紀元前98038年11月10日はデーモン小暮閣下のご発生日でございます。
閣下も10万61歳ですか・・・感慨深いですね。

私は小学5年生の時に、知り合いに影響され
聖飢魔Ⅱに魅了されました。

きっかけは、進研ゼミのCMが筋肉少女帯と聖飢魔Ⅱ。
筋少は「蜘蛛の糸」
聖飢魔Ⅱは「モザイクのラブメイズ」という曲。

これに完全にやられた。
私は人は人生を買えるほどの曲に障害で一度は出会うと
思っていて、私には「モザイクのラブメイズ」が
人生を大きく変えるきっかけの曲だった。

 

※「モザイクのラブメイズ」はカップリングの曲で、

シングルは「世界一の口づけを」でした

最近弾いてみました。

 

 


今と違って、昔は娯楽はゲームかサッカーと音楽で
当時街には、レンタルCD店がたくさんあったし、
中古のCD屋も、ふつうのCD店もたくさんあった。

皆、CDを買っていたし、小5の小遣いの中で
私も中古の小教典(シングルCD)や大教典(アルバム)を
買っては、馬鹿になったのかと思うほど、
すべてのパートがわかるほど聞きまくっていました。

そういう時代でした。

聖飢魔Ⅱが好きで、イカれているほどで
そのまま中学、高校、大学と1999年の解散まで
追い続けていました。

大学に入ったのは、バンドをするためにと言ってもいいほどで、
表向きは教員免許のためでしたが、実家を離れ好きにできることが
私の目的でした。

また、当時は就職氷河期で
免許なんかあっても正規教員になれないということで
教員免許の授業はすっ飛ばしました。

というのは言い訳で、
教育実習で髪を切らないといけないのが嫌だったというのも
大きな理由で私はギタリストまっしぐらで
将来なんか何も考えず、まあ何とかなるだろうと
卒業後もフリーターで気ままに生きていました。

音楽の趣味も変わり、成長していましたが、
私のベースには常に聖飢魔Ⅱがいました。

26歳の時に、20歳の若いスタジオミュージシャンに
「俺が●●さんの年齢だったら、音楽で今からプロになろうなんて
思わないっすよ~(笑)」
こういう感じで、飲み会の席で嘲笑されて
私も苦笑いしながら餓鬼の言うことだと思いつつ、

スタジオミュージシャンとして、金をもらっている若いガキと、
スタジオのアルバイトで、見果てぬ夢を見て
7年付き合った彼女を捨てる自分との差は
大きいなと感じ、それでも今さら会社員なんかと
強がって、完全にその日暮らしになった27歳

私はスタジオでの出会いから、アニソン歌手と親しくなり、
プロのステージでギターを弾く。しかもゼップ東京。

アニメと聖飢魔Ⅱは私をもう少しだけ奮起させてくれて
29歳の時に某歌手のバックでプロ活動開始

年間100本以上のライブとツアー
テレビ出演、フェスや外タレの前座など
多くの仕事を頂き、

その中で「聖飢魔Ⅱ公式トレビュートアルバム」に参加。
夢が向こうからやってきた瞬間でした。

 

 

それで終わりと思ったら、
聖飢魔Ⅱからミサへのご招待。
東京国際フォーラムで最前列。しかし、端っこだったので
逆に観にくい・・・でも感動した。

ライブ後に楽屋スペースに呼ばれて構成員を
間近で見るも話すタイミングがなく泣く泣く帰宅・・・

でも、そのあと私は
人生最悪の状況下で私はトラブルで酒浸り、
バックバンドもクビ寸前で沈む一方のなか
川崎チッタでのディオのトレビュートライブがありました。

そこに招待されライブを見るも、
もうアル中状態で、ウイスキー飲んで潰れて寝ていた。
終わった後に会場の人に起こされる始末で、
誰もいなくて終わってんな自分はと思っていたら

廊下で某歌手に会い
「おう、ちょっとこっちこいや」と呼ばれた先に閣下がいました。
搬入口のところで座ってタバコ吸っていました。

握手してくれ、私は
「モザイクのラブメイズでファンになりました」というと、
閣下は
「あれはハイパーメディアクリエイターの高城君が手掛けているんだよ」と
お言葉を頂き、それじゃあ。。と別れ

某歌手は「このあと打ち上げこいや」というんですが、
当時の私はもうそういうのに参加する余裕がないほどのトラブルで
断ったら怒っていました。

私はバンドをクビになり、サラリーマンになり
子を授かり家族がいます。
何とか生活もしているし、
音楽時代よりも豊かで文句はそんなにないけど
聖飢魔Ⅱは恋しいです。

だからまたギターをもって夢を見ます。
私はオンラインで音楽教室を開き、
もう一度閣下に会いたい。

 

 

 

ちょっとした自慢話

 

 

 

 

 

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