夜の歩行
楡の樹叢(こむら)に鳥が一羽目ざめている
ほかに音もない緑の月光、森と谷。
わたしのあとから附いてくる若き日の影法師
さまざまうたいかけてくる夢の唄。
どうやってわたしはあの生の嵐と灼熱のなかから
彼岸の緑の谷に紛れこんでしまったのだろう、
ここではあらゆる夢が陣を張って寝静まる
わたしの心を千百の糸もて絡み捕らえつつ。
うっとりとして、わたしは遠くすぎさった多くの名を
呼ばう、いつか親しかったそれらの名を、
記憶のなかでくすんでしまった土地をあてもなく
失われた人のように歩きつづけると。
地平の夜明けにあなたの名が浮かぶ、
ただひとりの人よ、いきなりわたしは目を覚ます、
すべての苦痛がまた新(あら)たしくよみがえり
燃えあがるようにあなたの痕跡をおいかける。
なぜ? ……とは言ひませぬが、思いきつてお先まつ暗、暗の暗、陰気・陰惨・不吉きはまるメランコリイの淵に沈みこんでいきませう‥といふのが、本日の趣向であります。
明るいはうがいい、といふ向きは、決して、うつかりと音なんぞ鳴らしてしまはぬやうに。。。
シューベルト『白鳥の歌』から
「都 会」
ハインリヒ・ハイネ/作詩
アンジェイ・ヒオルスキ/バリトン
イェルジ・マルフヴィンスキ/ピアノ
「 都 会 ハインリヒ・ハイネ
遠い地平線に
霧のように現われる
塔のならぶ街。
夕暮れの薄闇に包まれて。
湿っぽい空気が波立たせる
灰色の水の行く手を。
悲しげな調子で漕ぐ
僕の舟の船頭。
太陽が再び昇り
大地を照らし出す。
そして僕にこの場所を示すんだ、
僕が恋人を失ったこの場所を。」
さざなみのようなピアノの伴奏が気になりますね。カラオケだけ聞いてみたい‥というファンのために、おあつらえ向きに、リストがピアノ曲にしたのがあるんですね。
↓見れば、グランドピアノの鍵盤の一番はしっこから弾き始めてます。もう、音程なんてわからない、耳に聞こえる限界の音:
シューベルト『白鳥の歌』から
「都 会」
フランツ・リスト/編曲
パク=ユ・クォク/ピアノ
夜は、しずかで、暗いもの。。。 と相場は決っていない!
……こういう夜だってある↓
ヴィヴァルディ『フルート協奏曲 ト短調“夜”』RV104 から
第4楽章 アレグロ
ジョヴァンニ・アントニーニ/リコーダー
イル・ジャルディーノ・アルモニコ
さて、このふんいきで、もう少しピアノを聴いてみたい‥ ということだと、グレン・グールドなんかいいんじゃないかと。
安眠の妙薬“ゴルトベルク”なんかは脇にのけて、夢見を悪くしそうなのを、あえてたぐってみると、やはり『フーガの技法』。
ヨウツベのパテント・チェックが厳しくなってるんで、公式演奏には適当なのがありませんでした。これは、カナダの自宅で撮したドキュメンタリーフィルムの一部だそうです↓
バッハ『フーガの技法』BWV 1080 から
コントラプンクトゥスⅠ
グレン・グールド/ピアノ
『フーガの技法』は、ときどき室内楽で聞きたくなる。。。 「コントラプンクトゥスⅠ」の主旋律を上下反転したメロディが何度も出てきます。
バッハ『フーガの技法』BWV 1080 から
コントラプンクトゥスⅤ
ルドルフ・バルシャイ/指揮
モスクワ室内管弦楽団
夜に
海がわたしを揺らし
波のひろがりに蒼じろい
星のかがやきがうかぶ夜、
なべての行ないとすべての愛から
すっかり解きはなたれて
わたしはしずかに立ち、ただ呼吸する
ひとり、ひとり海に揺れ、
音もなく冷たく千の光をたたえる海に。
そこでわたしは友らのことを考えてしまう
眼は沈んでかれらの眼差しと出会う、
わたしはひとり彼らにそっと訊ねてみる:
≫きみはまだわたしの友だちか?
わたしの苦痛は単なる苦痛、私の死はただの死であるか?
わたしの愛から、わたしの辛苦から
きみはただ風のそよぎを、こだまを聞いているだけか?≪
すると音もなく海はわたしをじっと見かえして
ほほえんで云う:否。
どこからも挨拶も応(いら)えも伝わってはこない。
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