新年号の《令和》は、『万葉集』の独特な解釈で知られる国文学者の中西進さんが考案したというウワサが広まっている‥‥‥‥時事ドットコムで報道されてました。
以前に読んだ中西さんの本↓に、枕詞(まくらことば)、序詞(じょことば)のことが書いてあったのが印象に残っています。まくら言葉とか、ふつうは意味のない飾りとして、形式的にしか読まれていませんが、‥じつは万葉和歌の意味の中核にある。それらを無視したら、詠み人の考えているイメージが伝わって来ないくらい重要なものだ(←言い方はギトン流に変えてますが)、と書いてあって、常識をゆさぶられた!! 眼からウロコが落ちる思いでした。
⇒:中西進『万葉の世界 (中公新書) 』
たとえば(↓中西さんの本ではなくて、あくまでも一例):
玉匣(たまくしげ) みむろの山の さな葛(かづら)
さ寝ずはつひに 有りかつましじ (万葉集2-94 藤原鎌足)
「たまくしげ」は、櫛を入れる飾り箱で、「三室(みむろ)山」にかかる枕詞。「三室山」は三輪山の別名。「さなかづら」「さねかづら」は、「さ寝」を導く序詞。赤い実をつける深山のつる草で、江戸時代以降は「美男かずら」とも呼ぶ(↑写真参照)。
枕詞、序詞だらけのこの歌の“本意”は、「俺と寝ないじゃいらんねえだろ」って後半にだけある……と、学校では教えられるんですが、それじゃミもフタもありませんw
身を整える櫛の入った美しい小箱。神が住むという三輪山の奥深くにある不思議な赤い実の集合、「さねかづら」の絡まりあった枝づる。それらのイメージこそ、この歌のメッセージ。それを抜いたら、ただの「一発やらうぜ」になってしまひます‥
論理や出来事の連なりよりも、イメージで短歌を読むというこの本の示唆は、とても新鮮に思えたし、それまでの考え方がひっくり返るくらいの衝撃でした。それがきっかけになって、10年以上は絶えていた詩作を、まったく新たな気持ちで再開した―――そんなことがありました。いま詩を書いているのも、もとはと言えば、中西さんの本のおかげ。
ところで、「令和」……あんまり評判がよくないみたいですねw 韓国のある新聞によると、「平和を命令する」という意味で、安倍政権が自分に都合のいいような平和を他の国に押し付けようという魂胆が表れているんだと。そう言われるのも、政権のふだんの行ないが悪いせいなんだけどw
しかし、この「令」は、「令嬢」の「令」で、「めでたい」の意味。動詞に読んでも、「~させる」という広い意味で、命令とは限らないです。無理に返り点をつけても、「和せしむ」「仲良くさせる」程度の軽い意味になるでしょう。あるいは、「令」は、英語の if にあたる接続詞ですから、「もし仲が良ければ」とも読めます。
もし仲が良ければ、こんなこと言いあわないですむのにね。。。。。
悪い年号じゃないと思うけど‥ でも、年号をつける習慣がそもそも、今じゃ日本だけ。そろそろ、政府の公式文書は西暦にして、年号は趣味の世界で‥、国内だけで楽しんでればいいんじゃないでしょうかね?
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