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大津市滋賀里


 






 ある日本の森の谷間で風雨に曝される
         
太古の石仏

 かどはとれ肉はおち、雨と寒さに
 傷められ、青く苔むしたあなたの
 おだやかな頬、閉じられたおおきな瞼
(まぶた)
 しずかに行く手に向けられている
 すすんで迎える崩滅、形なく境なき
 万象生成のまほろばへと向かう。
 なお消え残る物腰が、あなたに託された
 王の使命の高貴さを告げているが
 あなたは湿気と泥と土にまみれ、あらゆる形から
 解き放たれて、その意を成就しようとする:
 あすは根となり、木の葉のそよぎとなりはつるとも
 水となって清らかな天を映しだすとも
 蔦
(つた)となり藻となり羊歯となってからまりあうとも、示すところは
 永遠
(とわ)にひとつである万象の流転のすがた。






 ヘッセのアジア旅行(1911年)は、スリランカ、ペナン(現・マレーシア)、シンガポール、パレンバン(スマトラ)、ボルネオ、ビルマをめぐっただけで、インド本土や中国を訪れる余裕はなかったそうです。日本にも来たことはありません。

 しかし、ヘッセの母方の祖父は、南インド・マラバール地方で長年キリスト教伝道に従事し、ドイツ帰国後はマラヤラム語研究の権威となった人で、ヘッセは幼い時からインドの文化・宗教に対する関心を育まれていました。また、ヘッセの従兄ヴィルヘルム・グンデルトは、日本の水戸高校のドイツ語教師で、神道と禅宗を研究しており、里帰りした際に2回、ヘッセの家に滞在しています。ヘッセの小説『シッダルタ』は、従兄から伝え聞いた日本やインドの仏教知識に基づいて書かれたと言えます。

 上の詩は、第2次大戦後のものですが、従弟をはじめとする人たちの話を聞いて想像したり、写真を見て、書いたのでしょうか。

 「石仏」と訳しましたが、原文のタイトルには「仏陀の彫像」とあって、「石」とは書いてありません。しかし、戸外で雨ざらしになっている、苔に被われているということから、石仏だと思います。

 日本のどこにある石仏なのかは、まったくわかりません。水戸の近くかもしれませんが、「太古の」石仏だと書いてありますから、奈良時代以前のものだとすると、関西の飛鳥・大和のあたりでしょうか。「あなたに託された/王の使命」とあることからすると、朝廷によって建立された石仏なのでしょうか?‥そういうものがあったかどうか、ちょっと思いつきません。。。



 それに、関西にある古い石仏や摩崖仏は、保存がゆきとどいていて、今も雨ざらしで苔むしているものなどは、なかなかなさそうです。

 ↑上に出したのは、彫造年代不明ですが、近江大津宮・崇福寺址の近くで見かけた摩崖仏。天智天皇の大津宮の時代に創られたとすれば、奈良時代より古いことになります。


 







 ↓下の詩は中国を思わせますが、1911年の東南アジア旅行中のもので、マレーシアかスマトラあたりでしょう。






     原始林の雷雨

 夜の闇はいなづまに照らしだされ
 ぴかっとまっ白にひかる、そして
 とり乱したように荒々しくするどく
 森と河とわたしのあおじろい顔をゆらめかす。
 つめたい竹の幹にもたれて
 わたしは雨脚上がる蒼白の
 大地を見つめ、立ちつくしている、
 大地はやすらきを欲しているのに、
 はるかに横たわる青春の圏域から
 雨にけぶる陰鬱な闇から
 歓喜のわめきがつん裂いてやって来る:
 まだすっかりからっぽになってはいないと
 うつろでも真暗でもないのだとわたしに告げる、
 そこではなお夕立がほとばしり、
 不毛な日々の列なりが過ぎてゆくかたわらで
 神秘と野生の驚きが輝いているのだと。
 深く息を吸ってわたしは雷鳴に耳を澄ます
 わたしの髪を濡らした嵐の痕をたどり
 しばし虎となったかのように覚醒し
 わたしは子どもの時のように快活になる
 子どもの時以来なかったほど快活に。



 

 

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