春
うす明かりの墓穴のなかで
ぼくはもう永いこと
おまえの樹々、おまえの青い風、
おまえの匂いと鳥たちのうたを夢見ていた
いま、おまえは奇蹟のようにひらかれて
誇りと輝きにみち
惜しみなく注ぐ光を浴びて
ぼくのまえによこたわる
おまえはぼくを再びその眼にみとめ
やさしく引き寄せる
おまえが居ることのふるえる幸せが
ぼくの手肢(てあし)をつらぬいてはしる
「おまえ」とは、春を擬人化して、春に向かって呼びかけているわけです。でも、ここは例によって、「春」は男性名詞だということを、じゅうぶん念頭において読んでいただきたいと思います。1年ぶりに再会したよろこび、そしてうんぬん‥‥ というのを、遠回しに婉曲に表現しているのだと思って読んでも、かまわないはずです。
しかし、これだけ雅やかに、優雅に表現されてしまうと、それに続けてシモネタめいた話を書く気にはとてもならないので、困ってしまいますね←
「おまえが居ることの」って、かなり意訳なんですが(原文は Gegenwart)、ヘッセの本意を取り違えてはいないと思います。これがいちばん大切なことなんです。“ネット彼氏”だとか、“ネット恋愛”だとか、そんな嘘っぽいものを信じたらいけませんよw
どんな相思相愛の間柄でも、永いこと会わないでいると、心は離れていくものです。心を凍結することはできませんからね。なぜって、心は人間の一部で、人間は日々生きていて、それぞれの道を歩いて行かざるを得ないからです。そばにいれば、自然と、また意識して、いろいろと調整は可能ですが、離れていてはそうはいきません。時々でも会うようにしないと、けっきょくは別れることになるんではないでしょうか。
浮気をするとかしないとか、関係ありませんw
‥‥とまた、ずいぶんと教訓めいた話になってしまいました。

サクラが散りかけたころになって、東京にもようやく春がめぐって来たようですが、風の強い日が多いですね。けわしい雲が行き交って、毎日のように目まぐるしく天気が変ります。でも、けわしい形相の雲をベランダから眺めていると、こういうけしきのほうが、生きていくにはかえっていいかなという気もします。
おだやかなそよ風と、ぽかぽか温かい日ざし、そんな春らしい春が良いことずくめとは限りません。そういうことに気づかせてくれるものがあることは、まことにありがたいことなのです。私たちの埋没した眼を、もう1段上に引揚げ、見透しを良くしてくれるのが、詩の世界です↓
静かな森
ここで休んで行こう。あそこの森が
やさしく翼を広げようとしている。梢が
わずかにゆらぐ。のはらの穏やかな風が
木だちと草に寄り添うように、おずおずとわたって来る
このひろびろとした世界の彼方から
わたしにやってくるのは、ただひとすじの気はい、
片欠けの声。風にゆられて牧場(まきば)から
草の匂いをはこんでくる
このひろびろとした世界の彼方から
わたしの若き日の痛みと幸せから
かぼそい風にゆられつつやってくるもの
わたしには静かな疲労だけが残っている
――――――――
詩(うた)のノート
おまえはいま腰をかがめ
ノートの束の紐をほどく
わたしのしるした詩(うた)たちが
おまえの絹の膝に載る
すぎさった時の滲(し)みが、おまえの
心にいまくろぐろと浮かび出る
おまえはおどろき、わたしはといえば
すでに旅の彼方にあるのだ
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