詩ラ






     終 音

 くもはとび、切るような風が
 病みあがりのからだを冷やす。
 しずかな子どものように
 わたしは休らぎ、病
(やまい)は癒えた。

 胸の奥の響きだけが
 わたしの貧しい愛の残滓
(ざんし)
 高らかなあらゆる歓びが、いまは声をひそめ
 さびしそうに消え残っているのだ

 風と樅のざわめきのあいだから
 聞こえ来る名づけようもないその響きに
 わたしは何時間も何日も、圧
(お)し黙ったように
 耳を傾け浸っていることができる。



 「終音(Ausklang)」は、辞書を引くと「(曲の)終りの音」(独和辞典)、「終結和音」(Duden)と書いてあって、曲の最後に鳴る音あるいは和音を指すようです。何か、「わたし」にとって悲惨な結末となったできごとがあったように思われます。

 しかし、ヘッセは、この詩の最後に「浸っていることができる」と言っているように、この・いっさいが終焉してしまった余韻のような響きを、忌わしいものとして避けるのではなく、むしろ積極的に全霊を傾けて聴き取ろうとしているのです。そして、その響きから、こうした機会にしか得られない、人間にとってたいせつなものを受け取ることができるのだと思います。

 自我の深みに沈潜して、何が得られるのかと言えば、ふだんは気づかないような魂の奥底の声…自分は、ほんとうはどんなことを望んでいるのか、といったことかもしれないし、あるいは他人に対する優しさのようなものかもしれません。ともかく、こうしたことはけっして無駄なことではないし、時間の浪費でもないと思います。

 悲しみを避けようとする者は、ほんとうの喜びを知ることもできません。

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     夜

 ぼくは蝋燭を吹き消すと
 ひらいた窓から夜が流れ込んで来る:
 夜はぼくをやさしく抱きしめ、ぼくはその
 友となり兄弟となる。

 ぼくらふたりは、同じ郷愁を病んでいる;
 ぼくらは予感にみちた夢を発信し
 ささやくように太古の時を語る、
 ぼくらの父の家に向かって。



 「ぼく」の「友となり兄弟となる」のは、詩の字面の上では「夜」ですが、「ぼくらふたりは、」以下は、「ぼく」と旅の“つれあい”、作者と親友の2人を言っているような気がします。

 しかし、そうすると「ぼくらふたり」のあいだには血のつながりはないのに、「ぼくらの父」とは、誰なのでしょう? 想像するに、作者の父親のことではなく、地上の人間すべての「父」、つまり神のことではないでしょうか。「ぼくらの父の家」とは、天国を意味することになります。そうすると、天国に向かって「太古の時」についてささやきかけるとは、どういうことなのか?

 もしかすると、ヘッセはここでキリスト教の常識とは異なるイメージを抱いているのかもしれません。「太古の時」とは、人間が楽園から追放される以前の「時」かもしれないし、そもそも聖書には書かれていないような、もっとむかしのことなのかもしれません。この詩が書かれた 1907年、ヘッセはまだ最初のインド旅行に旅立つ前でしたが、ニーチェなどの読書から、キリスト教を超えたイメージをすでに抱いていたのではないか。「太古の時」とは、ギリシャ神話の神々の時代、あるいはゾロアスター(ツァラトゥストラ)教の神々の劫初をイメージしているような気がします。

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     赤い花

 赤いカーネーションが庭に咲いている、
 熾火のように燃えたつように耀きながら;
 眠ることはなく、待っていることもない、
 赤い花は、ただいちずに、
 より速く、より熱く、より奔放にと狂い咲く。

 煌
(きら)びやかな焔が燃えあがる
 風にゆらめく紅いほむら
 欲情をつのらせて顫えている
 花のほむらは、ただいちずに、
 速く、もっと速くと燃えさかる。

 わたしの血のなかで燃える赤い花
 おまえの夢見るあこがれは何なのか?
 雫
(しずく)になって滴(したた)ることは望まない
 河となり、潮
(うしお)となって奔流し
 耗
(すりへ)って泡と消えるのがおまえの夢か?




 カーネーションは、ナデシコ科ナデシコ属で、日本に自生する「なでしこ」(カワラナデシコ)の近種です。花屋さんで売っているカーネーションは、カワラナデシコとは花の形が違うと思うかもしれませんが、地中海沿岸には、「なでしこ」そっくりの一重咲きのカーネーションが自生しています。

 上の詩の「赤いカーネーション」は、「なでしこ」と同じように花びらの先が細かく裂けている形なのではないかと思います↓








 燃え立つような生命の衝動に対する讃美は、この時代のヨーロッパでの仏教思想の特徴だったとされます。19世紀末から 20世紀はじめにかけて、ドイツを中心に仏教に傾倒する人が増え、“ユーゲント(青年)運動”のなかで、仏教の研究やヨガの実践活動が流行します。といっても、受容のソースはインドの小乗仏教で、日本や中国の仏教とはかなり異なるものです。とくにドイツでは、仏教は、本家のインド以上に自我主義的・生命主義的に理解されました。

 おそらくその背景には、ヨーロッパでの“生の哲学”の流行や、ニーチェの超人思想、科学におけるエネルギー一元論や進化論の盛行があると思います。

 たとえば、スリランカで仏教を修行して帰国後ベルリンに寺院を建てたパウル・ダールケの著書『仏教の世界観』(1912年)によると、

「『自我』は〔…〕世界を動かす『力』の顕現の場そのものであ」り、「究極の実在として、絶対化される」「自我において力が顕現する様は」「『燃焼過程』として」「『焔の比喩』によって説明される。」「『自我』は、〔…〕一生その力によって燃焼しつづけて、『自己を爆発させること』によって生き続ける」

秋枝美保『宮沢賢治の文学と思想』,2004,朝文社,pp.113,165-6.


 と述べられています。

 ヘッセの上の詩にも、自我の根源的エネルギーによって爆発的に燃え立つ生命のイメージ、白熱した自我の高揚が見られます。しかし、ヘッセはこの詩の最後のところで、こうした生命主義・自我主義に対して、「すりへって泡と消えるのがおまえの夢か?」と、強い疑問を投げかけてもいるのです。

 当時、ドイツ仏教思想の生命主義・自我主義は、日本の哲学界・仏教界にも“逆輸入”されて一世を風靡し、北原白秋、萩原朔太郎、室生犀星ら詩人たちの大正初年の作品にまで、熱狂的な生命主義の“讃仰”が見られます
(秋枝,op.cit.,p.183)。この流行は、“大正生命主義”と呼ばれます。

 しかし、こうした自我主義・生命主義の傾向は、ドイツでも日本でも、民族の“自我”昂揚と結びつき、ファナティックな国家主義を助長することとなりました。日本で、これをよく体現したのは、日蓮宗・田中智学の国粋的“日蓮主義運動”でした。

 もっとも、ドイツでは、第1次大戦の敗戦とともに反省が起こり、熱狂的な生命讃美は影をひそめますが、戦勝国になった日本では“対外出兵戦争を支える力”として、しばらく続くことになります。たとえば、昭和初年の大衆雑誌を見ると、中国戦線の日本軍兵士が、燃えさかる焔となって敵を“こらしめる”すがたを描いた漫画が目立っています。太平洋戦争時には「一億火の玉」という標語も唱えられましたね。

 こうしたことを思いめぐらしてみますと、ヘッセの上の詩(1918年9月:第1次大戦停戦直前)は、たいへんに興味深いのです。。。


 


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