楽器である。この問題は、高音においてギターより大きな問題となり、その結果、持続音を模したトレモロ奏法が使われる。その他の奏法には、アルペジオ、ピッツィカート、ハーモニクスなどがある。
19世紀末にアメリカ合衆国で派生したフラットマンドリンは、ブルーグラス、カントリーなどの音楽ジャンルで、フィドルやバンジョーなどとともに使用されることが多い。
歴 史
マンドリンの直接の起源は、リュートから派生した楽器「マンドーラ」といわれている。
初期のマンドリンは、6コースのガット弦を持ついわゆるバロック・マンドリン(マンドリーノ)で、アントニオ・ヴィヴァルディが書いたマンドリン協奏曲は、この型のためのものである。」
ヴィヴァルディ『協奏曲 ハ長調』RV558
「2台のトロンバ・マリーナ,2台のリコーダー,2台のトランペット,2台のマンドリン,2台のシャリュモー(クラリネット),2台のテオルボ,チェロおよび弦楽器のための協奏曲」
第1楽章 アレグロ・モルト
第2楽章 アンダンテ・モルト
第3楽章 アレグロ
ファビオ・ビオンディ/ヴァイオリン,指揮
エウローパ・ガランテ
Henri Cartier-Bresson: Musician at the Market in Zugdidi
しかし、このマンドリン、西洋でマイナーなわりに、大正・昭和期の日本では、意外に広く普及したようです。↓下のウィキに書かれているように、大学のマンドリン・クラブを中心に大編成のマンドリン・オーケストラが多数設立され、そういうものは本場のイタリアにも無かったので、大編成用のマンドリン・オーケストラ曲を日本人が作曲・編曲して需要に応じたというのです。
マンドリンという楽器が、日本の(職業的音楽家よりも)アマチュアに、これほど受け入れられたのは、理由があると思います。
ひとつには、日本に昔からある「琵琶」に、形が似ているからじゃないでしょうか? いや、形だけじゃない。弾き方も似ています。マンドリンは、指に挟んだピックで、「琵琶」はバチで弾きます。どちらも、棹にフレット(柱)があります。マンドリンは、ギターなどと比べると、表現に限界がありますが、かえってそれが、日本人の伝統的な感性に訴えたかもしれません。どこかもの悲しい・その響きが、琵琶法師の弾き語る『平家物語』の“無常”の世界に通じたのではないでしょうか? (この 60-70年代当時、“無常”をテーマとした唐木順三、小林秀雄などの本が、現在では考えられないほど広汎に読まれました)
そして、高度成長期が終り、そういう伝統的な感性が過去のものとなった時、新しい世代の関心は、もはや「琵琶」法師の“代用”としてのマンドリンなどには、とどまっていられなかったのでしょう。もっと表現力のあるエレキ・ギターなどに向かって行ったのではないでしょうか?
