晩夏の蝶たち
数多い翅(はね)の季節がやって来た、
遅咲きの桔梗(ききょう)香れば、軽やかな酔舞。
音もなく、そらの蒼(あお)から泳いできた
アカタテハ[提督]、ヒオドシ[狐]、キアゲハ[燕の尾]、
ヒョウモンチョウ[真珠母蝶]とミドリヒョウモン[皇帝のマント]、
蜂雀蛾(ホウジャクガ)[鳩の尾]、ヒトリガ[赤い熊]、
キベリタテハ[悲しみのマント]とヒメアカタテハ[薊(アザミ)蝶]。
色あでやかに、毛皮、ビロードを身にまとい、
華麗に、悲しく、麻痺したように押し黙って、
宝飾を煌(きらめ)めかせ遊弋(ゆうよく)する
滅び去った童話(メルヘン)王国の遺民、
天上の、牧童郷(アルカディア)の緑野から堕ちた、
甘い樹液を身にふくむ異郷の者、
日出づる国の薄命な客人、日出づる国――
それこそ、われら観る失われし故郷(ふるさと)にほかならぬ、
その国の精霊もたらすメッセージこそわれらが恃(たの)み、
より高貴なる現実ありとの美しきしるし。
すべて美しきもの、過ぎ去ったもの、
あまりに柔(やわ)なもの、大仰すぎるもののシンボルたち、
憂鬱そうな、絢爛と着飾った賓客(まろうど)たちが
盛りをすぎた夏の王の饗宴に集う!
ヘルマン・ヘッセは、蝶(蛾を含む)が好きだったんですね。初期の小説『少年の日の思い出(旧題名:クジャクヤママユ)』には、蝶と蛾の採集に熱中した少年時代のエピソードが書かれています。
日本語では、物に止まるときに翅をたたむものを「蝶」、翅を広げたまま止まるものを「蛾」と呼んで区別しますが、ドイツ語では、「蝶」も「蛾」も区別なく「Schmetterling シュメッターリング」または「Falter ファルター」です。じっさい、どぎつい色の厚ぼったい「蛾」類もふくまれていることを考えないと、↑この詩の「蝶」のイメージは理解できません。
そういうヘッセの「蝶」のイメージは、可憐で美しいだけではない、どこか重苦しいまでに甘甘いゲイのイメージではないかと、私などは感じます。
「日出づる国」は Morgenland [モルゲン・ラント 朝の国]。ふつうは、「西洋」に対する「東洋」を指すことばですが、ここではむしろギリシャ…同性愛・少年愛の“理想郷”としての古代ギリシャを、イメージしているようです。ギリシャの牧歌的理想郷「アルカディア」も、登場しています。
翻訳にあたって、蝶の種類の名前には苦労しました。たとえば、「アカタテハ」のことを、ドイツ語では「Admiral アドミラル:海軍提督」と云います。ドイツ語の蝶の名前は、ほんとうに面白いものばかりですね。蝶の名の語源がわからないと、この詩の面白さは半減してしまうので、日本語の種類名のあとに [ ] でくくって、原語名の語源を表示しました。
ヒョウモンチョウ [Perlmutterfalter 真珠母蝶] の「真珠母 しんじゅぼ」とは、アコヤガイなどの貝殻の内側の虹色の部分です。英語では mother-of-pearl.
