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      夜

 夜はぼくの親しい友だち
 夜とは心を読み合える
 同じ祖国、ぼくらの前世は
 姉・弟のあいだがら。

 そしていつか時が来て
 夜はぼくをしっかり抱きしめる!
 笑ってうなづき、ぼくの頬をなでながら
 用意はできた?と問いかける。




 「用意はできた?」とは、死ぬ用意ができたかということです。

 メルヒェンのように軽く明るいこの唄も、その意味するところは、おそろしく重く深いのです。ちなみに、「姉・弟」なのは、「夜」が女性名詞だから。

 このように、可視の世界の向う側へ、一気につきぬけてしまうところは、ジッドなどには真似できないヘッセの本領と言えるでしょう。

 この詩ももちろん、セクシュアルな読み方ができないわけではありません。しっかりと抱きしめ合って、問いかける「用意」とは、その場合には身体で交わる心の準備でしょう。しかし、そう読んだ場合には、その交わり自体が、生と死の向こう側を覗き見るような面を持つことになります。真摯に体を重ね合うほどに心と心が近づいたとき、見える世界は、決してこの世だけではないのです。




 さて、『地の糧』のつづきです。こんどは、イラス少年がシミアーヌを歌のかけあいに誘います。シミアーヌという名前は女性(やおい??)のようです。




――さあ、シミアーヌ、無花果(いちじく)を歌いたまえ。

 無花果の恋は秘められているのだから。


 ――では、無花果を歌います、とシミアーヌは言った。
 無花果の美しい恋は秘められていて、
 その花は内側に畳み込まれて咲くのです。
 婚礼の祝われる閉ざされた寝室。
 どんな香りも婚礼の様子を外に語り伝えはしません。
 なにも発散しないからです。
 香りのすべては豊かな果汁と味わいになるのです。
 美しさを欠いた花、悦楽の実。
 熟した花にほかならない実。


 私は無花果を歌いました、とシミアーヌは言った。
 さあ、今度は花という花を歌ってください。

『地の糧』「第四の書 三」より;二宮正之・訳.




 「熟した花にほかならない実」と言っているように、私たちが食べるイチジクの“実”は、じつは花と蕾です。花の香りは外に発散しないで、内にこもって、これ以上はなく豊かな悦楽を生みだします。披露したり、美しいだろう!と見せびらかしたりしない、つまり、秘められた恋です。

 他人に気取られないように注意深く隠れてしたほうが、悦楽の中身はいっそう濃くなり、豊かになるというわけです。

 「今度は花という花を歌ってください。」と返したシミアーヌに対して、イラスは、しかし、



「そういえば、ぼくらは果実という果実を歌ったわけではなかった(Certes, nous n'avons pas chanté tous les fruites.)。まだ歌っていない果物がある。」


 と言います。シミアーヌの依頼をはぐらかしているのですが、イチジクの歌が気に入って、“秘められた悦楽”の歌をもっとつづけようとしているようにも見えます。


「詩人の天賦の才とは、スモモの実に感動する才能(celui d'être ému pour des prunes)のことだ。花は、ぼくにとって果実を約束するもの(une promesse de fruit)としてしか、意味はない。」


 フランス語で「スモモの実」には、「なんでもない、つまらないもの」という意味があります。イラスは、2つの意味を掛けているわけです。

 

 「花は、ぼくにとって果実を約束するものとしてしか、意味はない。」には、イラスの恋愛観、あるいは女性観が表れているかもしれません。美しく飾っているだけでは意味がない、快楽をもたらして情慾を満たしてくれなければ。


「詩人の天賦の才とは、なんでもないつまらないものに感動する才能のことだ。」


 ↑これこそ、ジッドが繰り返し説いている、飽くなき欲求と感覚の「熱情」ということの、核心ではないでしょうか?

 イラスの求める「快楽」とは、ものすごいエクスタシーの快感だけではないのです。むしろ、ときには吐き気をもよおすようなことでも、また「なんでもないつまらないもの」にでも、「快楽」を求めてゆくのです。ふつうに生活していると看過ごしてしまう「なんでもないつまらないもの」の「快楽」を発見し、味わいつくそうとすることが、イラスの「熱情」なのだと思います。

 「何でもしてやろう。何でも見てやろう。死ぬまでに、やれるだけのことをすべてやってやろう。」という考えを、『地の糧』から受け取る人が、日本には多いようですが(たとえば、『太陽の季節』の石原慎太郎氏)、じつのところ、ジッドの考えは、それとは対極にあるようです。。。





さて生垣のリンボクの実は酸っぱいけれど、
 冷たい雪で甘くなる。
 セイヨウカリンは傷んではじめて食べられる。
 そして枯葉色の栗の実は
 火に近づけてはじけさせる。



 『私はある厳寒の日に雪の中で採った山の苔桃
(こけもも)を思い出す』」

『地の糧』「第四の書 三」より;二宮正之・訳.





