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      ヴァイオリン弾き
 


どんなわずかなざわめきも...


 どんなわずかな野のざわめきも
 ぼくの耳が追いかけていかないものはない
 あこがれ、まさぐり、一心に
 個性にみちたそれぞれの音を聴きわけるまで。

 それからぼくのゆびは、その根拠をたずね
 さがしだそうとして傷だらけになる
 弓と弦
(いと)で薄明のひびきを追いもとめ
 そのもっともやわらかな音色をわがものとするまでは。

 ぼくの胸にかなしみはなく
 ぼくの夢に帰るべき故郷はない―
 夢は白日のもとにおもむいて
 演奏の飾りとされたから。

 嘆息とキスと愛のささやき
 友が友に語ることばさえ
 ぼくはヴァイオリンに仕えさせた
 おのおののあるべき場所を指示しつつ。

 ぼくはゆるやかに弓を引く
 血を流すぼくのいのちを捧げつつ
 誰も捧げなかったものまで捧げ―
 もはや演奏はよろこびでなくなった。




芸術よ


 高き芸術よ、おまえを信じてきた
 苦々しくも永い年月だった、
 ぼくの重い頭を膝に抱き
 この灰色になった髪をなでてくれ。

 この覆面を外してくれ、ぼくはここにいる
 おまえを古くから知るヴァイオリン弾き
 あらゆる秘儀を見てしまったあとで
 それでもなお炎へと走りつづける。

 かん高く荒々しいうたをぼくにおくれ
 にがく、低俗で、げらげら笑ううた
 あらゆる夢から迸
(ほとばし)り出るうたを
 そのときおまえはぼくのいちばんのお気に入り。




もはや何も...


 もはや何も言うことはない
 ぼくはすでにすべてを語った
 ぼくはばりんと最後の拍子を打って
 ぼくの上等なヴァイオリンを壊そう。

 壊そう―そして旅に出よう
 ぼくがやってきたその国へ
 そこでぼくは若き日に
 唄のなかの唄の夢を聴いたのだ。

 ぼくはもういちど夢見よう
 世界の果てで、たったひとり
 こころ深きやすらぎにみちた
 唄のなかの唄のその夢を。




 前回、名器「ストラディヴァリ」から始まった詩でしたが、意外な結末でしたね。

 演奏することも、芸術に仕えることも、彼――1899年 22歳のヘッセ――にとっては、ただ苦しみあるのみ。そんなら、楽器を壊して旅に出よう。世界の果てで「唄のなかの唄の夢」を見ることが、世界も人も芸術も見捨てた彼の最後の望み…… というわけで、音楽のほうも、今夜は極北の最原点、あるいは混迷の最先端へとご案内したいと思います...

 と、偉そうに銘打ってしまったんですが、どこまでもシロウトの独断と偏見の産物ですから、読者諸兄のこなれた耳にどれだけ沿うものをお届けできるやら、心もとなくはありますw


 さて、最初は、これ↓!! ずばり「唄のなかの唄」 この歌声はハンパじゃない!
 これを聴いて、ぐちゃぐちゃしたどうでもよいことは、全部ふっとばしちゃってください!


 

詩篇16「神よ、わたしをお守りください」
アッシリア東方教会
セラフィム助祭神父

 


 日本語訳⇒:【旧約聖書】詩篇16

 「アッシリア東方教会」は、初期キリスト教の流れをくむ古い教会のひとつで、アラム語の聖歌と典礼をかたくなに守り続けてきました。アラム語と言えば、イエス・キリストが弟子たちとしゃべっていた言語も、アラム語の方言なんだそうです。日本語の聖書にも出てくる「エリ!エリ!ラマ、サバクタニ!」というのが、それなんですね。アラム語は、所により、また時代によって、さまざまな方言があるんですが、この教会の信徒たちが話す現代アラム語も、2000年以上前にオリエントの共通語だったこの言語を今に伝えているわけです。

