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      ぼくは星

 ぼくは天空の一箇の星
 地上をつぶさに見まわして地上の世界を侮蔑する
 この身は永遠
(とわ)の灼熱に焼かれつつ。

 ぼくは海、夜ごと荒れ狂う
 嘆きの海、罪深き生け贄
 古き罪に新しきを重ねつつ。

 ぼくは貴方らの世から締め出された者
 自惚
(うぬぼ)れに育てられ、自惚れに騙されて
 国無き王となった者。

 ぼくは愚かな情熱そのもの
 家に竃
(かまど)無く、戦(いくさ)に刃(やいば)無く
 己れの力は病んでいる。





 今回から2回にわたって、ヘッセの詩に曲をつけたものをご紹介します。もちろん、クラシック歌曲もあります。有名どころでは、リヒャルト・シュトラウスの『ヘッセとアイヒェンドルフによる4つの最後の歌曲』。

 しかし、それらは次回にまわして、今夜はロックから始めたいと思います。題して:


  荒れ狂うヘッセ、冷笑するヘッセ――ユーロ・ロックのなかで

 私たちが日本で見る・お行儀のよいノーベル賞作家とは一味違った、“もうひとりのヘッセ”を聴いてみようという趣向‥‥


 

ヘルマン・ヘッセ「ぼくは星」

(作曲:アネッテ・ロキッタ,ギター&プログラミング:ティモ・デュグリュン)

 『ヘルマン・ヘッセ 荒野の狼――音楽と詩による耳で聞く本』より。
 



 この詩は、ヘッセ 19歳の時のもので、若々しい情熱と反逆心にあふれている‥‥ ロックで歌うにはもってこいの作品かもしれません。

 ヘッセの詩に曲をつけたユーロ・ロックは、youtube には、ほかにも出ていましたが、これがいちばん、作曲も演奏もととのっていたので、とりあげました。

 ロックにしては静かだとおっしゃるかもしれませんが、大陸のユーロ・ロックは、こんなもんです。重い調子のメロディーが、ヘッセの詩には合ってるかも。。。 え? この程度じゃ、つまらない?

 そいじゃ、↓これはどーでしょ? 同じ詩を、オーストリアのブラック・メタル「ドルネンライヒ(棘の国)」の弾き語りで!!



 

ヘルマン・ヘッセ「ぼくは星」

(「ドルネンライヒ」Gitar/Vocal エヴィーガ Violin イーンヴェ)

 

 



 

 



 つぎの曲も、はじめにヘッセの詩の翻訳を掲げますが、ちょっとこれは長いです。しかし、長い詩をそのまま全部歌詞にして歌ってますから、あらかじめ全部読んでおく必要があります。

 ‥しかも、読んでみるとなかなか宗教的で、ごつい内容なんですが、これをロックにすると、いったいどんなことになるのか、まずは想像しながら読んでみてほしいと思います:





          夕べの雲

 そんなにもひとりの詩人が思いと工夫をこらすこと
 韻と詩行を彼の手帳に書き込むことは
 本質をはずれたことと人には思われようけれど
 神は理解し甘んじて見まもり給
(たま)う.

 世界を秤量し給う神ご自身も
 ときには詩人となられるのだ
 夕べの鐘が鳴りわたるとき
 夢見るように神は虚空に手を伸ばし
 晩の宴
(うたげ)をかざる祝祭劇
 やわらかな黄金
(きん)の群雲(むらぐも)を美しく編みあげ
 それらは山の端
(は)を縁どりし
 夕べのひかりに朱
(あか)く泡立ち
 かくて御許
(みもと)に達した多くのものを
 神はみちびき永らく守護し給う
 ほとんど無から生じたそれらのものが
 天にかかり至福にほほえんでいるように.
 そして語呂合わせのガラクタと見えたそれらが
 いまやひとつの魔力となり磁石となって
 ひとびとの魂を惹き集め
 神への思慕と祈りに向かわしめるのだ.
 創造主は微笑み、つかのまの
 夢から目覚め、落日の祭りは燃え尽きて、
 冷えきった遥かの地平から
 やすらぎに満ちた夜がひろがってくる.
 たとえ戯れの劇ともせよ、どの映像も、かつて
 どんな詩人も成しえなかった完璧と美と至福にみちて
 神の清き御手
(みて)から湧き出(い)づるのだ.

 よしんばおまえの地上の唄が
 速やかに消えゆく夕べの鐘にすぎぬとも
 それを超えて、光のうちに燃えあがる
 雲は、神の御手から吹き寄せる.



