身を捨ててこそ沈まぬ瀬もあれ | 大鶴義丹 不思議の毎日

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週末から数日間収録する番組に着る服を、友達がやっているブランドの店に「盗賊」しにいきました。


目的地の中目黒に、早く着いたので、食事をしようとしたら、車は停められないは、大体の店はお昼休みでぐちゃぐちゃ。


でもお腹も鳴っているので、その地域で車が停めやすく、雰囲気的に一番地味で空いていそうな中華料理屋さんに突入。


扉を開けると、店主は初老の御夫婦。


失礼ながら、まったく期待しないで、全くこだわり無く、ランチメニューのラーメン定食をオーダー。


お店には失礼で申し訳ないですが、イマイチな物が出てくると、内心思っていたかもしれません。燃料チャージ目的。


すると驚くくらいに丁寧な作りのあっさりとした、麺も固ゆでの、なかなか優秀な、モヤシ・ラーメンと、秀逸な餃子が三つが出てきました。


期待していなかったせいか、妙に嬉しくなり、小さなシアワセがお腹の中に。


ふと、西行法師の、「身を捨ててこそ沈まぬ瀬もあれ」という言葉思い出し、フフフと笑ってしまいました。


この言葉、逆説好きな私の、大好きなひとつで、たまに言葉にしてみます。


しょうも無い飯に例えては、西行法師さまに失礼ですが、少しだけ人生の奥義に触れたようなお昼ご飯でした。


そうそう、もっと気楽に行かなくては・・・・。


「最悪の渦の中に、最高への道筋が隠れている、心配はいらない」


私は経験からも、「身を捨てて~・・・・」を、こんな風に意訳しています。


言葉は人を傷つける機能もありますが、その反対も然り。


不思議な出会いのラーメンに満腹になり、落ち着いて店内を見回すと、そこには店主のお知り合いと思われる絵描さんが画いた店の絵などが飾ってあり、その店が地域に長く愛されていることがうかがえました。


・・・隠れた地元の名店だったようです。


人のシアワセなんて、不透明で、かつ不確定。


全ては意に沿わず、なかなか定まらないものですね・・・・。