夏の夜
おおどす黒くかがやく夏の夜!
蒸せかえる庭で弦の音(ね)はまねく
曳光弾が打ち上げる心地よくも柔らかい
後光の華。ぼくの踊子が笑う。
こっそりとぼくはそこを忍び出る。花咲く
木々の枝がぼんやりとひかる。
ああ、どんな楽しみもそうやって萎れてしまうのだ、
欲望だけが絶えることなく疼きつづける。
たぐいなく晴れやかな、あの夏の夜の祭り
ぼくの若き日々の祭典はどこへ行ってしまったのか?
どんなダンスもつぎつぎに、ぼくが楽しかろうとなかろうと、
冷ややかに通り過ぎる、最良のものが欠けているのだ。
おおどす黒くかがやく夏の夜、
その悪夢のように重い悦楽の盃(さかづき)を
いつか地の底まで飲み乾させてくれ、
ぼくを満たしそうしてやっと安らかにしてくれるおまえの盃を!
シベリウス『交響曲 第1番 ホ短調』から
第2楽章 アンダンテ・マ・ノン・トロッポ・レント
オッコ・カム/指揮
ヘルシンキ放送交響楽団
ロシア音楽の影響が濃いといわれる『第1番』。ロマン派風の哀愁と、壮大なスケールを感じさせる奥行き。しかし、すでに、シベリウスらしい‥‥あるいはフィンランドらしいというべきか‥‥民謡調は、全体にみなぎっています。
シベリウス『交響曲 第1番 ホ短調』から
第3楽章 スケルツォ
レオポルト・ストコフスキー/指揮
ニューヨークの演奏家たち(1950年)
『第4番』。重厚な第1楽章を、すでに聴いていただきましたが、↓第2楽章は一転して軽快で明るい(雪原の?)描写となります:
シベリウス『交響曲 第4番 イ短調』から
第2楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
レイフ・セーゲルスタム/指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
トゥオネラとは、フィンランドの伝説で、この世と、死者の住む冥界とのあいだを流れる川です。仏教で言えば「三途の川」、ギリシャ神話で言えば「カロンの渡し」。しかし、トゥオネラには、渡し舟も、「賽の河原」もなく、白鳥が泳いでいます。
「《カレヴァラ》から
レンミンカイネンとトゥオネラの白鳥
レンミンカイネンは、男前で有能な青年だったが、血の気が多く、女癖が悪かった。〔…〕サーリ島へ求婚しに出掛けるが、そこですべての女に手をつけてしまう。ただひとりレンミンカイネンに靡かなかった娘キュッリッキを誘拐し、彼は今後戦いに出かけないこと、彼女は村へ遊びに出ないことを約束して結婚する(第11章)。
ところが、キュッリッキは、村の若者たちのところへ遊びに行ってしまう。腹を立てたレンミンカイネンは、ポホヨラ(北方の国、ラップランド)へ戦いに出掛ける。ポホヨラに着くと、すべての男たちに呪いをかけて動けなくしてしまう。ただ、盲目の羊飼いの老人にだけは、『おまえは既に哀れなものだ』と言って呪いをかけなかった(第12章)。
レンミンカイネンは、ポホヨラの女主人である老婆に、娘をよこすように言ったが、老婆は、娘をやる条件として、3つの課題を出す:
① ヒーシ(妖かしの森)の大鹿を捕らえること。
② ヒーシにいる、火のような口をした雄馬に轡をはめること。
③ トゥオネラ川の白鳥を一矢で射ること。
レンミンカイネンは大鹿を捕らえ、雄馬に轡をはめた。そして白鳥を射るためトゥオネラへ向かった。
トゥオネラとは、冥界との境に流れる川である。
レンミンカイネンが岸辺に着くと、そこには、ただひとり呪いをかけられなかった盲目の羊飼いの老人が待ち伏せていた。老人は、水蛇をつかんでレンミンカイネンに飛びかかり、水蛇はレンミンカイネンの心臓に噛みついた。レンミンカイネンは死に、川に落ちる。死体は、トゥオネラの流れで冥界に運ばれ、そこで死神の息子『血まみれの赤帽子』によって、5つに切り離されてしまう。(第13-14章)」 ⇒:カレヴァラ(あらすじ)
シベリウス:音詩『トゥオネラの白鳥』
ヘルベルト・フォン・カラヤン/指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
夏の夜の提灯(ランピオン)列
庭園の冷たい闇に生温かく
浮かんでいる彩やかなランプの列(つら)なり、
絡まりあう樹々の繁みから
おくり来る軟(やわ)く神秘なひかり。
ある灯りは檸檬(レモン)色に微笑んでかがやく、
紅(あか)く白く肥満して笑うやつら、
青いランプは樹枝に隠れて
月の幽霊のようにみえる。
ひとつの灯りが突然焔をあげて
燃え熾(さか)るかとみればすぐ萎(しぼ)んでしまう……
ほかの灯りたちはぞっと身震いして、
笑みうかべつつ、己(おの)が死を待つ:
月光の青、ワインの黄色、ビロードの紅(あか)。
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