 「リンボク」と訳されているのは、「スピノサ・スモモ prunelle; prunus spinosa」のこと。セイヨウスモモ(プルーン)(prune; orunus domestica)の近種です。棘があるので、生垣にも使われます。実は酸っぱいですが、凍らせると甘くなります。⇒:wiki: スピノサスモモ

 「リンボク(橉木)」は、化石植物の鱗木とは別で、ヒイラギに似た、棘のある硬い葉をもつ常緑樹。スモモと同じサクラ属ですが、スモモやスピノサ・スモモとはかなり隔たった遠戚になります。

 しかし、「リンボク」という訳は、誤訳ではありません。仏和辞典に、そう書いてあるんですから、しかたがないw…


 「コケモモ」は、高山植物。高山の岩だらけの地面に、へばりつくように生えている、草というより苔に見える植物ですが、じつは常緑広葉樹。小さな木なんです。きれいな赤い実をつけます。⇒:wiki: コケモモ

 サハリンでは「フレップ」と呼んで、ジャム、果実酒などにします。⇒:~ゆらぐ蜉蝣文字~ 7.7.13 ⦅ギャルリDEタブロ⦆【フレップ】コケモモ


 




 


 『地の糧』には、アルジェリアでの“異国体験”だけでなく、フランス・ノルマンディでの農村体験も書かれています。アンドレ・ジッドの母方は資産家で、ノルマンディに城館と“領地”を持っていました。アンドレも、子どもの頃は、よくこの城館に滞在し、村の子どもたちと牛小屋で遊んだり、もっと年上の、牧場の草刈り作業をしている少年たちに混じったりしていました。『地の糧』出版の前年には、この村の村長に選出され、現地で村行政にたずさわっています。




駅馬車の旅  私は町の生活の衣を脱ぎすてた。町ではよけいな体面を保たなくてはならなかったのだ。

      *

 彼はそこに居た、私に寄りかかって。心臓の打つ音でそれが生き物であることが感じられた。そして、その小さな体の温かさが私を燃え立たせていた。彼は私の肩にもたれて眠っていた。呼吸の音が聞こえた。吐く息の生温かい口臭が気になったけれど、目を覚まさせるといけないので身じろぎもしないでいた。すし詰めの馬車が大きく揺れるたびに、子供の繊細な頭は右に左に揺れ動いた。他の人々もまだ眠っていた。夜の残りを消耗しつくそうというのだ。

 たしかにそう、私は愛を知った。さらにも愛を、そのほかにもじつに多くの愛を、知った。しかし、あの時のやさしいこころもちについては何もいうことができないのだろうか。

 たしかにそう、私は愛を知った。

      *

 うろつき回るすべてのものに接しうるように、自分もうろつき回ることにした。どこで暖をとったらよいのかわからない一切のものに対する愛情で、私は夢中になった。そして、放浪するもののすべてを愛した。

      
〔…〕

 森を過ぎてゆく。それぞれに特有の香りを帯びた気温帯。もっとも生暖かいところは土の匂いをしている。もっとも冷たいところは、水にひたされて繊維だけになった葉の匂い。――私は両眼を瞑(つむ)っていた。その目を開ける。そう、これが木の葉だ。これが搔き回された腐葉土だ……


      
〔…〕

 

散策   


 ……存在することが私にとって極めて官能的なものになってきた。私は生のあらゆる形を味わいたいと思った。魚の形、草木の形。五感の歓びのうちで私は触覚がもっとも欲しかった。

      
〔…〕

 あの年頃の私は、裸足で、濡れた土、水溜りの跳ね返り、泥の冷ゃっこさや生温かさに触れるのが大好きだった。なぜ、水と特に濡れたものとを好んだのか、私は知っている。空気にもまして水はその様々な温度の差を直截に感じさせるからなのだ。私は秋の濡れた息吹が好きだった……雨の多い、ノルマンディの地よ。


 

ラ・ロック   


 荷車はみな、薫り高い収穫物を積んで戻ってきた。

 穀物倉は秣でいっぱいになった。

 道路わきの斜面にぶつかり、轍
(わだち)に落ちこんで跳ねあがる、重い荷車よ、何度おまえたちは私を畑から連れ戻してくれたことか、乾いた草の束の上に寝転び、秣干しの作業をするごつい少年たちにまじった私を!

