『川崎市で27日に開幕する「KAWASAKIしんゆり映画祭」は、NPO法人「KAWASAKIアーツ」が主催し、事務局を運営。市や市教委、地元の日本映画大、昭和音楽大などが共催する。
「主戦場」の配給会社「東風」によると、6月に映画祭事務局から上映の打診があった。8月5日午前に映画祭事務局から〔市に?〕上映会申込書が提出された。
ところが同日午後、事務局から「『出演者から訴えられる可能性がある作品を、市がかかわる映画祭で上映するのは難しいのではないか』と川崎市に言われた」と連絡があったという。9月9日付で正式に申し込みを取り消す文書が〔配給会社に〕届いた。(⇒:朝日デジタル)』
映画『主戦場』は、
日本軍の慰安婦問題そのものではなく、
問題に対する主張・論争の経緯と現状をドキュメンタリーとした
米国の日系2世ミキ・デザキ監督の作品。
↓渋谷の上映館で見てきましたが、
論争の双方の側に公平な目配りの利いた
秀逸な作品でした。
論争ドキュメンタリーの秀作『主戦場』――見てきました。
『映画祭の中山周治代表は朝日新聞の取材に「出演者に訴えられている作品は上映しないことにした。電話対応に追われるなどのリスクが想定される中、お客さんの安全を確保できない事態も考えた。映画祭存続のための、やむを得ない判断」と話した。
デザキ氏は「私の映画が検閲されたことになる。表現の自由を守る努力をしなければ、政府の意向に沿った作品しか上映できなくなる」と語った。
こうした事態を受け、安岡卓治・日本映画大教授は東風とともに、同大で11月4日に「主戦場」を上映し、デザキ氏らが登壇する公開授業を開くという。』
まず、気になるのは、
市は、「上映申込書」が提出されると直ちに
「上映は難しい」と表明していることです。
この示唆は、「共催者」であり費用の約半分を持つ市が、
していることから見れば、
事実上の上映拒否であったようです。
つぎに、主催者「KAWASAKIアーツ」の
「出演者に訴えられている作品は上映しない」
との理由説明も納得困難です。これでは
市から上映「拒否」された理由の
オウム返しにすぎない。
しかも、残念ながら日本の制度では、
悪意のある者が誰かを「訴える」のは、
非常にかんたんなことです。
「訴状」が法定の書式にさえ従っていれば、
裁判所は、内容に関係なく
受理します(つまり“検閲”はない)。
どんな「訴え」でも、弁護士をカネで雇えば
できてしまうのが現実です。
それだけで「訴え」たことになり、
却下(門前払い)または棄却(敗訴)
という結果が出るのは1年以上後です。
だから、
「出演者に訴えられている作品は上映しない」
という前例を作ってしまうと、
どんな優秀な作品も
悪意のある者の妨害によって出品できなくなってしまう。
ことに、論争のある問題のドキュメンタリー
という新しいジャンルは、この先例によって
息の根を止められるでしょう。
芸術や運動の団体が、自治体や国から援助を受けたり、
イベントを共催したりするのは、
けっして悪いことではありません。
むしろ、喜ぶべきことです。
しかし、いざとなったら徹底して抵抗する根性を
もたずにしてよいことでもない。
かつて私も参加したこの種の運動で
政府が出した『河野談話』は、実質的には
私たち民間団体(日韓双方)の汗の結晶でした。
当時、私たちは右からも
左からも徹底的に叩かれましたが、
今では、『河野談話』は、少なくとも
日本の左の人たちからは
バイブルのように大切にされています。
憲法9条とよく似ている。
私たちの名は忘れられ、未来永劫
思い出されることはなくとも、私は満足です。