海の真昼
それは夢と死のように甘い:
かがやきと静寂に飽きるほどみたされ、重く
漁師の舟に憩(やす)らうこと、
塩と木(もく)タールのきつい匂い。
雲の呼子(よびこ)の高い音(ね)を
眼は当てもなく追いかけてゆき、
青い真昼の陽のかがやきに
とらえられ、力なく休止してしまう。
そのとき白い、あいまいな雲らは
帆を高く揚げ休みなく進む、
はるか彼方から微(かす)かな笛の音が
ひとつの船の航行を告げてくる。
硫化した潮の夢みるようなうごき
いま船底で鈍い音をたててている;
ゆるんだ帆は虚(むな)しくやすらい
綱が漁網を引き摺っている。
おまえを動かしてやまないすべてのもの、
幸いのときも悲しみのときも
おまえの心を揺さぶるすべてのものが、
いまは深く沈んで海の底にまどろむ。
いつもあんなにも燃え熾(さか)るおまえの心が、
鎮まりかえって幼な児に戻り
太陽のように、海のように、風のように
神の手のうちにやすらうのだ。
ベン・ジョンソン:歌劇『オベロンのマスク』から
「地は溶けて海となり」
フィリップ・ピケット/指揮
「グローブ座の音楽家たち」
「 Melt earth to sea, sea flow to air,
And air fly into fire,
Whilst we in tunes to Arthur's chair
Bear Oberon's desire,
Than which there nothing can be higher,
Save James, to whom it flies:
But he the wonder is of tongues, of ears, of eyes.
Who hath not heard, who hath not seen,
Who hath not sung his name?
The soul that hath not, hath not been;
But is the very same
With buried sloth, and knows not fame;
Which doth him best comprise:
For he the wonder is of tongues, of ears, of eyes.
地は溶けて海となり、海は流れて空となり、
空は飛んで火となる、
われらが共にアーサー王の座を得んと
オベロンの望みを抱くあいだに。
その偉大さを超えるものなきお方
ジェイムズ王万歳!
彼こそは舌にも眼にも耳にもしるき奇蹟である。」
“海にちなむ音楽”ということで、最初に、これを聴いていただきました。
シェイクスピアの少しあと、17世紀英国の歌劇から。1611年ロンドンにて初演。しかし、古い英語は難しいですねえ‥ ↑この訳でいいのかどうか自信がない。2番までは、とても訳せません。どなたか、古い英語に詳しい方がいたら、教えていただけないですかねえ。。。
シベリウス:音詩「オケアニデス」作品73.
パーヴォ・ベリルンド/指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
「音詩(tone poem)」は、別名「交響詩」。交響曲のような形式にとらわれない音楽で、いわば、音符で書いた詩。トーン・ポーエムは、シベリウスのお得意の曲種。
「オケアニデス(波の妖精)」は、地中海に棲むギリシャ神話の妖精ニンフにかんする音楽で、静かな海 - 嵐 - 雷雨と波浪のクライマックス という内容になっています。アメリカの富豪の依頼で、1914年、ノーフォーク・ミュージック・フェスティバルで演奏するために作曲され、シベリウスの名声をアメリカ大陸に広げることになりました。
同時に、シベリウスの音楽すべてにいえることですが、アメリカで、フィンランド独立運動への支持を広げる役割を果たしました。
シベリウス『カレリア組曲』から
「インテルメッツォ Ⅰ」
トゥオマス・オッリラ/指揮
タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団
カレリアは、フィンランド東部、ロシアとの国境にまたがる地方。歴史的に、ここは、ロシア帝国とスウェーデン・バルト帝国の係争地になっており、激しい戦闘が繰り返されたすえ、1323年に両帝国がこの地を分割領有するノテボリ条約が結ばれました。戦いが熾烈だったのは、帝国間の抗争であっただけでなく、同時に、西のカトリック教会と東のロシア正教会の両宗教勢力が、ここで衝突していたからです。
しかし、条約以後も紛争はおさまらず、ロシア帝国が強大化し、スウェーデンが凋落するにしたがって、カレリアはしだいにロシアに編入されていき、18世紀半ばには、カレリア全土がロシアに割譲されました。そして、ほぼ同時に、フィンランドもロシア帝国の支配を受けることとなったのです。
フィンランド人とカレリア人は、民族系統上、非常に近い関係にあり、どちらも、カスピ海の北方から移ってきたウラル系遊牧民の集団から分岐しています。同じ集団から分岐した他の民族として、ハンガリー人(マジャール族)などがあります。
近代になると、ロシア帝国支配下からのフィンランド人の独立運動に刺激されて、カレリアも、フィンランドとともに独立をめざすようになります。シベリウスの「カレリア組曲」も、もともとは、カレリアの大学生団体の依頼で、独立運動を鼓舞する音楽(タブロ―・ミュージック)として作曲されました。
もっとも、学生たちにとっては、フィンランドの作曲家がカレリアのために愛国的音楽を作曲してくれたことがもっぱら重要で、音楽そのものはどうでもよかったようです。初演を聴きに行ったある音楽家によると、会場は、聴衆のけたたましい歓呼の声が充満して、「音符ひとつ聴き取れなかった。」といいますw
ちなみに、独立後はフィンランドの国歌になっているあの「フィンランディア」も、シベリウスは、カレリアの風景から着想して作曲したのだとか。
第1次大戦後、フィンランドが独立した際、フィンランド側ではカレリアも編入して独立するもくろみでしたが、ロシアに成立したソヴィエト政権は、旧ロシア帝国時代の領土を守ろうとし、結局、1931年と 41年に勃発したソヴィエト・フィンランド戦争の結果、カレリアの大部分はロシア領となって現在に至っています。
その過程で、晩年のシベリウスも、カレリア・フィンランド側の運動を熱心に支援し、ソヴィエト・スターリン政権に反抗してゼネストを行なう労働者のために、1930年、「カレリアの運命」という労働歌に曲を付けています。
シベリウス『カレリア組曲』から
「バラード」
チャールズ・マッケラス/指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
シベリウス『カレリア組曲』から
「行進曲風に」
きょうの最後は、交響曲第5番から最終楽章を聴いてみたいと思います。この楽章をシベリウスは何度か作り直して拡張していまして、最終的には、たいへん雄大な曲になっています。 この交響曲も、フィンランドが独立を目指して奮闘していた時期に作曲されたもので、最終版が完成したのは、ロシア帝国が崩壊し、フィンランドの独立が決定した 1919年のことでした。大洋のようにひろびろと広がったフィンランド人の独立への自信と希望を代表するかのように、シベリウスはこの曲を仕上げているのです。
シベリウス『交響曲 第5番』から
第3楽章 フィナーレ
エサ=ペッカ・サロネン/指揮
スウェーデン放送交響楽団
雲たち
雲たちが、鎮(しず)かな船たちがわたしの上を
進んでゆく;柔らかな、おどろくべき
不可解な、色とりどりのヴェールで
わたしに触れてゆく。
青いそらから涌(わ)きだしてくる
うつくしい色の世界が
しばしばその秘密めいた魅惑によって
わたしを虜(とりこ)にする。
かろやかで明るい、すみきった泡沫よ、
俗界から解き放たれたすべてのものたちよ、
あなたがたはこの汚れた大地がかもす
美しい郷愁の夢であるか?
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