ぼくたちの記念日
古めかしく燃え上がる焔の白熱
贅を尽くした荘厳の館(やかた)
きょうきみの前にまるごと蘇(よみが)える
あの熱い夏の夜の幻惑。
きみは耽美の情慾にふるえながら
熱く、激しく、狂おしく、
なんども重ねたその美しい唇を
血のように赤い唇を、ぼくの画像にぴたりと圧(お)しつける。
メンデルスゾーン=バルトルディー『夏の夜の夢』から
「スケルツォ」
ボビー・マクファーリン/指揮
ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ボビー・マクファーリンは、米国のジャズシンガーとして著名ですが、2004年以来ヨーロッパのフィルハーモニックを指揮して好評を博しています。
つぎは、夏というより冬の夢? 幻想曲をもう少し聴いてみましょう。ドビュッシーのピアノ独奏曲で:
ドビュッシー「夢想(Rêverie)」
フランソワ=ジョエル・ティオリエ/ピアノ
ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
ルドルフ・ヌレーイェフ/フォーン
ヴァーツラフ・ニジンスキー/振付
ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキーは、ロシアのバレエ・ダンサーで、革命前の 1908年、18歳でマリインスキー劇場の主役ダンサーに抜擢された同性愛者。
同性愛の相方である芸術プロデューサー・ディアギレフとともに、翌年パリでバレエ団を旗揚げし、ヨーロッパ各地で名声を博しました。
「ニジンスキーはディアギレフのサポートにより3つのバレエを振付けて上演した。ドビュッシーの管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」による『牧神の午後』(1912年)、ドビュッシーが書き下ろした『遊戯』(1913年)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩による『ティル・オイレンシュピーゲル』(1916年)である。しかし、『牧神の午後』ではあまりにも性的な振り付けをしたために不評を買い、ディアギレフもニジンスキーの振付けの才能を疑問視し始めた。
そんな中でニジンスキーが振り付けをしたのがストラヴィンスキーの『春の祭典』(1913年)である。ニジンスキーはこの曲で、19世紀のクラシック・バレエでは考えられなかった、脚を内股にし、頭を曲げるという振り付けを行った。初演時の騒乱は有名であるが、これは、まさに20世紀バレエの幕開けであった。」(Wiki)
ニジンスキー自身が演じた『牧神の午後』の舞台は、youtube に、短い断片ですが、フィルムが出ています。フォーンを演じるニジンスキーのおちんちんのふくらみに、女のダンサーが顔を近づけて嗅ぐエロチックな部分もあって、いま見ると、どぉってことはありませんが、当時はセンセーショナルだったのでしょう。でも、ディアギレフがこの振付けを嫌がったのは、ぼくは嫉妬じゃないかって気がします。見たい人は、youtube で探してご覧ください。
↑上の動画で、復元された現在の振り付けを見ても、全体に中性的な感じはよく表れています。“男は男らしく”という美学からの脱却があったわけですね。
その後、ニジンスキーは、バレリーナと恋に落ちて結婚式を挙げたので、ディアギレフとの関係は破綻し、バレエ団から解雇されてしまう。1916年ころから、統合失調症の兆候が現れ、仲間たちを恐れて部屋に閉じこもるようになった。
「ニジンスキーの後半生は、精神病院をたらい回しにされ、危険なため現在は行われないインスリン・ショック療法を受けるという悲劇的なものであった。〔…〕
第二次世界大戦中はハンガリーに滞在したが、ナチスの侵攻によりあわや殺害されそうになったところを匿ってもらい辛くも脱出、〔…〕その後イギリスへ移った。
1950年4月8日のイースターの日にニジンスキーはロンドンで生涯を閉じた。ニジンスキーの遺体はロンドンに埋葬されたが、1953年にパリのモンマルトル墓地に改葬された。
〔…〕『牧神の午後』のコレオグラフィー〔振付け〕は、ニジンスキーが彫刻で作成したコレオグラフィーを基にして、アン・ハッチンソン・ゲストにより 1988年に復元された。」(Wiki)
↓こちらは、1980年のイギリス映画『ニジンスキー』から、同じ『牧神の午後』シーン。ボックス席から舞台を見て、気が気でないヒゲの紳士が、ディアギレフ。この映画でニジンスキーを演じているジョルジュ・デ・ラ・ペーニャのほうが、ぼくは本物よりも好きですけどねw
映画『ニジンスキー』から
ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ/フォーン(ニジンスキー)
ハーバート・ロス/監督
ドビュッシー『子供の領分』から
「雪が踊っている」
ジャン=イヴ・ティボーデ/ピアノ
曇りの夜
曇りの夜は、ぼくの恋人
嵐につかまれたおまえの
枝先、なんとだしぬけにおまえの忙(せわ)しい拍子(タクト)は
死の虚飾を耀かせることか!
おまえは苦しみのうた、おまえは悲しみのうた、
恐怖と死の想念のうた、
ぼくはよく知っている、おまえの郷愁に病んだ
夜のうたに隠された荒々しい魅力を!
いつか子どものときのように
おまえは暗い悲痛でぼくの心をみたす。
それは古くからの、よく知られた苦しみだけれども
あれ以来、その古い苦しみは
いよいよ悲しくなり、甘美さは消えてしまった。
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