ヒトリガ [der rote Bär 赤い熊] は、漢字で書くと「火盗蛾」で、後ろ翅が赤いので、「火を盗んで、前翅の下に隠す」という意味の語源であるようです(↑Wiki の説明は、「盗」の字を無視していますが)。走光性が強く、火や燈火に集まる代表的な蛾だそうです。
もっとも、ドイツ語では、ふつうは「der braune Bär 褐色の熊」というようです。褐色の前翅に注目した名前ですね。ヘッセの「赤い熊」は、どこかの方言なのか? ネットで「der rote Bär」がヒットしないところをみると、ヘッセ独自の呼び名かもしれません。あえて後ろ翅の赤を強調したのでしょう。
「赤い熊」以外でも、この詩に登場する蝶は、赤~黄色~褐色系統ばかりです。「ミドリヒョウモン」も、名前とは違って黄色~オレンジ色の蝶。前記の『少年の日の思い出』でも、登場する蝶と蛾は、黒~赤系統が多いようです。「青の詩人」(宮沢賢治,ノヴァーリス,ブロンテ,コールリッジ,キプリング,D・H・ロレンス)などといって、一定の色に志向のある詩人は多いですが、ヘッセは、いわば「赤の詩人」―――詩人の色彩感覚としては珍しいでしょう。
Tokyo Ghoul(東京喰種)Mvt.5『Schmetterling(蝶)』
やまだ豊/作曲
TVアニメ『東京喰種』ORIGINAL SOUNDTRACK
ショパン『エチュード 変ト長調“蝶の翅”』作品25-9
ヤン・リシエツキ/ピアノ
ピアノ曲のあとは、オペラ。チョウチョの出てくるオペラといったら、もうこれっきゃないっしょ↓!
プッチーニ『Madame Butterfly(蝶々夫人)』から
アリア「ある晴れた日に」
マリア・カラス/ソプラノ
カラヤン/指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
マダム・バタフライの悲劇は、オリエンタリズムの倒錯と虚飾の悲しみなんですね。アメリカの海軍士官と結婚することによって、ヒロインは、自分が生まれ育った日本の地方社会からも親族からも切り離されてしまう。清楚な和服を着て、明治時代には珍しかった米国製の自動車にひとり乗せられ、竹林の中をゆく場面は、彼女の孤独な立場を象徴しています。
しかし、かといって、アメリカ人の夫にとっては、彼女はただの現地妻。任務が終って帰国すれば、アメリカ人の正妻がいて、日本人と“同棲”したことなどは忘れられてしまう。可憐で美しい日本女性は、“親日派”の白人が日本の現実を見ないですむように拵えあげた巧妙な装置なのです。
生まれ育った社会から切り離され、アメリカからも切り捨てられた「蝶々さん」の生きる場所は、もはや地上には残されていません。
こうしたヨーロッパ人の異国趣味を「オリエンタリズム」と呼んで告発したのはサイードですが、彼によれば、東洋女性の悲劇に感動して小説化したアメリカ人も、オペラにしたプッチーニも、それを演ずる俳優も、涙を流す観客も、いっさいがっさいすべてが、「オリエント(東洋)」の現実を美化する欺瞞であり、善意での裏切り行為にほかならない。
むかし、こういうことがありました。フランスからサルトルとボーヴォワールが来日し、来日文化人の常として東京の能楽堂で能を鑑賞したのですが、その場に同席していた演劇評論家のH氏によれば、最前列で見ていたサルトルとボーヴォワールは、2人ともコックリコックリ居眠りをしていたそうです。ところが、翌日の新聞には、ボーヴォワールの観劇感想が掲載されて、すばらしい古典芸術だったと、詳しく述べられていたので、びっくりしてしまった。これは絶対に活字にはならない裏話だそうです。
サイードが、「オリエンタリズム」全体を視野におさめて告発することができたのは、すでに「オリエンタリズム」が終りつつあったからです。どんな文化現象も、その渦中にいるあいだは決して全体を見ることができない。過去のものとなった時にはじめて、その持つ意味は十全に認識されるのです。
そしていまや、「オリエンタリズム」は、「グローバリズム」という、「オリエンタリズム」に輪をかけて欺瞞的で・わけのわからないものに呑みこまれ、消滅してしまったと言えます。
夏の終り
単調で低く嘆きつづけるように
この生温かい夜(よ)を貫いて雨が流れる、
疲れた子供のように泣きながら
まもない深夜にむかってゆく。
夏はもう祝宴のかずに疲れはて
己(おの)が花冠をしわがれた手に取って
投げ捨てる――萎(しお)れた花なんか――、
怯えて身を縮め、終ろうとしている。
ぼくらの愛もまた熱く燃え熾(さか)る
夏の祭りの花冠、
その最後の踊りがしずしずと終えたとき、
雨が降り出し、客は散った。
それならぼくらはぼけてしまった装飾と
消えてしまった輝きを恥じらうまえに、
この厳粛な夜のうちに
ぼくらの愛を辞そうではないか。
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