六月の嵐
太陽は病気だ、山々は蹲(うずくま)る、
黒い雨雲の壁が
力を秘めて待ちうける、
低く羽搏(はばた)く臆病な鳥ども
地面すれすれに灰色の翳をおとす。
雷がずっと鳴っている、
急に騒がしくなり華麗に
起ち上がる太鼓の合唱、
そこから金管が輝くように次々と
波頭をつらぬく稲妻の群れ。
雨脚が密にそそぎ落ちる
すきとおって冷たく蒼ざめた銀、
小川を奔(はし)り、河面(かわも)にざわめき、
ずっと抑えてきた啜り泣きのように
驚愕の谷間へと駆けくだる。
ベートーヴェン『交響曲 第6番 ヘ長調“田園”』
第4楽章 アレグロ“驟雨,嵐”
第5楽章 アレグロ・モデラート“牧歌,嵐が去った喜びと感謝”
カール・ベーム/指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
↑ベームのVPO,いまでは古典的な音源ですが、もっとも“正統派”だと思うので、こちらを聴いていただきました。
『四季』にも、“夏の嵐”がありましたね。有名な曲ばかりで気が退けますが、こういうふうに部分部分を拾って聴いてみると、またちがう感じがするものです。
ヴィヴァルディ『ヴァイオリン協奏曲 ト短調“夏”』
第3楽章 プレスト
レナット・ファザーノ/指揮
イ・ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ
“テンペスト(海の嵐)”というクラシックの曲は、たいていシェイクスピアの『テンペスト』から発想を借りたものです。まえに一度特集しましたが、そこで漏れたのから少し拾ってみましょう。まず、チャイコフスキー。
すこし長いですが、“嵐”になるのは 5:26- あたりからです:
チャイコフスキー『幻想序曲《テンペスト》』
第1楽章 アレグロ・モデラート
ミハイル・プレトニョーフ/指揮
ロシア国立管弦楽団
『サチュリコン』 《あらすじ》
身体と身体で愛し合う同性の二人づれエンコルピウスとギトンは、お金持ちの痴女や“ひひ爺さん”に取り入って、たぶらかしたり、カネメの品を盗んで逃げだしたり、さんざん悪行を働きながら旅を続けます。
エンコルピウスは、仲間割れしたアスキュルトスからギトンを取り返したのはいいけれど、有力者の情夫になったアスキュルトスの奸策で、誘拐犯として指名手配をかけられ、ナポリ港から商船に便乗して逃げ出します。
ところが、沖に出てよく見れば、たまたま乗りこんだ商船は、ふたりが悪戯の限りをつくしていたぶった豪商リュカスの船で、ギトンにご執心の熟女トリュファエナまで乗っているではありませんか。
船の上でのすったもんだのあげく、おりから遭遇した嵐の強風でリュカスは海に吹き飛ばされてしまう。(フェリーニの映画では、船で起きた反乱でリュカスが海に投げ込まれていましたが、そういう現実政治的な展開は、原作にはありません)
トリュファエナは、
「ギトーン!!」
と叫びながら、救命ボートに乗せられて脱出して行きます。
嵐の甲板に残されたエンコルピウスとギトンは、(なぜか)素っ裸になって抱き合い、互いの身体が離れないようにしっかりと縛りつけます。このまま二人で黄泉の国へ堕ちてゆくかと思われたのですが……
第114節
エンコルピウスはギトンの身体を抱き締めて泣き叫びました:
『これは、神々の思し召しか?ぼくらは死んではじめて結ばれる運命だったのか? それどころじゃない! 幸運の女神の悪意は、それさえ邪魔するつもりだ。見ろ! …海は忽ちぼくらの抱擁を断ち切るだろう!』
「ギトンは、着ているものを全部脱ぎ捨て、エンコルピウスのチュニック(下着)の中に潜り込み、のど元から顔を出してキスし」、帯でふたりの身体をきつく縛ります。ギトンいわく:
『こうすれば、いかに波が荒れ狂おうとも、海は少なくとも私たちを繋がったまま運ぶでしょう。そして、もし同じ浜辺に打ち上げてくれたなら、心ある通行人が、私たちの遺体の上に石を積んでくれるかもしれません。あるいは、風で飛んで来た砂が、私たちの埋葬式を執り行なってくれるでしょう。』
……幸か不幸か、まもなく嵐はおさまり、船は無事海岸に流れ着きました。と、驚いたことに、ボートで避難したと思っていた“ひひ爺い”のエウモルプスが、船倉から出てきます。嵐も何のその、この機会に、シーザーを讃える一大叙事詩を書き下ろしたと言って、巻き紙片手に、ご満悦のてい。。。」
シベリウスの『テンペスト』も、「序曲」の嵐の描写は、もう聞いてしまいましたから、今回は他の曲に。難破船が流れ着いた孤島で、船乗りたちを幻惑する妖精たちの踊り:
シベリウス『テンペスト』第2組曲から
「ニンフの踊り」
レイフ・セーゲルスタム/指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
↓こういう詩形、ヘッセには珍しいですが、かなり技巧的です。というのは、行が短いということは、それだけ脚韻の頻度が高くなるからです。
高名な翻訳家の訳とは違うと思いますが、もとの詩形の特徴が映るように訳してみました。
短 唱
虹の詩(うた)、
消え逝く光の魔術、
漏れ落ちる楽の音(ね)の幸せ、
聖母の顔(かんばせ)の苦悶、
存在の苦き恍惚...
嵐に掃き寄せられた花々、
墓に置かれた花輪、
つかのまの晴れやかさ、
闇に堕ちてゆく星:
美しさと悲しみの帳(とばり)が
この世の奈落を蔽(おお)う。
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