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     王 子

 隣人はみな寝しずまり
 家々の窓はみな暗くなった夜半過ぎ
 まだ頬のほてりも冷めやらず
 眠れぬわたしは故国
(ふるさと)を喪(な)くした王子

 そこでわたしは深紅の夢を身にまとう:
 帯に冠、金銀細工
 金の縁どりをした裾が
 膝でさざめく王族の衣装

 いまわたしの心はぴんと伸び
 望みと憧れ、力強くまた青じろく、
 夜のしじまに声もなく現れるのは
 月に照らされた郷愁の国だ




 ヨーロッパの各地には、現在でもたくさんの古いお城が残っています。なにしろ石造りですから、老朽化して倒れたり、火事で焼けたりしない。何世紀でもそのまま建っています。ドイツの古城の多くは、今でも人が住んでいたり博物館やホテルになったりして、現役で使われているそうです。

 ところで、西洋のお城と言えば、ギザギザのついた城壁があって、高い塔が立っていて、周りにはお濠と跳ね橋‥、そんなイメージを描いてしまいますが、それはひとつの典型例にすぎません。じっさいには、さまざまな形の城があって、私たちには、これがお城?!‥ としか思えないようなものも少なくないのです。

 中学だったか高校だったか覚えていないのですが、国際文通をしてみようということになって、仲介の協会から紹介されたのが、チェコの男の高校生でした。チェコと言っても、町の名前は知らない地名で、学校の地図帳には出ていないので、チェコのどのへんだったのか、いまだに不明ですw

 その文通相手から絵葉書が来たことがありました。「ぼくの町の城だ」と書いてあります。絵葉書に印刷された説明はチェコ語とロシア語なので読めません。しかし、その写真を見ると、小高い丘の上に、こじんまりとした平屋の館が建っているだけで、およそぼくらが想像する“西洋のお城”というイメージのものはないのです。塔もなければ城壁もない。ふつうの建物と違う点は、ひらたい丘の上に立っているというだけです。

 返事には、日本のどこかの城の絵葉書を送ったと思います。どこの城だったか覚えていませんが、日本のお城はどこも同じようなお濠と石垣と天守閣で、ワンパターンだと思いました。

 文通はまもなく途絶えてしまいましたが、“城らしくない城”の絵葉書のことは、ずっと忘れられずに覚えていました。

 もちろんチェコにも、ふつうの‥、というかぼくらがイメージするような、上に尖った形のお城もちゃんとあります。たとえば、↓下の写真はプラハの「ヴィシェ・フラト(高い城)」です。





 しかし、国際文通から数年後だと思いますが、カフカの『城』という小説を読んでいたら、そこでテーマになっている「城」の見かけ↓が、かつて絵葉書で見たチェコの城とよく似ているなと思いました。

 カフカは死後70年以上たっていて、原文は著作権フリーなので、拙訳でお目にかけます。



 

「いまK.は、澄みきった空に、城がくっきりと立っているのを見上げた。薄く層をなして積もっている雪が、建物のあらゆる形をなぞって見せているので、なおさらはっきりと見ることができた。ちなみに、城山の上では、雪は、こちらの村の中よりもはるかに少ないようだった。K.は昨日にもまして、通りの雪の上を苦労して進んだ。〔…〕

 城は、ここから遠くに見えるようすでは、全体としてK.の予期したとおりだった。古い騎士砦でもなければ新しい豪壮建築でもなく、ただだらっと広がった建物の集まりで、それも3階建ては少なく、ほとんど背の低い家ばかりが、ぎっしりとかたまっていた。城だということを知らなければ、小さな町だと思うだろう。ひとつだけ塔が立っているのをK.は見とめたが、それは居館の一部なのか、教会の塔なのか、見分けられなかった。鴉の群れが塔を取り巻いていた。

 K.はまっすぐに城を見上げながら、さらに歩いて行った。ほかのものは目に映らなかった。しかし、近づくにつれ、城は彼をがっかりさせた。それはまったく見すぼらしい小さな町にすぎなかった。村の百姓家が集まって建っているだけのもので、ただみな石造りらしい点が目立っていた。とはいえ、上塗りの漆喰は、とうに剥げており、石も崩れ落ちそうだった。」

フランツ・カフカ『城』,第1章から(拙訳)

 

 

 

 漆喰が剥げたり、石組が崩れ落ちたりというところは絵葉書と違いますが、丘の上にあるふつうの建物、という点は似ていると思います。

 そういえば、カフカが住んでいたのはプラハだっけ。この小説はたぶん、チェコのそういう田舎町の城を題材にしているのだろうと、読んで思ったものです。


 ところで、ヘッセの詩に出てくる城は、どうでしょうか? ヘッセのほうは、城そのものをテーマにして書いているわけではないので、城の外見はあまり詳しく書いてありません。なので、よく分かりませんが、むしろドイツやフランスのふつうの城のイメージではないかと思います。ヘッセの例をひとつあげてみますが↓、城の高い塔の上部にある格子の入った窓から、幽閉されている人物が外を覗いているような設定です。





     再 会

 日はすでに姿を隠し
 青ざめた山の端に沈む
 暮色の庭に荒れた風が吹き
 樹々に被われた路と土手
 わたしはおまえを見とめ、おまえはわたしを見た、
 おまえはおまえの灰色の馬に騎
(の)
 ものしずかに、また壮麗に
 枯れ葉舞うなか城へと向って来る

 それは悲しい再会だった
 おまえは青ざめてゆっくりと去る
 わたしは高い格子窓に立ちつくし
 暗くなり、誰も一言も発しなかった





 ここでもやはり、作者ないし「わたし」と、「おまえ」と呼ばれている騎士との関係はBLだと思います。「わたし」が女性でも通用するとは思いません。この詩のふんいき‥、なんと言うか、枯草の黄色が混じった薄墨の、モノクロの情景がBLなのです。


 それはそうとして、カフカの“城”とヘッセの“城”を比べてみると、ほんとうに対照的ではないでしょうか?


 〇 ヘッセの“城”は、塔のあるふつうの城。しかし、カフカの“城”は、家がかたまっているだけの“城らしくない城”。

 〇 カフカの“城”は、遠くから眺めるだけで、決して主人公は“城”の中に入れないし、“城”にたどりつくことさえできない(そういう小説です)。しかし、ヘッセの主人公(ないしヘッセ自身)は、“城”の中から外を見ている。むしろ“城”に幽閉されていて、外に出られない。

 〇 カフカの主人公は、それほど執拗に、“城”にたどり着こうとしてあくせくするけれども、そのわりに、“城”の外見はとても見すぼらしくて、主人公をがっかりさせるほどひどい。しかし、ヘッセにとっての“城”は、いわば“失われたふるさと”であり、いつも憧れの対象として夢の中に現れる美しい存在。


 ……ほかにも、比べてみればいろいろと対照ができそうですが、それでは、そこから言える2人の作家の性格の違いは? ‥といったことになると、ギトンはドイツ文学の知識がなさすぎますので、このへんでやめておきたいと思いますw


 

 

 

 

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