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3/11東日本大震災がもう9年も前のことなんだと知り、
非常に感慨深い思いをしています。
今でも、被災地が更地状態であったり、
立ち入り禁止区域もあるのだと思います。
そして、家や家族を失った人の
心の傷も癒えないまま月日だけが過ぎているのだと思います。
この時代の唯一いいところというのは、
こういう情報が定期的にネット上で取り上げられ
SNSに投稿されたりすることで、風化することがないということです。
人は自分に無関係のことは、忘れられるという
性質がありますので、この地震をリアルタイムで
経験したことを忘れず、意識することが
何もできない私にできる支援の一つだと思います。
地震発生時は、渋谷の職場で仕事をしていて、
パソコンが倒れるほど大きく揺れました。
電気は止まらなかったので、
そのまま仕事をして、定時に上がり、
渋谷から新宿で働く彼女を迎えに歩き、
その後,小田急で半分くらいの彼女の家まで徒歩で
帰りました。家に着いたのは明け方頃でした。
次の日は、交通機関が麻痺する中で
出勤するというブラック企業で仕事していたし、
金のためにそうせざろうえなかった。
東京で生活する中で、私には
震災の影響は特別ありませんでした。
せいぜい電車が止まるくらいで
トイレットペーパーも売っていたし、
今回のコロナウイルス騒動よりも、
都内や神奈川は落ち着いていました。
本当に落ち着いていたかは
覚えていないです。コンビニに水や食べ物は
何日もなかったけど、
今みたいに買占めや転売はなかったと思う。
私は、当時バックバンドで、全国をツアーしていて、
東北での公演はいくつか中止になり、
仙台のライブハウスでは、地元バンドへの救援物資の
呼びかけをしたりしていました。
ツアーは中止されることなく、
私たちバンドは公演後に募金箱を持ち、
ツアー終了後に、アーティストが救援物資を
そのお金で購入し、被災地に送っていました。
ミュージシャンごときに何ができるかと、
自問しながらライブの日々は
ツアーとともに終わりました。
結局私ができたのは、
わずかな寄付と、地震のことを忘れないだけでした。
そして、自分ができることは、
「忘れないこと」だなと思いました。
忘れられないくらいに、
悲しいことですが、亡くなった人や、
苦しんでいる人にできることは、
いまだに、東北では放射能の問題もあるし、
廃棄物の処理問題もある。
復興支援金を狙った
仲介業者や、胡散臭いNPOの連中
どんな場所にもクズがいて、
金のために復興を遅らせている。
そういうことも含めて、
いつでも、誰かが、この震災のことを
SNSで取り上げてほしい。
9年で、転売ビジネスみたいな
乞食の仕事が主流になったということが
時の流れを感じさせます。
恥ずかしいことを、
「生活するため」という大義名分に置き換えて、
いまや普通の仕事のようにやっている人が多いですが、
人の親だったら絶対に恥ずかしくてできないこと。
物乞い以下の恥ずかしい仕事だよ。


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