大学を卒業したとき、私は就職していませんでした。
その時は、超就職氷河期で、場所を選ばなかったらどこでもあったんでしょうが、
私は好きなこと以外を仕事にしたいと思わなかったので
大卒→フリーターという気ままな暮らしに入りました。
最初は新宿の楽器屋で、週6勤務の時給は700円でした。
給料は手渡しで、交通費込みで14万以下でした。
これが大卒初任給です。
好きな音楽に関われるということでしたが、
楽器屋なんて、ただの販売業なので
好きなギター以外のことも覚えないといけないのが苦痛でした。
当時の店長の河阪というおっさんが
パワハラは当たり前で人間として最下等でした。
こいつは、
元々喫茶店とかビンテージギターショップを自営していたけど
その人間性から、長続きせず、結果楽器屋の
雇われ店長でした。といってもただの社員です。しかもバツイチ。
売り上げが悪いのをバイトのせいにして怒鳴り散らして
恫喝したり、バックルームでオナニーしていたり
客の持ち込んだ修理のギターを店頭に並べて売ってしまうとか、
ギターを雑な置き方してひっくり返してネックを折るとか、
店員としても、何もかも最低でした。
さすがに、馬鹿らしいと感じて、三か月で辞め
次は鉄人化計画のサンビリヤードという遊戯場でバイトしました。
時給は850円で、深夜は1025円。
仕事はまあまあでしたが、ここの社員もろくでなしばかりで、
基本的に出勤してこないので、バイトだけで店を回す。
社員というのは、クズしかいないと学んだのは
この頃からです
小田急沿いの店舗の社員は、タイムカードを操作して
仕事には来なくて、運転免許の講習を受けに行っていました。
そいつがクビになると若い熊山という同い年がやってきて
偉そうにしてました。
こいつも仕事しませんでした。
実家住んでいるらしく、
小太りでダサいくせに、いい車に乗っていましたが
パワハラ野郎でクズでした。
あまりにもひどいので、私が辞めるときに
全店舗に一斉送信で、熊山の悪事をメールにまとめて
日報と同時に送信しておきました。
その後、エリアマネージャーからその件に関しての聞き取りが
ありましたが、こいつも上辺の誠実さだけでしたし、
一度、両替機の不足金が出たときに
バイト全員に不足金分を等分させて金を出させた
大谷という部長がいて、そいつもゴミでした。
基本的にワンオペなのに、休憩時間はきっちり引かれて
大変そうだから残業すると守銭奴と呼ばれましたね。
社員には人件費かかるからタイムカード切ってから働けと言われました。
嫌な会社でした。超ブラック企業です。
隣の駅前にはカラオケの鉄人がありましたが
設備も古く、客を馬鹿にしているので会社自体終わってます。
結局、1年半ほどバイトして次は世田谷の音楽スタジオでバイトしました。
ここは時給は850円で
深夜は割増時給になるのではなく、1日当たり500円支給されるだけでした。
大きな会社ですが、家族経営で、社長の息子2人が、
息子というだけで偉そうにしていましたが
環境は良かったので、5年ほどいました。
ある日、客が私の接客にクレームつけてきたんですが、
実は、私も悪いけどこいつらも利用客としては最悪で
ロックのくせに、女々しい泣き言みたいなクレームメールを送るから
本社が怒って私は、1週間の謹慎と店舗移動させられました。
私の言い分なんか聞いちゃくれなかったですね。
最終的に髪が長いから切れと
ハゲの今井というエリアマネージャーに言われたので
嫌だといって辞めました。
ハゲに髪のこと言われたのがむかついたんですが、
このハゲは、自分が仕事できないのに、周りがサポートするから
仕事ができると勘違いしてました。
ハゲはダンススクールの管理もしていたのに、ダンスレッスンの
店舗が変わるという大事な連絡事項をダンススクールの先生たちに言い忘れていて
(※言い忘れるようなことじゃない)
それでダンスの先生が数日前になって別の人に知らされたらしく、
そんな話聞いていない!と激怒して、
この会社のダンススクールはかなり有名だったので、社長も激怒、
ハゲの無能さが明るみになり、
ハゲは店舗勤務に降格になり、その後会社では、社長の息子たちに
無能扱いされているのに他に仕事できないので、
給料も下げられているのに頑張って居座っていて哀れでした。
会社に尽くしてきたのに、こんなになるなんて私だったらやめるけどね。
再スタート切れないアホでした。
それで私は、ハゲのせいで
無職になりましたがグレーな仕事をして食いつないでいました。
音楽業界界隈というのは怖い世界です。
マッドマックスに掲載されているような仕事は
