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      しずかな雲

 ほそい、しろい
 しずかな、やわらかな
 くもがあおぞらを吹いてゆく
 眼をおとしてごらん、至福の
 まっしろな冷気が、きみの
 蒼い夢を貫
(つらぬ)いて入ってゆくよ


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      貧しき人びと

 木
(こ)の葉は散り粗暴な風が
 行く手を阻
(はば)んで巻きあがる
 哀れな子よ、われらの今夜の塒
(ねぐら)さえ
 わたしにはわからないのだ。

 おまえもまたいつか風のなかで
 疲れ果て行き惑うことだろう
 哀れな子よ、そのときまで生きているかどうかさえ
 わたしにはわからないのだ。





 これらも、ヘッセの若い時の作です。つまり、「哀れな子」とは、親が子に言っているとかではなく、同輩のような“旅の道づれ”に呼びかけていると思ってよいでしょう。

 題名の「貧しき人びと(Armes Volk)」は、「哀れな子(armes Kind)」と同じ語「アルメス」で、つまり、


「心貧しき人は幸いなり。天国は彼らのものなればなり。」

 とイエス・キリストが言った、あの「貧しき人」を意味します。

 また、最初の詩にある「至福(selig)」も、単に気持ちがいいとか、幸せな感じがするというだけではなくて、キリスト教では、死後の至福の世界、つまり天国(パラディース)にいる状態を暗示しています。



 ともかく、私たちの文化の中にある宗教は、それと意識しなくとも私たちの考え方や感じ方の中に刻印を残します。宗教詩人というわけではないヘッセの――どころか、本人は背教詩人のつもりでしょう――とくに宗教を意識していない作品にも、文化の違う私たちからみれば、たぶんにキリスト教的な色彩が見られるのだと思います。

 おそらく、同じことは逆にも言えて、私たちの何気ない常識やものの感じ方には、キリスト教やイスラムの人たちから見れば、たぶんに仏教的な色彩が感じられるのだと思います。

 しかし、それらの違いを理解し、かつ越えて、私たちは互いを理解し合うことができます。


 

 

 





 

 初期のヘッセに横溢する“漂泊のうた”は、ここではかなり抽象化されています。無二の親友と現実に二人で歩いている状況というよりは、もっと抽象化された想念の中の“旅のみちづれ”への語りかけです。

 この気取らない、みじんの説諭も含まない語りかけに、ギトンはいつも全幅の好感をもってしまいます。読んで、悲観的だと思う人がいるかもしれませんが、悲観ではないのです。言葉の上で見せかけを明るくさせるような、当為的な、あるいは教訓的な語りかけをいっさい含んでいないだけのことです。

 共に生きようとするカップルの片割れに対して、意見の違いを乗り越えようとするあまり、“ふつうはこうだ、おまえもこうしろ”“世の中の常識に照らして、こうあるべきだ”などと言いたくなった時には、これらのヘッセの詩を読んでみてはどうかと思います。





      のはらを越えて

 そらを越えてくもが往く
 のはらを越えてかぜが吹く
 のはらを越えてさまよいつづける
 わたしの母の見捨てられた子。

 通りという通りに木の葉が舞い
 樹という樹で鳥どもが叫ぶ
 どこか山並みのむこうがわで
 わたしのはるかな故郷
(ふるさと)がねむる。



 

 

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