 


 夕べのひとときに、胸の底から自然とあふれ出てくる、心洗われるような静逸な祈り。

 燃え尽きようとする陽の最後のひかりの中で、詩人のノートに記された覚束ない文字も、この世のものとは思えない光芒につつまれ、それらはまるで、天上の世界から吹き寄せてきたかのように耀くのです。



 さて、この詩に曲をつけたのが、↓次なる動画なんですが‥‥、アッハッハ たまげずに聴けたら、たいしたものです...



 

ヘルマン・ヘッセ「夕べの雲」(ルカス&ロベルト・ベッカー)

 


 正直言いまして、ギトンは、↑これには、ほんとにビックラこいたんです。

 言葉がわからないかもしれませんが、↑上の詩を一字一句そのまま歌ってるんです。「神は見守りたまう」だの「清き御手から湧きいづる」だの、全てが全てそのままです。咥えタバコでお祈りしてるようなもんだw

 ただし、誤解してほしくないんですが、この曲、悪いと言ってるんじゃありません。軽快なリズムの中に、そこはかとない哀愁をたたえた、いい曲だと思いますよ、歌詞さえ↑こうでなければ‥‥ww

 ちなみに、この節回しをつけたのは、シロウトのいたずらでもパロディーでもありません。『耳を澄ませば――言葉と音のなかのヘッセ』という、レッキとした真面目なCDなんだそうです。



 いやいや‥‥ こんなもんで驚くのはまだ早いw

 おつぎは、2016年に、ヘッセの生まれ故郷カルプ(Calw)で開かれた『ヘルマン・ヘッセ・フェスティヴァル』のひとこま。これまた、催し自体はすこぶる真面目なもので、カルプ市の市長(Oberbürgermeister)も出席しています。

 

  カルプ市は、バーデン・ヴュルテンベルク州カルプ県の県都(Kreisstadt)で、フェスティヴァルが開催されたヒルザウ↓は、市の街区(Stadtteil)のひとつ。カルプ市ヒルザウ町ってとこでしょうか。


 

ウド・リンデンベルク「ジジイはホットだぞ」

 (2016年ヘルマン・ヘッセ・フェスティヴァル in カルプ-ヒルザウ)
 



 山高帽に、ピンクのジャケットで歌っているのが、ウド・リンデンベルク。どうやらバンドのリーダーで、このフェスティヴァルの主催者らしいのですが‥‥ よく見れば、相当お年の方らしいです。ちなみに、「ジジイ」と訳した原語(グライス)は、「非常に高齢の老人」と辞書には出ていました。この歌↑の歌詞は、ヘッセの詩ではなく、リンデンベルクの作詞だそうです。

 バンドもなにやらオジサン・バンドで、‥しかし、観客は、けっこう若い人ばかり。

 ともかく、決していいかげんな乱痴気騒ぎなどではなく、現地の市も後援する(らしい)レッキとしたコンサート。ユーチューブには、ウド・リンデンベルクが、舞台の上で、市長から「ヘルマン・ヘッセ賞」メダルを授与されている録画も出ていました。――“授与したければ、勝手にやってろ”って調子でねww

 そのリンデンベルク翁、さかんに股間を突き出してボッキン山脈を強調しながら、踊りまくってます。あんなにマイクロフォンを振り回したら危なくないだろうかと‥、歌よりもっぱら、そっちのほうが気になってハラハラしますたw  いったい、これのどこがヘッセなんだと言いたくなるでしょうが、‥‥それでも、ホンモノの(˚ヘ˚)市長が出て来て「ヘッセ賞」を授与しているあたり、これもまた、現代ドイツで“ヘッセ”を象徴する公式の場のひとつなんだと、思わないわけにはいかないのです。

 ドイツの人たちの中に今も生き続ける“ヘッセ”が、ここにあるのだと。。。



 

ウド・リンデンベルク「ホンキー・トンキー・ショウ」

 (2016年ヘルマン・ヘッセ・フェスティヴァル in カルプ-ヒルザウ)

 


 うむうむ‥‥、たしかにこういう一面もヘッセにはあり‥ ありましたんでしょうかねえ??!



 ともかく、上の『夕べの雲』と言い、このフェスティヴァルと言い、現代ドイツでのヘッセ受容の一面を見る思いです。私たちがイメージしてきたヘッセとの、あまりの違いに、もう愕然!! ヘッセを愛読する日本の紳士淑女の皆さん、いかがでしたでしょうか?w

 そういえば、ヘッセはヌーディストだったそうですよ。日本で出てる伝記には、そんなこと書いてないんですけどね。全裸で写した写真が何枚も、ユーチューブで公開されてました。(ホモセクシュアルの写真がないのは残念だ‥ ˚_オィ)




 

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