


にほんブログ村
駅から自宅までのルート上に、ダイエーがあります。
ダイエーの外には、喫煙所があり
禁煙前の数年間は帰宅のさいに
そこに立ち寄ることがルーティーンとなっていました。
いい年齢の大人が路上で歩きタバコというのは
いい加減みっともないと私が感じるようになるほど
世の中で、タバコが嫌われていました。
しかし、私は1日1箱喫煙していた20代の頃でも、
所かまわず吸うようなことはしなかったので、
歩きタバコするということは、
学歴や育ちに関係するのだろうと思って
歩きタバコを軽蔑していました。
また、歩きタバコなんかするから学歴も所得も低く、
きっとこいつらは選挙にも行かないだろうし、
口が臭い連中が多いのだろうと考えていて、
それは間違っていないんじゃないかと思います。
とにかく、ダイエーの喫煙所には、
仕事の日は確実に立ち寄っていました。
たとえ、100年通っても、
ここで出会った人と友人になったりしないだろうという
場所ですが、何年も通うと「知った顔」というのはできます。
それが「みっくん」の両親でした。
みっくんは、小学4年生くらいの
男の子で、快活そうな顔をしていましたし、
身なりも小奇麗でしたし、青っ洟たらしているような
不潔さはなかったです。
気になったのは、両親です。
50歳代くらいの顔に大きなほくろのあるおじさんと、
肝っ玉母さん風の40代後半の女性。
この両親は、夕方の19時くらいになると、
確実にダイエーの喫煙所にいて、
オヤジは、缶チュウハイのロング缶を飲みながら
歩きタバコで現れます。
最初、みっくんの爺さんかと思うほど
よぼよぼしていました。
みっくんも、同じ時間に現れるので、
共働きで、みっくんはそのあいだ学童保育か、児童デイサービスに
通っているのだと思います。
私の子ども時代は、18時に家族全員で
食卓を囲んでいたので、18時以降に家の外に子供がいることが
いまだに信じられないです。
すこしして、母親が登場し三人で帰ります。
みっくんがくるまで、両親はタバコを吸いながら
みっくんの学校の子どもや先生の話をしています。
声がでかいので、話が筒抜けです。
基本的に、仲のよさそうな夫婦、親子です。
一度、みっくんのお母さんが入院しました。
※声がでかいので、話が筒抜けです。
その日は、オヤジだけしかいませんでした。
もう夕方というか、夜でしたが、みっくんとベンチに座っていました。
みっくんは暗い顔をしてうつむいていました。
オヤジはロング缶を飲みながらタバコを吸い、
みっくんに話しかけます。
「おかあさんは、車の保険を払っていないのに運転していてお父さんは何度も注意したんだ。」
「さっき、カフェオレとパンを食べたから晩御飯はいいだろう?」
みっくんは、だまってうつむいています。
「おとうさんは、そうめんくらいしか作れないぞ」
母親が入院したのに、オヤジはみっくんに
前向きなことをひとつもいわないまま家に帰ろうと
促し、ゆっくりと喫煙所から離れていきました。
月日が過ぎたら、
また両親と、元気に駆け寄ってくるみっくんを
ダイエーの喫煙所で見かけました。
まとめ
この話をすると、子を持つ親は
「涙が出そうになる」といいます。
私も、その現場を見たとき、胸が痛みました。
育児をしてこなかった父親は
母が倒れたときに何もできない。
私の実家は、親が病気で入院することはなかったですけど、
母親が一度、親父に怒って何日か家出しました。
私はその時、大学生で県外に下宿していたので
実家ははっきりいって無関係でしたが、
下の兄弟は高校生だったりしたから
食事とか大変だったろうと思います。
その後すぐに、母さんは帰ってきたので、
別段、当時のことを詳しく聞くこともなかったですが、
その時、うちの親父は何かできたんだろうかと、
今になって考えてしまいました。
自分ひとりだったら酒でも飲んでいればいいけど、
子供がいると、三食食わせて、洗濯せねばなりません。
うちの親父は高給取りでしたが、家事や育児に
参加していることはほとんどなかったです。
親父は、母親がいなくなったときに
何ができるのかで、価値が決まるような気がします。
かっこいい親父というのは、
こういうときに、なんでもできて、
子どもに不安を与えないことが一番大事だと思います。
それと同時に、両親のうち、母親が死んだとき、
父親は一人で生きるのが辛いだろうなと思いました。
だから男は奥さんが先に死ぬと
追っかけるように死んでしまうんだろう。


にほんブログ村