秋の日
森の袖(そで)が黄金(きん)にかがやく、
ぼくはひとりで路をゆく、
ここはぼくの愛するひとと
ふたりで何度もあるいた小径(こみち)。
こんな晴ればれとした日々は
この身に永く抱きつづけてきた
傷みも幸せも溶け去ってゆく、
匂いとはるかな風景のうちに。
曠野に焚火の煙立ち
農家の子らが跳びはねる;
そこでぼくも声をあげ
子供たちのように唄う。
焚火にあたって飛び跳ねている子供たちから距離をおいて、調子はずれの唄を口ずさんでいる老人。晩年のヘッセのようすを想像すると、なにかほほえましくなります。
そこで、↓こんなピアノ曲はどうでしょうか? 森からはずれて、形のよいモミの樹が一本立っている。そんなイメージです。
シベリウス『5つの小品』作品75 から
第5曲 樅(Granen)
ラルフ・ゴトーニ/ピアノ
シベリウスのシンフォニーの中では、日本では2番がいちばんよく知られているんだそうです。意外なかんじがしますが、ウィキにそう書いてあるし、ヨウツベでも、2番には「#かっこいい」などというタグが付いてたりします。
随所にお得意の民謡調が顔を出すし、終楽章は、なかなか雄大な感じで悪くない。かといって、もうロマン派ではなく、曲の作りとか、モチーフのつながり方とか、けっこう現代風で、おもしろい。シベリウスのなかでは、過渡期的な作品なのでしょう。
その終楽章を聞いてみましょう。
ユーチューブがパテント戦争中なので、いい音源を探すのに苦労するんですが、↓これ、掘り出し物でした。指揮者のピエタリ・インキネンはフィンランド出身、1980年生まれの若いヴァイオリニストで、指揮は、レイフ・セーゲルスタム、ネーメ・ヤルヴィらの指導を受けているそうです。
北欧の主要楽団はもちろん、BBCフィル、HR響、ボーンマス響などを指揮し、2016年から日フィル首席指揮者、現在の契約は 2021年までとのこと。おやおや、わたくしめが世間に疎くなっているだけか‥‥
シベリウス『交響曲 第2番 ニ長調』から
第4楽章 アレグロ・モデラート‐モデラート・アッサイ‐モルト・ラルガメンテ
ピエタリ・インキネン/指揮
ニュージーランド交響楽団
フィリップ・グラス『グラス・ワークス』から
第2楽章「流氷」
フィリップ・グラス/シンセサイザー
フィリップ・グラス・アンサンブル
グラスの「流氷」は、Wikipedia によると、シベリウスの5番シンフォニー↓から「テーマを借り」ているとのことですが、言われなければわかりませんねw
シベリウス『交響曲 第5番 変ホ長調』から
第1楽章 テンポ・モルト・モデラート‐アレグロ・モデラート‐プレスト
マリス・ヤンソンス/指揮
オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
夏は老いてしまった……
夏は老いて疲れはて
冷めた残酷な腕を垂れ、
広野(ひろの)に虚ろな眼をそそぐ。
いまは終りの時、
彼は火をすっかり撒きちらし
花は焼きつくしてしまった。
だれもがそういうことになる。最後には
みな疲れて後ろを振り返る、
寒気を覚えて息を手に吹きかける、
かつて何か幸せが
行ないがあったのかと疑う。
振り返ればわれらの人生は
いつか読んだ昔話のように茫漠としている。
かつて夏は春を打ち倒し、
ますます若く強くなったことを知った。
いま頷いて笑う。彼はこのごろ
まったく新しい趣向をもくろんでいるのだ:
もう何ごとも欲しない、すべてを諦める、
沈んでゆく、血の気の失せた手を
冷たい死に向かわせる、
何ごとも聞かず何も見ず、
ただ眠りこむ……鎮まる……消える……
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