詩文集(12)――孤独と友愛

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市門(アルトドルフ)








     ある夜の徒歩旅行

 山間
(やまあい)から夜を徹して下りてきたみちは
 ぼんやりと光るのはらのふちをめぐり
 淡い影をおとしているのは闇に沈んだ樹々
 古い町のひらいた門に達していた。

 長い通りがつづき私はゆっくりとあるいて行ったが
 家々のガラス窓はみなまっくらで、ひとさしの
 蝋燭の灯りさえ見えない、やすらう場所とてないのだ
 街は寝しずまり夜のしじまがひろがっていた。

 わたしはその町を出て、のはらをしばらく行ったあと
 後ろをふりかえり、あやしくならぶ家々の影、
 寝乱れたような暗い切妻の列を見たとき、はじめて
 高い塔の上に光が見えた:

 塔のひさしの上に起きている人がいた
 綱で吊るしたカンテラをゆらしながら
 男は遠くを見すかそうとして身をかがめ
 もうほとんど聞こえない私の足音をききとろうとしているのだった。







 まえにも書いたのですが、低山や草原をこえて町から町へと歩いてゆくドイツの徒歩旅行は、自分の技を磨く場所を求めて渡り歩く中世の遍歴職人の伝統にもとづくもので、第2次大戦以前の若者のあいだでは、たいへんに盛んでした。徒歩旅行は、二人、あるいは数人のこともあり、一人で行くこともありました。昼間だけでなく、静けさを求めて夜間に行われることも多かったのです。

 当時は、アウトバーンのような自動車道路はもちろん無く、古い町は城壁と、高い塔のある市門を備えていました。

 夜間とはいえ、町の中に、どこかあいている居酒屋か旅籠でもあれば、そこで一服して行きたいところです。ところが、↑上の詩では、まったくひとけの無いぶきみな町を通った体験を描いています。

 休憩するのをあきらめて、町を通過した後で振り返って見ると、高い塔(おそらく、出口に建てられた市門の)の上に寝ずの監視人が居て、夜間に出歩いている“不審者”が立ち去って行くのを、いぶかしそうに見送っているというのです。

 この情景から、まず読みとれるのは、夜に徒歩旅行をする作者と、昼間の世界との関係です。昼間の町の世界は、作者のような若者が気ままに歩き回ることを決して歓迎しないし、作者はいわば“のけ者”として白い眼で見られることになります。ドイツ人の(すくなくとも当時の)市民社会は、各人が自分の持ち場を守り責任を果たすことを何よりも重んじますし、規則と秩序に従わない“ならず者”を許容するようなおおらかさは、そこにはありません。ロマン主義が一世を風靡していると言っても、それは文学や芸術の世界のことで、一般市民はそんなことには無関心です。

 作者は、伝統的な古めかしい町の、不愛想でぶきみな印象から、このことを強く感じたということになるでしょう。

 しかし、さらに深く読みこんでみますと、この詩はそれだけではないようにも感じられます。塔の上で灯りをかざしている人は、寝静まった町のなかで「ひとりだけ」起きているのであり、去って行こうとする作者の足音に、じっと聞き入っているのです。その人もまた、作者と同様に、このぶきみな古めかしい夜の町のなかで、孤独であり、目覚めている他の人間を求めているとは考えられないでしょうか?

 集団となった人間は、個人に対してぶきみな権力をふるいますが、集団を構成するひとりひとりは、よるべなき孤独な個人にすぎないのです。

 もちろん、灯りをかざしている人は、おそらく市門に詰めている夜間監視人であり、あくまで職務として不審者の通過をチェックするために、塔の上に上がって来たのでしょう。しかし、そうだとしても、その人もまた生身の人間であることは否定できないはずです。作者の表現のはしばしに、そう訴えている詩人の声を感じないではいられません。

 テロ対策といった情勢に強いられ、監視カメラなどのテクノロジーの発達にうながされて、ともすれば地球規模の相互監視社会となってゆくかに見える昨今の世界を思えば、こうしたことはなかなか結論も名案も出るものではないでしょう。としても、私たちは素通りせずに考えて行かなければならない大きな問題のように思います。



 巨大な機械のように構造化した世界の中で、それを構成するのは実は生身の人間であること、“孤独な個人”であるこということが、むしろ私たちの未来を重苦しいものにしないための鍵になるかもしれません。

 孤独であればあるほど、他者との友愛を求める渇望も大きくなるということ。

 下の2つの詩でも、またそのことを考えてみたいと思います。





 








     靄(もや)の中

 靄の中を歩いてゆくのはふしぎな心地だ!
 どのしげみも石も孤独のなかに沈む
 樹々たちには互いのすがたが見えない
 だれもかれもがひとりなのだ。

 わたしの世界は友達でいっぱいだった、
 まだわたしの人生が明るかったときには。
 靄のとばりがおりたいまは
 もうだれのすがたも見えない。

   まことに、闇を識るにいたるまでは
 だれも賢くはなかったのだ:
 闇は逃れがたく、またおごそかに
   ひとをすべてから切りはなす。

 靄の中を歩いてゆくのはふしぎな心地だ!
 生きるとは孤独であること。
 人はみな己れ以外の者を識らぬ、
 だれもがひとりなのだ。

  ――――――――



     夕べの会話

 雲にとざされた風景に見とれて、きみはなにを見ているの?
 ぼくはきみの麗しい手にぼくの心を預ける、きみの手のうちで、
 えも言われぬ幸せにみたされるぼくの心、
 こんなにも熱くなっているのを――きみは感じないか?

 ふしぎな笑みをうかべて、きみはぼくに心をかえす
 しずかな痛み…… ぼくの心は沈黙し、冷めてゆく。



 

 

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