「マンドリン・オーケストラは、マンドリン属を中心に編成されたオーケストラ。
1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを持って帰国し普及に尽力した。詩人萩原朔太郎が比留間に師事しマンドリンを演奏していたのは有名。
1915年に武井守成がシンフォニア・マンドリーニ・オルケストラを設立。大学でもマンドリンクラブが相次いで設立されるようになり、1910年には慶應義塾大学、同志社大学で、1913年には早稲田大学で、1917年には関西学院大学で、1920年には九州帝国大学で、1921年には北海道帝国大学で、1923年には明治大学でマンドリンクラブが設立されている。各団体はいずれもイタリア式のマンドリンオーケストラを範とした編成や選曲を志向した。
1960年代より各大学のマンドリンクラブでは部員数が急増し、それまでマンドリンクラブがなかった大学でも続々と創設されるようになる。しかしレパートリーの中心であったイタリアのマンドリンオーケストラ曲はいずれも小規模アンサンブル向きで、マンドリンオーケストラの大規模化は新たなレパートリーを生み出すことを必要とした。その要請に応えたのが中央大学マンドリンクラブ・立命館大学マンドリンクラブ技術顧問鈴木静一、慶應義塾マンドリンクラブ常任指揮者服部正、関西学院大学マンドリンクラブ・京都女子大学マンドリンオーケストラ技術顧問大栗裕らであり、彼らの作曲したマンドリンオーケストラ曲は管楽器や打楽器を含んだ大規模なものである。
1970年代には上記の作編曲家の活動に加え、東海学生マンドリン連盟に加盟する各大学が新曲の委嘱を活発に行うようになる。
しかし1980年代以降、マンドリン人口が減少しはじめ、1990年代には大規模曲の演奏が困難になる団体も出てくるようになった。」
マンドリン専門のプロの演奏家も、少数ながらいます。↓アヴィ・アヴィタルはそのひとりで、日本にも来演しています。音楽は 0:25- から。
ヴィヴァルディ『マンドリン協奏曲 ハ長調』RV425
第1楽章 アレグロ
第2楽章 ラルゴ
第3楽章 アレグロ
アヴィ・アヴィタル/マンドリン
ヴェネチア・バロック・オーケストラ
……というわけで、このさい、“代用品”などではなく本物の「琵琶」を、さいごに聞いてしまいましょう。
『平家物語』から、有名な「敦盛」の段。「一ノ谷の戦い」で、敗れた平氏の将兵が逃げまどう中、源氏の武将・熊谷直實は、ひとりの高位らしき武者が衆に紛れて落ちのびようとするのを呼び止め、決戦を挑みます:
作者不詳『平家物語』卷第9より
「敦盛」の段
坂田美子/琵琶・語り
坂田梁山/尺八
稲葉美和/箏
木村たかのぶ/パーカッション
「いくさ破れにければ
平家の君達(きんだち) たすけ船にのらんと
汀(みぎは)の方(かた)へぞおちにける。
ここに源氏の剛(がう)の者 熊谷次郎直實(くまがへのじらうなをざね)は
名ある武将を打たばやと 磯のかたへ歩まするところに
萌黄匂(もえぎにほひ)の鎧きて こがねづくりの太刀をはき
連錢葦毛(れんぜなしげ)なる馬に黄覆輪(きんぶくりん)の鞍置いて
乗ったる武者一騎。
熊谷うち見 ほほえみて
『あれは大(たい)將軍とこそ見受けたり。
帰(かへ)させ給へ 帰させ給へ』
呼ばれて敦盛(あつもり)いさぎよく
敵(かたき)にうしろを見せまじと
熊谷めがけて とって帰す。
汀へ打ち上がらむとするところに
駒押しならべ むずと組んで揉み合へば
たちまち鐙(あぶみ)を踏みはづし
両馬があひだに どうと落つ。
取って押さへて 頸をかゝんと
兜をつかんで打ち見れば 思ひもかけぬ十五六
わが小次郎がよはひ程にて さすが剛毅の熊谷も
『哀れ 助けまゐらせん』と引き起こし
鞍に乗せむとする折りしもあれ
源氏の軍兵(ぐんぴゃう) 雲霞のごとく迫り来る。
『人手にかけんより同じくは 我が手にかけまゐらせん
我は武藏國住人(むさしのくにのぢうにん)熊谷次郎直實に候』
と 名のりて問へば 敦盛は
『名のらずとも頸をとって人に問へ。見知らふずるぞ』
覚悟定めしその声に 熊谷は
涙ながらに振り上げし
太刀に哀れや磯千鳥
鳴くも悲しき須磨の浦」
↑語りは、『平家物語』原文を、多少省略・改変しています。原文と現代語訳は、⇒こちら。
秋のハイキング
宵が過ぎると秋の日は
向きを変える、
湖は金属のように
輝きはじめる。
白い山の頂きの、
氷の煌めき;
颪(おろ)してくる疾風は
樹枝の葉をちぎり去る。
眼は風と
光の前では利かなくなる、
はるかに遠い日々からの
追憶が語りはじめる。
少年の時の
放浪の喜び、
いま聞こえてくる響き
遠くから、遠くから……
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