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稚内、幌延


 




      朝まだき

 銀色の刷毛が通りすぎ
 のはらは沈黙してよこたわる
 ひとりの狩人が弓を振りあげ
 森にざわめき:ひばりが上がる

 森はざわめき、もう一羽
 ひばりが上がり、墜ちる
 ひとりの狩人が獲物を拾いあげ
 また一日が世界に歩み入る





 絵に描いたような夜明けの情景。毎日のように繰り返される、なんでもない風景のように見えます。たしかに、田園風景の中での朝の、未明の爽快感は、この詩にも感じられますが...

 しかし、細部をよく見て行くと、なにか奇妙な光景が展開されているようでもあります。猟師が弓を振り上げると、森の中でガサガサっと音がして、気の早いヒバリが、さえずりながら夜明けの空高く上がって行きます。

 また、森の奥でガサガサっと鳴って、2羽目のヒバリが上がりますが、すぐにまた降りて……墜落して?……しまいます。そして、猟師は「獲物を拾い上げ」て去ってゆく。。。 さきほど弓を振り上げたのと同じ猟師なのかどうか判りません。“2羽目のヒバリ”が射落とされたのか、それとも猟師は森の中のほかの動物を射止めたのか?‥それも不明です。

 ただ、このいちぶしじゅうのあいだに一つの生命が犠牲になったこと、それを猟師が「獲物」として持ち去って行ったことはたしかです。また、“2羽目”がいなくなったあと、最初のヒバリが、夜明けの空を孤独にただよっていることもたしかなことでしょう。

 そうして始まる「一日」とは、なんとそらぞらしい時間の流れなのでしょうか。毎日間断なく進行してゆく時間の流れは、2羽目――あるいは、「獲物」となった動物――の死を悼むヒバリの悲しみには、まったく無頓着なのです。その“悲しみ”は、詩の表面にも現れず、言外に想像されるのみです。

 

 

 

 






 

 朝はすがすがしいもの、夕べは安らかなもの‥‥そうした常識的な感性を繰り返しているだけならば、詩なんて、歌の歌詞以上の価値は無いかもしれません。運動会の応援歌と変らないでしょう。

 すがすがしいあしたの野辺に悲しみを見いだし、夕べの安らかな窓辺におぞましい恐怖を感じとる感性―――いわば“二重の風景”を見ることのできる人びと、複眼的な世界の見方を私たちに教えてくれるところに、詩人の存在理由と価値があるのだと思います。



 ともあれ、↑上の詩は読む人しだいでさまざまに解釈される余地を残しています。“別れの悲しみ”―――生別であれ死別であれ―――と、その悲しみをも消し去るように進んでゆく非情な時間の流れを、読みとることも可能だと思います。

 “別れ”の表現としては、たいへんに遠く、間接的な表し方になります。“別れ”そのものの具体的な事情はまったく分かりません。



↓下の詩も、そうした間接的な表現のひとつです。「オーデンヴァルト」は、シュヴァルツヴァルト(黒森)の北側にある森(山地)。






      オーデンヴァルトの夜

 市役所の尖塔が真夜中を告げた:
 急にわたしが目ざめたのは、なぜだ?
 ふしぎな痛みをともない、夢うつつ
 わたしの心を敲
(たた)くものは、何か?

 周りは静けさ:かぜは息をとめた
 繁みに獣や鳥のけはいもなく
 窓のそとからくすんだ光を投げて
 蒼白い夜空がみつめている

 するとまだ夢の続きを見るように
 胸は悲しみ、啜り泣きが漏れて出る
 わたしが眠っていたあいだ、古い愛の
 圧
(お)し黙った蒼い影がうろついていたのだ



 

 

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