結構紹介されました。
1回20万の運び屋みたいな仕事の話もあったし、
マンションに監禁されている女が逃げないように見張る仕事とか
そんなのばかりで、人生がヤバいほうに傾いていた時期でした。
ただ、私は育ちが良かったし小心者だったので
そういうやばい犯罪はしませんでしたので本当によかったです。
当時、私は音楽の仕事をしながら、
メインは、PC作業で時給は1000円。
そのうち、1300円になり最終的には、
月給基本30万で、歩合15万でしたが、
長くできる仕事じゃなかったし、
週6で一日12時間も仕事したら稼げて当然だし
私はすでにこんな仕事は嫌だと思っていた矢先に、系列会社が
警察に突入され解散。無事に無職になりました。
職場がガサ入れされる経験は過去にもありましたが、
その時は、同じフロアの別会社であったにもかかわらず、
一緒くたにされて6時間くらい軟禁され、指紋まで取られたのですが、
社長がきっちり不当だと弁護士と対応してくれました。
というか、社長が欲かいて変な連中と提携して事業をデカくしようと合併したら
犯罪者集団だったという、女社長が騙された可哀想な話でした。
ただ、私達の会社は無関係なのに、指紋を取られたのは屈辱的でした。
しかし、その系列会社の警官隊突入は、
ガサ入れなんて生優しいものではなく、
いまだに私は信じていないのですが、
SWATみたいなのが、屋上からロープで
下ってきて、7階の外から窓を蹴破って突入してきたと、
当時の担当弁護士から聞きました。
私はその少し前に、上司と嫌な感じになり
別の会社に履歴書なしで異動を喰らっていたので
まあ、事実上の首だったのですが、これで助かりました。
事なきを得ましたが、捜査終了までは生きた心地がしなかったです。
闇バイトとまではいかないまでも、
ガサ入れなんて、ふつうは 体験できないけど二度とごめんです。
そんなやばい経験をしながらも、
いまだにその世界でしか生きられない同僚もいて
可哀想だと思います。
若いときは、音楽の仕事の都合で髪を切りたくない気持ちが強く、
これは私の学生時代からのルサンチマン(怨念)であり、
中学でロックに目覚め、高校でロン毛にして学祭でバンドでも出来たら
そこで満足して終わって普通の就職していたと思いますけど、
髪の毛の関しての校則が厳しくて、
前髪は眉毛より上、サイドは耳にかからないようにという規則で
規則だけじゃなく、2か月に1度は学年別に生徒指導集会があり、
教員による頭髪検査で、ちょっとでも髪がのび過ぎていると
トイレでホモ教師にハサミで切られます。
酷いときは、前髪を2cmくらいに勝手に切られて
強制的に坊主にしないといけないくらいでした。
また、私は軽音部でしたが、顧問が意地悪で
急に私たちの世代は「放送で呼んだのに集まらなかったから」という理由で
退部にされてました。
田浦という国語の教員で、
昔生徒をレイプしたという噂がある
白髪のジジイでした。
だから学祭でバンドを披露できなかったし、髪も切られたし、
すべての青春がくそったれだったので
大学を卒業しても、誰かに命令されて髪を切るのが嫌で、
ロン毛でOKの仕事で、
スタジオや、楽器屋、ビリヤードとか、
グレーなバイトを選んで
ミュージシャンの道を選びましたが、
なったはいいけど、音楽の収入だけじゃ食えないので
音楽はサブにしてメインの仕事を見つけることにしました。
でも、今考えると、夢の外で
自分の理想に生きるというのは損しかないですね。
今は興味がない仕事だけど、超絶ホワイト職場で、休みも自由に取れるし、
有休もある、都内の平均年収以上なので給料も悪くない。
若いときは、やりたくないことはしたくないという気持ちが
強すぎて、髪の毛とか、自由とかを選んでいましたが
やりたくない仕事でも、良い環境で暮らしが楽になることのほうが
ベストだと思えなかったのも若さゆえの過ちでしょう。
他の人より20年分は回り道をしてきましたが
そういう経験ができたし、今がきっと
同級生の誰よりもいい環境だと思います。
わかったのは、常に先を考えて
仕事がなくなっても、困らないようなお金回りを
考えることこそが人生で大事なことだと学びました。
あと楽器屋のバイトの時には、59kgだったけど、
その10年後は私は106kgになっています(笑)
今は85kgまでダイエットしましたが、
年取ると太るし、痩せにくいというのは身をもって経験したし、
デブが社会で生きにくいのも経験した。
そして、ダイエットは一番楽の方法があって、
それをすれば、きちんと痩せるということもわかった。