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      砂に書かれた

 美しいもの、心を奪うものは
 みな一時
(いっとき)の気配か雨でしかなく
 たぐい稀なもの、うっとりさせるもの、
 優美なものは長つづきしないのだと:
 雲や花々、しゃぼん玉、
 花火と子供の笑い声、
 鏡を覗きこむ女の眼、
 その他多くのすばらしいものは
 見つけたとたんに消えてしまう
 瞬きする間
(ま)のできごとで
 風にただよう香りにすぎぬことを
 われらは嗚呼、悲しみとともに知る.
 長つづきするもの、硬いものはみな
 われらにとって内的価値あるものでない:
 つめたく燃える高貴な石
 重くかがやく黄金の地金
 数えきれぬあの星々さえ
 過ぎゆくわれらには遥かに
 縁遠く、魂の奥底に
 ふれることはない.
 そうだ、われらのうちの美しきもの、
 愛にあたいするものすべてが
 滅びに向かい、つねに死と接している
 なかでももっともたぐい稀なもの
 あの音楽のひびきは、生まれでた
 瞬間に過ぎ去り消えてしまう
 流れ、追いかけ、吹きすぎるもの、
 かすかな悲しみの渦をのこし
 われらの鼓動のあいださえ
 ふみとどまることはないのだから
 音また音が鳴りひびきつつ
 消え去ってゆくのだから.

 

 


 長い詩なので、ここでいったん切ります。

 内容は、ひとことで言ってしまえばどうということはない、↑この前半部分を見るかぎり、一瞬にして消え去ってゆく音楽のひびきのような、“うつろうもの”への限りない愛を、くり返し唄っているように見えます。それは洋の東西を問わず言い古され、歌い古された詩歌の紋切りのテーマとも言えます。

 しかし、この詩の本領は、テーマそのものよりも、その進行のリズムと意外さにあります。意外さのほうは、↓後半を読むとわかってくるでしょう。

 言葉のリズムに乗った意外さは、原詩の語順にも関係するので、翻訳ではなかなか伝わらないかもしれません。なんとか再現できるように努めているのですが。。。

 

 

 






 



      砂に書かれた  (承前)

 こうしてわれらの心は過ぎ去るもの、
 流れゆくものに、生命
(いのち)に、
 忠実に兄弟のように付き従う
 確固として継続するものにではなく.――
 動かざるもの、巌
(いわお)、星ぞら、宝石は

  まもなくわれらを飽きさせる
 われらは恒
(つね)なき風と泡沫の魂、
 永遠の変化を追いつづけ
 時間を無二の伴侶とする者;
 薔薇の花弁のしずくさえ、
 一羽の鳥の羽ばたき、
 雲のいたずらのような死滅、
 雪のまたたき、消えた虹、
 飛び去ってしまった蝶の影、
 耳をかする通りすがりの
 笑い声さえ、われらにとっては
 祝祭であったり、愁いをもたらすもの
 であったりする.自らと似たものを
 われらは愛す、われらが解するのは
 風が砂のうえに書いた文字.



 



 さて、この詩は、さいわいユーチューブに朗読がいくつか出ていたので、2本だけ拾ってみました↓


 まず最初に聴いていただくのは、ヘルマン・ヘッセ本人の朗読です。ユーチューブを探しまくって、やっと見つけました(^^)ノ

 ただ、この朗読動画、はたして多くの人に楽しんでもらえるだろうかという不安はあります(youtube の視聴回数、そんなに多くないですw)  意味が解らなくても、音とリズムで楽しめる‥とは言っても、これだけ長い詩になると、ぜんぜん意味わからずに最後まで聴きとおすのは、しんどいかも‥ おおよその意味でも聴き取れれば、内容の進展につれてヘッセの語調が変ってゆくところなど、たいへん味わい深いのですが... せめて、自分の知っている単語のひとつや2つ、聞こえてくるんでないと、ちょっとこれは難物です。

 

 しかも、ヘルマンさん、この詩では、一語一語を噛みしめるように、ゆっくりと味わい尽くして読んでいるのです。各語に籠められた著者の思いが、手に取るように聴きとれます。意味さえ分かれば、これほどすばらしい著者朗読もないのですが‥ カラオケみたいに、画面に日本語の字幕を入れられるといいんですがねえ←

 

 なので、聴いてみて、だいたいふんいきが解ったところで、切って次へ行くようにお勧めしますw

 ちなみに、一般的に言うと、作者以外の人が朗読する場合には、“味わいながら、ゆっくり朗読”は、かえって禁物です!! とくに、シロウト朗読のばあい、感情をこめてる本人は有頂天ですが、聞かされるほうはたまらないw 自作朗読でない限り、シロウトは棒読みに限る!とギトンは言いたいのです。それが、多くの人に嫌がられずに聴いてもらえるコツだと思います。

 

 自作詩ならよいのです。作者の肉声は、詩の一部と言ってもよいのですから。しかし、他人の詩、‥とくに有名な詩を読む場合に、それはいけません。有名な詩は、読者それぞれが自分のイメージを持ってしまっています。そこに、朗読者の“有頂天”を押し込もうとするのは、デリケートな神経を逆なでするものです。

 

 自己個人の枠を離れて、パーフォーマンスの効果を冷静に計算できるプロであれば格別、それ以外の方は、どうか、ぜひぜひ“ひたりきり”をおやめになって、感情をこめずに、棒読みで淡々と読んでほしいものです。みんな、そう思わないから、ひたりきって朗読するのでしょうけれどもね‥‥

 最近は日本語でも、ミヤザワ・ケンジとか、作者以外のシロウト朗読がハヤってまして、‥‥聴いていて気持ちよくないのでw くわえて、ミヤケンの評判を落としてほしくないのでww ‥‥ いつかこのことを、“あ~いえばこーゆー記”あたりに、しっかり書いておきたいと思ってるほどです。。。 


 

ヘルマン・ヘッセ「砂に書かれた」(作者朗読)

 


 次の動画↓は、女声による職業的朗読者のものですが、声がBGMに隠れてしまって、よく聴き取れないのが残念です。しかし、棒読みに近い読み方は、良いと思いました。この詩は、このように、ある程度の速さをつけて淡々と読んでゆくのがよいように思います。

 声が小さいので、言葉の意味が解っても解らなくても、あまり違いはないかもしれません←。その点では、むしろ多くの方に聴いていただけるかも。音楽・風景動画とともに、ことばの響きを楽しんでもらえればと思います。



 

ヘルマン・ヘッセ「砂に書かれた」(アネット・ルイザン朗読)



 

 

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