春
たおやかに、若い雲が天の蒼(あお)を奔る、
子どもたちが歌い花々が笑う草原(くさはら);
私の疲れた眼は、視線の先で、
本で読んだことを忘れようとしている。
ほんとうに、私が読んだ重苦しいすべてが
霧散してゆく、すべては冬の幻覚だった、
眼は蘇ったように快復し、新しい
創造の滾滾(こんこん)たる泉を見つめている。
されどこの心に書きこまれた
すべての美のうつろいの痕跡、
春から春へと消え残るそれは、
もうどんな風(かぜ)にも喪(うしな)われることはない。
春の訪れにかける思いが大きいのは、なんと言っても北国の人々。そこでシベリウスなんですが、シベリウスの交響曲、楽章ごとの小間切れを出してきて、じつはもうあんまり残ってないんですよねw 同じ曲は2度出さないことにしてますので。。。
小間切れで選んでいると、カッコいいのとか、ドッカーンとか優先されてしまうので、残っているのは「第2楽章」ばかり。でも、シベリウスは、ドッカーンがすべてじゃないんですよ(当たり前ですが‥) 静かな楽章をじっくりと聞いたほうが、シベリウスの繊細な良さがわかるというもの。
そこで、今回は思いきって「第2楽章」特集にしてみました←
シベリウス『交響曲 第5番 変ホ長調』から
第2楽章 アンダンテ・モッソ・クワシ・アレグレット
マリス・ヤンソンス/指揮
オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
宇宙からのインヴェイダーが、あるいはウイルスがぞろぞろと忍び寄ってくるようなピッチカートの進行……いかがでしたか? ふだんなら、聴いていて飽きてしまいそうなこの楽章も、いまのウイルスのご時世ならば、なかなか背筋をぞっとさせるホラー音楽として楽しめそうですな。。。 楽しげですな。ええ、楽しげであります。。。 ウイルスの波が、いまひたひたと、この国のキャビネット・ハウスに押し寄せて..., 消毒しても、消毒しても、なお押し寄せて..., 法律では裁かれぬあの犯罪者をとらえる日も近いかと思えば、。。。 なにせ、ボリス・ジョンソンのように若くはありませんからな,... いちころでしょうな。。。。うふふ.......
さて、おつぎの第6交響曲は、ぐっと現代風になって、メロディの進行‐掛け合いがおもしろい。ときどきロマンチックに、ダーッと行きそうになっても行かないところが、じっくり聴くにはかえっていいんですな。乗せるばかりが音楽じゃない、と理知的に言っておきませう。
シベリウス『交響曲 第6番 二短調』から
第2楽章 アレグレット・モデラート
ヴラディーミル・アシュケナージ/指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ヴァイオリン協奏曲も、今回は「第2楽章」。演奏はジョシュア・ベル‥‥と思ったんですが、クーシストがあったので、そっちにしました。収録は 1995年、当時19歳のペッカ・クーシストは、この年のシベリウス国際ヴァイオリン・コンクールで、フィンランド人として初めて優勝し、同時に「シベリウス・ヴァイオリン協奏曲・最優秀演奏者賞」を獲得しています。
いま聴いてみても、この年の賞を独占しただけのことはあると思います。甘すぎないんですね。彼の演奏を聴いてしまうと、他の人のシベ・コンは、ザボンの砂糖漬けみたいな気がしてきます。よくも今まで、こんな甘ったるいだけで味のないのを、ありがたがって聴いてたもんだ(失礼!)……そう思ってしまいます。
そういう意味でも、「第2楽章」は、作曲者、演奏者ともに、アラがあれば出てしまいやすい、実力が試される楽章なんですね。。。
シベリウス『ヴァイオリン協奏曲 二短調』から
第2楽章 アダージョ・ディ・モルト
ペッカ・クーシスト/ヴァイオリン
ハンヌ・コイヴラ/指揮
ヘルシンキ交響楽団
最後は、チャイコのセレナーデ。これはやっぱり第1楽章ですよ。←
小澤征爾さんの熱烈なアンコールがあったので、これはもう逃さずに貼り付けておきます。
チャイコフスキー『弦楽セレナーデ ハ長調』から
第1楽章 アンダンテ‐アレグロ・モデラート
小澤征爾/指揮
イングリッシュ室内管弦楽団
帰 郷
もうながいこと
ぼくは異郷ですごしたけれど
ぼくの重荷の古病(ふるやまい)
たえて癒えたことはない。
巷(ちまた)八隈(やくま)をさまよいながら
心のやすらぎ求めたすえに、
いま稍(やや)憩うと思うまに
新たな苦(く)へと心はさわぐ。
いざ、なつかしき苦しみよ、
ぼくは楽しみに飽きはてた、
胸を合わせ四つに組んで
ぼくらはまた諍(いさか)いをはじめよう。
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