 「ネストリウス派・キリスト教」というのが、この教会が伝える宗派にほかなりません。ネストリウス教を遠く唐代の中国にまで布教したのは、アラム人の一派であったようです。アラム文字という、フェニキア文字と並ぶ世界最古のアルファベットを東方に伝え、突厥文字、ウイグル文字、蒙古文字、朝鮮のハングルなどの元になったのも、この人たちの働きだったことになります。

 西アジアにイスラム教が広まってからは、ほかのキリスト教諸派とともに、ネストリウス派、アッシリア教会も、激しい迫害を受けてきました。オスマン・トルコ帝国とクルド人による何度かのアッシリア人虐殺、そして最近では、中東での戦乱のたびに、数千~数万人のアッシリア人が世界各地に疎開(ディアスポラ)しています。



「おおよそ、ほかの神を選ぶ者は悲しみを増す。わたしは彼らのささげる血の灌祭を注がず、その名を口にとなえることをしない。
 主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。
 
〔…〕このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。
      
〔…〕
 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」



 この歌声は、カフカスのジョージア(グルジア)国に移住したアッシリア教会、アッシリア人によるもので、中央で歌っている長いヒゲの人が、セラフィム神父。

 2016年にジョージアを訪問したローマ法王が、セラフィム神父らの歌う「主の祈り」を聴いて、いたく感動し、その映像をBBCが欧米に伝えたので、「アッシリア東方教会」は一躍世界に知られるようになりました。

 ↓「主の祈り」


 

「天にまします我らの父よ」
アッシリア東方教会
セラフィム助祭神父

 

 




 


 つぎは独断と偏見でw、韓国の「カヤグム・サンジョ(伽耶琴散調)」をお送りします。日本の琴に似た楽器ですが(弦ごとにコマがある)、かなでるリズムは、ずっと躍動的です。しかし、拍子をとろうとしても、どうしてもうまく付いて行けません。それでいて、身体のほうは自然にリズムに乗って揺すられてしまうんですから、いつ聴いても、ふしぎな音楽です。

 聞くところによると、3拍子、4拍子、5拍子などと、拍子が自由自在に変化しているのだそうです。「散調」というのは、演奏者ごとに自由にヴァリエーションを加えて即興演奏する曲で、最初はゆったりとしたパンソリのリズム、弾いてゆくにしたがって、だんだん速くなります。↓この録音では、リマスターのせいで掛け声が聞き取れませんが、チャンゴ(長鼓)の伴奏者が掛け声というか‥ おもわず口から洩れる感動の唸り声と言ったらよいか‥ かすかに漏らしています。これを「チムセ」と言って、「チムセ」は伴奏者だけでなく、観客も叫んでよいのだそうです。つまり、これは演奏者だけでなく聴衆も参加する一体的な音楽なのです。

 今年亡くなったファン・ビョンギの 1966年の録音で聴いていただきます。これも独断なんですが、ギトンは何度も聴いて耳が慣れてしまっているせいか、最近の人の演奏よりも、この古いインプロヴィゼーションのほうが乗るんです。


 

「カヤグム・サンジョ(伽耶琴散調)」
ファン・ビョンギ(黃秉冀 황병기)/カヤグム


 


 古いのはこのくらいにして、こんどは現代の作曲家から聴いてみたいと思います。アルヴォ・ペルトはエストニアの作曲家で、現代音楽作家のなかでは、いちばんポピュラーで広く聴かれています。  序曲風の「アルボス」。題名はギリシャ語で「木」。

 

アルヴォ・ペルト「アルボス」
4台のトランペット,4台のトロンボーン,およびパーカッションのための。


 


 とにかく聴きやすいですね。ギトンは、安っぽいヒーリング・ミュージックよりずっといいですw

 

アルヴォ・ペルト「シレンティウム」

 


 ↓しめくくりは、ふたたび人間の声による調べを聞きたいと思います。

 前世紀は戦争が多すぎました。「ケルビム」は旧約聖書に描かれた天使。「回転する炎の剣」とともに、「生命の樹」へつづく路を守っています。主の玉座、ないし乗り物の役目をするとも言われます。人智を超えた“智天使”に、未来への祈りをささげたいと思います。


 

ペンデレツキ「ケルビムの歌」
レゲ・アルティス室内楽合唱団



 

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