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Gaston Goor

 



       ときたま

 ときたま、鳥が呼ばい
 風が小枝を駆けぬけるとき、また
 遠くの農家の庭で犬が吠えるとき
 わたしはながいこと黙って耳を澄ましていることになる。

 わたしのこころは逆
(さか)しまに流れる
 忘られた千年のむかしへ
 その鳥が、その吹く風が
 わたしと似ていた、わたしの兄弟だったその時へと。

 わたしのこころは木立ちになる
 一頭の獣に、一すじの雲のいとなみになる、
 すっかり変貌し他人のようになって戻ってきたこころは
 わたしに問う。わたしは何と答えればよいのか?




 聞くところによると、きのうは『朗読の日』だったそうで、...

 この「マンヒマール(ときたま、ときどき、折りにふれて)」も、適当な朗読音源があったので、聴いてみましょう。BGMがバッハのオルガン曲で、詩の内容に似合ってると思いました。ちなみに風景も‥‥、ああ、あのいちばん遠い山に吸いこまれていきたい。。。

 若いころは、冠雪して光るアルプスの稜線を見ると、あそこに吸いこまれて消えてなくなってもいいと思ったものですが、年とると、‥こんな何でもない低い山にまでそれを感じます。もうやめなきゃ。。。 考えてみると、ほかのことは何ひとつ実現しないのに、この種のくだらない妄想に限って、いつかそのとおりになってるんですよねw こんなことしてたら、いつかは山で野垂れ死にだ......


 

ヘルマン・ヘッセ「ときどき」
オラフ・ピーチ/朗読,制作
バッハ『前奏曲とフーガ 二短調』BWV 544
ジェイムズ・キッビー/オルガン

 


 さて、きょうは、“鳥”の古い唄を聴いてみたいと思って、探してみました。

「クレマン・ジャヌカン(Clément Janequin, 1485年頃 – 1558年)は、フランス・ルネサンス音楽の作曲家。

 聖職者ではあったものの晩年まで不遇であった。むしろフランス宮廷の、もっぱら世俗歌謡の作曲家として有名である。どうやら音楽家として確たる地位を得たことはなく、生涯の終わりになってパリの宮廷に召し抱えられたが、与えられた地位に就任するいとまはほとんど(あるいはまったく)なかったようである。

 ジャヌカンはシャンソンの専門家であり、このジャンルを創り出した作曲家のひとりと見なされている。ジャヌカン作品は、言葉というより擬音語や擬態語を取り入れているがゆえに特筆に値する。例えば、無意味な言葉の羅列が鳥のさえずりを形作っているのだが、これは今日いうところの『オノマトペー』にほかならない。」

wiki:クレマン・ジャヌカン 


「目覚めよ、眠れる心たち
 愛の神が告げている
 5月のこの最初の日に。
 ……」


 

ジャヌカン『鳥のうた』から
「目覚めよ、眠れる心たち(Réveillez vous, cueurs endormis)」
ドミニク・ヴィス/指揮
アンサンブル・クレマン・ジャヌカン

 


「アンサンブル・クレマン・ジャヌカン(Ensemble Clément Janequin)は、フランスの古楽アンサンブルで、1978年創立、ルネサンスおよび初期バロック音楽に特化している。

 カウンターテナーのドミニク・ヴィスが、創立者であり主宰者である。
〔…〕

 1985年におけるアンサンブルの陣容(『鳥のうた』は 1983年収録)は、ジョゼ・カブレ(バリトン)、フィリップ・カントル(バリトン)、ミシェル・ラプレニ(テノール)、ジェラール・レーヌ(オート・コントル)、アニエス・メロン(ソプラノ)、アントワーヌ・シコー(バス)、ドミニク・ヴィスの指揮であった。」

wiki:Ensemble Clément Janequin


 カウンターテナーが中心の合唱団というのも珍しいですが、どおりで、女声合唱にはない妙なツヤを感じさせる歌声です。以前からたびたび申し上げているように、カウンターテナーやオート・コントル(高音のテノール)は、あくまでも歌唱法であって、ゲイともトランスとも関係ありません。基本的にヘテロ(ノンケ)の男性です。

 しかし、聴いてみると、この歌声、ボーイ・ソプラノとは別の意味で、やはりぼくらの琴線に触れています。ちがいますか‥?


「むかし、ある女の子がいた。
 愛の楽しみを知りたいと思った、
 ある一人きりの日に。
 ……」


 歌詞のつづきを読んでみたい気がしますが、翻訳はボロが出るのでやめておきましょう。16世紀フランス語が読める人は、ユーチューブに出てますから、どうぞお読みください。

 

ジャヌカン『鳥のうた』から
「むかし娘ありけり(Il estoit une fillette)」
ドミニク・ヴィス/指揮
アンサンブル・クレマン・ジャヌカン

 

 




 


 「チョカリア」(Ciocârlia ルーマニア語で チョクルリア)は、ルーマニアの民謡というか古い唄で、ジプシー音楽のよく知られたナンバーです。「ひばり」という意味で、ヒバリのほかいろいろな鳥の鳴き声がふんだんに入っています。

 演奏する楽器も、ルーマニア独特のものです。ちなみに、ジプシーが、こんにち、「ロマ」民族と自称するのは、彼らの主要な集団が、ルーマニアの地にしばらく定住したあとで、ヨーロッパ各地に移動して行ったから。ジプシー音楽は、ルーマニアの古い文化を受け継いでいるわけです。


 

「チョカリア」
ヴィクトル・コパチンスキ/シンバロム
ヴィクトル・コパチンスキ・バンド

 


 鍵盤のないピアノのピアノ線を、直接2本のバチで叩いてるような楽器が、シンバロム。鍵盤があったって、指が弾きまちがえるのに、よくあんなバチなんかで弾けるもんだと感心してしまいます。

 後半は、パンフルートが、鳥の鳴きまねの妙技を披露します。ふんだんにアドリブが入ってそうですが、どんな鳴き声をどんな順序で‥ということがだいたい決まってるようです。パンフルートなしのジプシー楽団でも、ヴァイオリンで(ピッコロとかではなく!)、ほとんどそっくりの鳴きまねをやっているから驚きます。

 つぎは、パンフルート中心の演奏。このザンフィルも、ルーマニア人で、ヨーロッパではとても有名なパンフルート奏者です。ここまで似てくると、本物の鳥も顔負け?ですねw


 

「チョカリア」
ゲオルゲ・ザンフィル/パンフルート

 


 さて、記事末のヘッセの詩にも、今回は動画を付けます。

 「花、木、鳥」というから花鳥風月と思いきや、‥ほんとに、この人の考えることは、いつも独特だと思い知らされます。語法も、ヘッセにしては変った言い回しが多くて、そのへんがわかるように訳したつもりなんですが。。。


 

ヘルマン・ヘッセ「花、樹木、鳥」
ユルゲン・プロフノフ/朗読
ジョラ・フィードマン/クラリネット
ヘッセ・プロジェクト

 


      花、樹木、鳥

 ひとり虚空に掛けられて
 孤独に光るもの、心よ、
 深淵から暗い花が
 苦痛がおまえを迎えている。

 太い枝をゆらしているのは
 背の高い樹、苦悩だ、
 枝の先で啼いているのは
 鳥、永遠だ。

 花、苦痛は寡黙だ
 言葉がみつからないのだ、
 高い樹は雲にまで伸びる、
 鳥はいつまででも啼きつづける。



 

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