スピノザの家(ライデン郊外、レインスブルフ)
この家に間借りした一部屋で、10歳年下の大学生と
同居して哲学を教え、傍ら『エティカ』を執筆した。
↓こちらにレビューを書いてみました。
【必読書150】スピノザ『エティカ』(10)―――
―――「理性」とは、さざなみに砕ける人の夢か?
ひと目惚れだったのだろうか
ライデン大学へ入学してひと月もたたないのに
この奇妙な哲学者の狭い書斎兼寝室に入り浸って
大学には出なくなってしまった
哲学者?‥未来形の哲学者だという:
幾何学かユダヤ神学かわからない本を
なにやら書いている。毎日散歩しながら
デカルトを教えてくれる。デカルトの
全著書を諳んじているようだ
「きみは何がしたいと思っている?」
とスピノザが、あるとき不意に訊いた
「遠くへ行きたい。識っている者が誰もいない
大洋のかなたへ行くのが、ぼくの夢だ。」
「行きたまえ。《神》は、この無限の世界の
どこにでもいる。この無限のひろがりが
《すなわち神》だ。《神すなわち自然》の
ただなかへ行きたまえ。」
スピノザは遠い目で言った
この学生はまもなく牧師の資格を取って
バタヴィヤ(インドネシア)
に渡り、植物学の研究に専心したという。
われわれが理性に従ってする努力のすべては、
認識することである。第4部・定理26
だから人間にとって、理性に導かれた人間ほど有益なものは
自然のなかに見あたらない。定理35系1
もしまったく同じ本性の2つの個体が結合するならば
おのおのの2倍の力をもった1個体を形成する
だから人間にとって人間ほど有益なものはない。定理18註解
人は自分のために欲するすべてを
他人のためにも欲し
他人のために欲しないことは
自分のためにも欲しない。定理18註解,定理37
これは性善説ではない。幾何学なのだ。
《神すなわち自然》はその無限系列のどのレヴェルにおいても
全体と部分は相似形をなしている。
危機に陥った“個”を援助することは、どの“個”にとっても
自己犠牲ではなく純粋な自己利益なのだ。
『エティカ』「第4部」 「第5部」:
今回と次回(最終回)にわたって
『エティカ』の社会契約説をとりあげ
“国家なき社会”の実現可能性を探ります。