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ヤン・ステーン  Jan Steen (1626-1679): 「宿屋の外で九柱戯をする人々」



↓こちらにレビューを書いてみました。


【必読150番外】 カッシーラー『シンボルとスキエンティア』(2)―――
―――ガリレイとスピノザ

 

 

 

レヴューの後篇は、ガリレイスピノザを扱います。

 

ガリレイが、自然学の「第一の原理」

とした《慣性の法則》は、

 

「外部からまったく力を受けない物体」

 

を前提としています。現実の世界には、そのような

物体はありえません。ガリレイは、「不可能な世界」

一種の「イデア」の世界について語っているのです。

しかし、この「イデア」の世界は、近代科学が成立する

ためには、どうしても必要なものでした。

カッシーラーが、近代科学と近代思想の成立に

はたした《プラトン主義》――ルネサンス・プラトニズム

の役割を強調する根拠は、そこにあります。

 

 

カッシーラーが、“近代科学思想の成立”という

この発展の終着点にスピノザを位置づけているのは、

特異なことです。スピノザといえば、ふつうは

近代思想の主流から外れた異端の思想家

と見られているからです。

 

しかし、カッシーラーによれば、スピノザこそは、

人間中心の近代科学と近代思想を確立したルネサンス・

プラトニズム大成者なのです。

物質界精神界の壁を取り払ったスピノザ

「自然神論」は、神にも魔術にも頼ることなく

自身の理性直観のみで世界のすべてを把握できると

信じる人間精神万能の予感にもとづくものでした。

じっさい、スピノザの主著『エチカ』には、ルネサンス

思想家ピーコ・デッラ・ミランドラが高らかに宣言した

人間主義の諸テーゼの反復を、驚くほど多数

見いだすことができるのは、事実です。

 

そして、カッシーラーは、「神への知的愛」という

スピノザの・一見神秘主義的な・難解な教説をも

明快な理性主義の観点から解釈して見せます。

 

ポスト近代主義がもてはやされる現在の環境では

カッシーラーのような“保守的”な議論は

軽視されがちです。が、私たちは、「民主主義」「科学」

「自由」「人権」‥‥これらの、近代がもたらした価値を

全否定することはできない以上、“足もと”を

踏みしめてこそ、創造が可能なのではないか。

……そういった示唆を、カッシーラーから

受け取れるように思いました。