もうひとつの世界
わたしの胸でさびしそうに
燃えあがる詩人の巨きな愁い
唄に疲れはてるのはもうじきだ
それほど世界は暗く見えている。
心の眼は、もうひとつの世界を知っている
そこでは紅い花々があらしの中に立ち
緑の夏はあかあかとかがやいている。
幸せそうな人びとに、わたしはそこで会った
こちらの陰鬱な世界では惨めに
惨めに生きていたひとたちが、神々のように
解き放たれ、誇らしく歩いていた、
巻き毛に花の冠を着けて。
そしてかれらとともに笑いながら
解き放たれ、誇らしく、紅い花の間を歩くわたしを見た。
いつか、わたしが枯れるように死んで
せまい棺(ひつぎ)に入って運ばれるとき
人びとが話すのをわたしは聞く:
奴にはこれが幸いだ、自分の家に帰って行ったんだから。
かれらは知らないが、言っていることはほんとうだ。
そこでわたしの愛の欲望は、
このかわいい生命(いのち)を永遠の腕のなかに
抱きしめて、わたしは新しい歌を
口ずさみ、嵐と闘いつづけよう、
髪にはぎらぎら耀く勝利の栄冠の数々、
騒がしい響きと光につつまれて。
わたしの胸でさびしそうに
燃えつづける詩人の巨きな愁い
こんなに世界は暗いのに、この唄ごころ
どこへもって行ったらよいのやら。
まいにち自分を偽りつづけ
信じられる愛も満足もなく、
いつか死んで真白な頬で
棺(ひつぎ)に入って運ばれるときまでは。
そのとき人びとは話すだろう:
奴にはこれが幸いだ、自分の家に帰って行ったんだから。
↑きょうの詩は、こういう内容ですから、アルヴォ・ペルトを思いっきり聴いてみたいと思います。と言っても、ほんのサワリだけですが‥
「アルヴォ・ペルトは、存命のクラシック作曲家のなかでは、現代世界で最も多く演奏されている人である。
ペルトは、1935年エストニアに生まれた。当時、エストニアはロシア帝国の支配から独立したばかりであったが、まもなくヒトラーとスターリンの間で結ばれた『独ソ不可侵条約』のもとで、1940年にはソ連に占領された。第2次大戦中~戦後にわたるソ連の支配下では、非合法のテープとスコアによる他には、西側の音楽を知る機会がなかった。
ペルトは、初期においては、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、シェーンベルクら東欧の作曲家の影響下にあったが、彼の作品はソヴィエト政府の憤怒を買ったばかりでなく、自分の独創性の発展としても行き詰まりを感じていた。そこで彼は、『西洋音楽の根源』への回帰に活路を求めて、古楽に没頭した。単旋律聖歌やグレゴリオ聖歌、ルネサンス期のポリフォニーを研究すると同時に、正教会へ入信し、教義の研究と信仰を深めた。
こうして、宗教と宗教音楽への傾倒からペルトが見出した新たな方向は、『ティンティナブリ(鈴音)の様式』と彼が呼ぶものであった。主要3和音(ex.C-F-G)による簡素な和音構成、単純なリズムと、一定のテンポを特徴とする素朴なスタイルである。そして、歌詞は、もっぱらラテン語と教会スラヴ語である。『タブラ・ラサ』『アルボス』『フラトレス』(ともに 1977年)などが、この時期の代表作。
1979年には家族とともにウィーンへ移住し、自由な環境のもとで活動をつづけた。(Wikipedia 日・英版,一部改)」
アルヴォ・ペルト『タブラ・ラサ』より
「ルドゥス」‐コン・モト
ネーメ・イェルヴィ/指揮
イェテボリ交響楽団
アルヴォ・ペルト『ダ・パケム・ドミネ(主よ、平和を与え給え)』
ポール・ヒリアー/指揮
エストニアン・フィルハーモニー室内合唱団
↑曲について、「Wikipedia(eng)」の説明を引用しておきましょう:
「ジョルディ・サヴァルの依頼により、2004年6月1日開催のバルセロナ・ピース・コンサートのために作曲された。ペルトは、マドリード列車爆破テロ事件(同年3月11日)の2日後、事件犠牲者の冥福を祈って作曲を開始したのだった。〔…〕スペインでは、犠牲者追悼のために毎年演奏されている。
歌詞は、旧約聖書:『列王記Ⅱ,20:19』『歴代誌Ⅱ,20:12,15』『詩篇72:6-7』から編纂された 6-7世紀の讃美歌である。」
アルヴォ・ペルト『デ・プロフンディス(深い淵から)』
クリストファー・バウアーズ=プロードベント/オルガン
ポール・ヒリアー/指揮
エストニアン・フィルハーモニー室内合唱団
【深い淵から(詩篇130番)】
130,1 主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。
130,2 主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。
130,3 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。
130,4 しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。
130,5 私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。
130,6 私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。
130,7 イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。
130,8 主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。
⇒:【わかりやすい訳】
↓同じ【詩篇130】を、もとの讃美歌で聴いてみます。英国ケンブリッジのキングス・カレッジ合唱隊。
詩篇130『デ・プロフンディス(深い淵から)』
英国聖公会・聖歌
ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団
↓つぎも、オルガン伴奏による同様の合唱曲ですが、2001年に作曲した最近の作品。
アルヴォ・ペルトの作品は、現代のさまざまな演奏者、指揮者によって演奏されているので、解釈の幅も大きいのですが、やはりこのポール・ヒリアーによる解釈は、もっとも評価が高く、また、ペルト本人の関与も深く、“正統派”と言ってよいようです。
動画は静止画像ですが、聴いていると、うすい花びらがゆっくりと開いてゆくような‥‥動かないはずの画像が動くように感じてしまいます。
アルヴォ・ペルト『リトルモア・トラクタス』
クリストファー・バウアーズ=プロードベント/オルガン
ポール・ヒリアー/指揮
エストニアン・フィルハーモニー室内合唱団
冥神夜行
死神が夜の町を行く
ひとつだけまだあかい屋根裏の窓
中では一枚の詩稿をまえに
病気の詩人が身を注(そそ) ぐ。
死神しずかに窓を推(お) し
暗い吊り灯(び) を吹き消しぬ。
息吹き、一瞥、ほほえみの気配、
暗黒に沈む町と家。
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