不自由さは当事者にしかわからないもので、
私には、車いすの不便はわからないし、

 

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仮に、私が車いすになったら、
エレベーターのない駅の利用はしないだろうとか、
真っ先に考えますが、

 

それすらも、健常者の視点で考えることであり、
車いすの本当の不便や困りごとは見えないです。

 

車いすになったら、そんな場所に行かないという意見は
自分がすでにいろんな場所に言ったことがあるからこそ
言えることですし、

 

完全に車いすの人の立場にはなれないのです。

 

当事者でないから当然ですが、
そういう想像力の欠如というのは、
健常者の100%がそうだと思います。

 

どうしたらいいのかというと、
そういう人との話し合いの機会を沢山作ることだと思います。

 

講演会でもいいけど、もっとフレンドリーな関係を
個人個人で築かないことには、「親身になって考える」なんていうのは
理想もいいところです。

 

家族や、親せきに車いすの人がいると、
一般人よりも、理解はできると思います。

 

ただ、今の社会は、
障碍者に親切に、配慮することばかりに目を向けて
金を払って人を雇ったり、設備を整えることばかりに
しているので、肝心な「相手を理解すること」が抜け落ちています

 

お互いに意見を言い合って理解することが
お互いが住みやすい社会づくりへの一歩であると思いますけど、


そういう面倒なことは両者とも嫌いみたいなので

当事者の思いというのは置いてけぼりになり、


障碍者の意見は「わがまま」という見方をされ、
健常者には一生理解できない場所に行ってしまいます。

 

何かそういう交流を会社同士や
個人でマッチングしてくれるような
ところがあると良いなとは思うんですがね。

 

強制的にというと、義務感があり嫌な感じですけど、
イベント的に会社で交換留学的に行ったり
ボランティアという形ではなく、お話をする機会を
定期的に欲しいなって思いますよ。マジで。

 

私達は、お互いのことを知らないまま
配慮し続けていて、実態というのはわかりません。

 

伊是名さんみたいな人が出てきて発言すると
伊是名さんみたいな人のイメージが出来上がり、
発信力は大きいけど、印象は良くないことになります。

 

印象が悪い状態で、配慮だけ進むのは

当人はいいかもしれないですが、

多くの反発や偏見を産みます。

 

じゃあ、印象を良くするには、
コミュニケーションが必要なんだと思います。

 

私はああいう書き方している人を
文章だけで判断したら支援したいとは思わないからね。

 

私がきつい口調で、世相を記事にするのだって
他の人にとって見たら同じだと思う。

 

でも、話できたらちょっとは変わると思う。
むしろ、お互いに変われるんじゃないかと思う。

 

賛否なんて、良いか悪いかの話なんて
なんの進展もない。相手をねじ伏せるだけの議論になる。

 

生きにくさというのは、友達同士のように
会話しないと解決できないと思います

 

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