今回は少し重たい内容になります。


皆さんは知覧ってご存知でしょうか?

大東亜戦争(太平洋戦争)の終盤、沖縄に上陸するアメリカ軍に対し日本軍が行った神風特攻の舞台となった場所です。


1036名

この数字は航空特攻作戦で出撃された人数で、この内439名が鹿児島県にある知覧飛行場から出撃されました。

知覧特攻平和会館には、特攻作戦に参加された方々の写真と手紙や遺書が保管展示されています。
航空特攻作戦とは、戦闘機に片道の燃料と250キロの爆弾を搭載し、敵艦艇に体当たりをする作戦で、17〜32歳の方々がこの作戦に参加し戦死いたしました。
手紙や遺書は家族や恋人宛てが多く、自分が居なくなった後の幸せを祈っている内容が多かったです。


北緯30度43分17秒
東経128度04分00秒
1945年4月7日坊ノ岬沖海戦で沈んだあの船が眠る座標です。
大和型戦艦 1番艦 艦名大和
排水量64,000トン
全長263m
最大幅38.9m
主砲46cm3連装砲搭 3基

写真は大和ミュージアムに展示されている1/10スケールの大和ですが、その大きさが伝わってきます。
当時の日本にとって象徴的な戦艦です。

大和の最後については諸説ありますが、沖縄を最終防衛線として出撃し、アメリカ航空機による攻撃を受け、対空兵器で応戦するも爆弾、魚雷を受け主砲を撃つこと無く撃沈しました。

この時の戦い方は対艦戦から戦闘機へ戦術が変化していく状況で、神風特攻でパイロット不足もあり、大和は戦闘機の護衛もあてに出来ない状況だったらしいです。

そして、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎へ原爆投下がされ、8月15日に玉音放送が流れ日本国民にポツダム宣言の受諾と日本の降伏が知らされ、大東亜戦争が終結しました。

そこからは復興と平和に向けて日本は進んで行くことになるのですが、戦争中にばら撒かれた機雷の撤去も必要不可欠となります。
大和ミュージアムの隣にある海上自衛隊呉資料館には、全世界が注目する日本の機雷除去について展示されています。
先にも言いましたが、戦争中に数多くの機雷がばら撒かれ、復興の為には航路の確保が必要不可欠となります。
そして機雷除去では78名の犠牲があり、今の安全を手に入れました。
また、自衛隊は海外でも機雷除去活動を行い、進化する機雷に対し日々研究を行っています。
資料館では退役した潜水艦あきしおの中に入ることが出来ます。
作戦行動に出ると、数カ月間この狭い艦内にこもるらしいです。
潜水艦乗りはその機密性もあり、家族にも行き先や作戦期間を教えないと聞いたことがあります。

また、呉の港には海自の基地があり、
現役潜水艦を見ることが出来ます。


私の祖父も海軍だったと聞いたことがありますが、祖父は戦争の事を語らない人でした。

先人の皆様が家族の為、恋人の為、国の未来の為に自らの命を散らせ今の平和な日本がある事は間違いないです。

今の時代でも戦争は無くなっていません。
日本が率先して戦争を行う事は絶対にあってはならない事で、先人達への冒涜と思いますが、今の世界情勢を踏まえ国防を考えると、現状の自衛隊の置かれている状態では本当に困難と思います。

先人達の想いとこれからの平和について、考える旅でした。🫡