別の仕事で同じ生活をしていましたが1年後に都内のリハーサルスタジオに
アルバイトで入社しました。

 

じつは、ビリヤードの仕事をやめて、ゲームのデバックという楽そうで地位の低い仕事の
面接に受かっていたのですが、不思議なことにその面接で合格を貰った帰り道。

携帯で彼女にバイトを受かった話をして歩道橋をあがる途中、
ズボンの後ろポケットに入れていた、次回の予定とか必要書類の紙を
全部風で飛ばしてなくしてしまいました。

 

とんでもなく風が強い日でしたが、まさかズボンのなかの紙まで飛ばすとは
思わなかったし、なぜかカバンを持たずに手ぶらで面接だったし、
5分で戻れる距離だったけど、もう一回行く気になれず、
その場で、ゲームデバックのバイトの電話番号を着信拒否しました。

 

それで、焦って音楽業界の求人情報を調べていたらたまたま、
目にとまり、応募したのがスタジオのバイトでした。

 

面接のときは自分の住んでいる沿線上の店舗を希望しましたが、
なぜか3路線つかって渋谷方面のリハスタで勤務の指示がありましたが、
それが人生の転機でした。それから5年お世話になりました。

 

 リハスタは時給850円で、深夜は1日プラス500円(時間毎ではない)。
ここもまた悪徳企業でした。というか、音楽関係の仕事は全部そんなもの
だということが後々分かってきます。

 

ライブハウスも音楽教室も末端のバイトははした金で働かせられます。
それは「好きなことでお金もらえるんだったらいいだろ」という経営者の理屈です。

 確かに、私はリハスタで仕事している間とても楽しかったし、
幸せでした。お金には困りましたがなんとか生活できましたし、
同じ夢をもつ仲間がいましたし、23歳でしたし、なによりも若かった。


まだなんでもできると思っていました。私の人生の二度目の青春でした。

リハスタでの仕事は私には初めてのことばかりでとても興奮しました。
楽器屋は、ギターメーカーや種類とかには詳しくなりましたが、
リハスタでの仕事はミキサー関係、レコーディング関係、
使用機材、修理方法など、また音楽業界には特に詳しくなりました。

 

自分の選択したことに無駄なことはないと常に思っていましたが、
スタジオでの時間は本当に私の人生の糧となりました。

そのスタジオは、アマチュアバンドだけじゃなく、
プロのスタジオミュージシャンやテレビに出ているようなバンド、
テレビ収録、お笑い芸人など、いろんな人がきました。

そして、いろんな人と話をしました。

 

23歳になっても、私は将来の具体的な目標や夢なんかが思い浮かびませんでした。
なんとなく、バンドをして音楽していれたらいいなくらいにしか考えていませんでした。

25歳のとき、当時付き合っていた女性に喫茶店に呼び出された私は
「結婚について考えてほしい」といわれました。


ひどい話ですが、私はそんな結婚みたいなつまんないことは
いつでもできる思っていましたし、誰かの意見で
自分の人生が変わることがすごく嫌でした。

 

もっともっとギターを弾いていたかったのですが、
女性に対しての愛というよりも、長く付き合った「情」があったし、
そのときは「あと、2年待ってほしい」とだけ伝えてその場をしのぎ、
音楽について、将来について、すこしだけ真剣に考えるようになりました。

 

ぶっちゃけ、こういう本は一時期マジで読みあさって、話をする練習とか話術を勉強した。