 いつまた、ああ! 藁塚の上に寝そべって、夕べの来るのを待つことができるのだろう?……」

『地の糧』「第五の書 二」より;二宮正之・訳.




 「ラ・ロック」は、ジッドの母方の城館があり、ジッドが村長をしていたノルマンディの村。

 上の引用部分では、少年牧夫たちの草刈り作業に付いて行った幼い頃の思い出を、↓下の引用部分では、同輩の子どもたちと牛小屋に入りこんで遊んだ記憶を、物語っています。

 下では「農家」を謳っていますが、この「農家」、他の国のふつうの農家とは、かなり違います。おそろしく規模が大きいのです。この「農家」は、各種の収穫物を豊富に貯蔵した倉庫や、大きな牛舎、チーズや、リンゴなどの果汁や、樹脂、蒸留酒などを製造する工場まで備えています。

 じつは、北フランスの農村では、これがふつうでした。いちばん上層には、ジッドの母方のような、古い城館を所有する地主がいます。封建領主の子孫のこともありますが(先祖は、北欧から来てこの地を支配したノルマン・バイキング‥)、パリなどの都会で資産を貯めて、領地ごと買い取ったブルジョワも多かったのです。

 地主の下に、“借地農(フェルミエ)”と呼ばれる農業企業家がいます。フェルミエは、地主と永年契約を結んで村の土地を一括して借り上げ、管理を一任されているのです。「農家」「農夫」とは、この階級のことですが、ふつうの農民とは比べものにならない大企業家なのです。“小作人”のイメージではありません。

 フェルミエの下には、ふつうの小さな農民などいません。“小作人”もいません。みな、フェルミエの農場に雇われる農業労働者なのです。



 下では、フェルミエが「農家」「農夫」と表現されていますが、言葉の内容は、このようにイメージする必要があります。




「     農家


        農夫よ!

 農夫よ! おまえの家を歌え。

 私はそこで一時
(ひととき)休みたいのだ――そして、穀物倉の脇で秣〔まぐさ〕の香りが思い出させてくれる夏を夢見たいのだ。

 鍵束を持って、一つ、また一つと、次々に戸を開けてくれ……


      
〔…〕

 四番目の戸を開けると牛小屋だ。


 ここは我慢ならぬほどむっと生暖かい。しかし、牛はいい匂いがする。ああ! 汗をかいた体がいい匂いをしていたあの百姓の子どもたちと一緒にいたあの頃に、皆で牛の脚の間を駆け回っていたあの頃に戻れたらどんなによいだろう! 私たちは秣棚の隅に卵を探した。牛の糞が落ちて、砕け散るのを見ていた。どの牛が最初に糞をするか、賭けたりもした。ある日、私は恐怖に捉えられて逃げ出した。なかの一頭が急に子を生むと思ったので。

『地の糧』「第五の書 三」より;二宮正之・訳.





 牛や馬は、いつでもどこでも糞をします。牛や馬といっしょにいる限り、糞の匂いはは避けられません。匂いそのものは“悪臭”ですが、小舎の干し草の匂い、土の匂いとまざって、その中にいると、「いい匂い」に感じられます。思い出の中では、もっと「いい匂い」になるでしょう。

 先日、盛岡で子どもたちの乗馬行列“チャグチャグ馬こ”を見学したのですが、馬が落としてゆく糞を片づけるために、市の清掃局のトラックが数台、行列のあとに付いていました。ときどき停止しては、職員が急いで降りて来て、箒で道路を掃くのですが、糞を取り去っても匂いはどうしても残ります。

 昔と違って道路がキレイなアスファルトですから、土の匂いと混じり合うことがありません。馬糞の匂いが嫌がられるようになったのは、都会化した人々の嗜好の変化だけではないようです。



 男の子や、男の身体の匂い、汗の匂いも、ときどき、いい匂いに感じられます。男の同性愛の魅力のかなりの部分は、この匂いにあると思います。もっとも、個人ごとに匂いが違うので、合う、合わないがあります。いま、アメリカ、フランスなどのゲイのあいだでは、匂いが合うかどうか嗅いでみて、つきあう相手を決めることが多いそうです。じつに理にかなったやりかただと、ギトンは思うのですが。。。





      しずかな屋敷

 しずかな夜、大きな家がよこたわる
 百姓屋敷:起きている者も、眠れぬ夜を
 知る者もそこにはいない。

 郷愁の魔力がおまえからやって来る
 わたしの思念に吹き入れてくる
 名づけようもない平安を。




 

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