三ヶ月で楽器屋をクビになり、次はもう電車に乗ってバイトに行きたくないと心に決め、1年ほど「鉄人化計画」という超ブラック会社のビリヤード部門の支店でバイトしましたが、東南アジア級に最低でした。楽器屋よりは給料はいいですが、昇給がない。休憩時間がシフトにないのに、休憩時間は引かれる、そのことを社員に言うと「守銭奴」呼ばわりされる。
|
社員がクズばかり。これは2000年以降の話です。今でもこの会社は存在しますがカラオケという一時期調子に乗っていた事業がこの先、この時代を乗り切れるのかすごく興味があります。
とくに、ズルこいてバイトからカネを巻き上げた、ヤンキーチンピラ上がりの当時統括マネージャーの大谷が今でもこの会社にしがみついているのかも知りたいです。当時デブだったからもう死んでいるかもしれません。死んでいて欲しいです。
学生街のど真ん中なので、中身はわいわいしていて楽しげでしたが、社員のクソ加減はけっこう強烈でした。今でも覚えています。まず、最初の社員がタンジさんという、学歴コンプレックス丸出しのパワハラ野郎でした。何もないくせに自分に自信があってけっこう関わると面倒な男。こいつは仕事中に車の免許を取りに教習所に出かけるので、店にはほとんどいなかったのが幸いでしたが、大学生のバイトはコイツに絡まれていて、意味不明の説教をくらっていました。
私も、そのターゲットになりかけましたがタンジさんは教習所に通っていたのでほとんど会うことはなかったです。会うときはそいつがタイムカードを分解して
何日か分をまとめて出勤したことにして打刻しているときくらいでした。
|
私は当時から「何もないやつ」に自分の悪口を言われても悔しくないのです。覚えている限り、中学時代の隣の席の色白でテンパの荒川って頭のいいオカマが見下してくるのとおばさん教師の嫉妬(実家がすごい金持ちだと思われていやな目に会った)には純粋にムカつきましたが、しかし社会に出ると、学歴を除外したら、周辺にたいした人間なんかいないので他人への感情はとくにありませんでした。
タンジさんは、バイトに入って2.3日の私に「夢は何だ」と聞きましたが、あいにく私はそういう話を親しくもない他人としたくないのではぐらかしていたら、それに気がついてキレ出して、その年齢で音楽やって夢見ているなんてしょうもないとを言い出し、おれは音楽をやっていたけど尾崎豊を見てかなわないと思ってやめたといいました。
すごく優秀な兄がいて早死にしたから高校に行かなかった(確実に嘘)と、バックルームのギター(ZO-3)を弾きながらペラペラ喋っていたけど、そのギターが中学生みたいな習いたてくらいの実力だったのでがっかりました。私をいい年して夢見てるバカみたいなこと言ったおっさんは尾崎を夢見ていたとか言うくせに超ギターへた。というか、初心者レベル。
そして、タンジさんはただのバカと判明したので視界から外れました。というか前述のとおり仕事サボって免許を取りにいっていたので会いませんでした。その5年後に私はプロギタリストになったのでタンジさんは努力を知らないアホとして私の思い出になっています。でも、タンジさんはこの店が地域密着していかないとつぶれることをちゃんと分かっている人で、本社のアホは改装とかダーツを入れるとか、ドリンクバーを入れるとか、見ているところがまるでバカで無能ぞろい。
数字しか見ていないから潰しちゃうんだよ。無能な本社の人間が、ふつうの人間らしく結婚して家族を養っているなんてさ、どれだけ普通っていうのが愚鈍で胡散臭くて、みっともないか。何も生み出さず、しょうもないカラオケ会社の社員がバイトに偉そうにして、店を潰してるのに給料もらってるなんて、水物商売のサラリーマンなんてラクちんだなって今でも思っています。っていうかバブル
私のブログは悪口が多くて、本当に大人として駄目だと思いますけど(笑)でも、当時もこうやってイラついて、何かがふつふつと煮えていた感じがありました。プロギタリスト以外にも、何かになるために必要なのは、怨念(=パワー)です。今に見てろよという生霊が私の夢と戦う原動力でした。お金なんていうのは、この時代バイトでも何でもしていれば一人が適当に食うなんて難しいことじゃない。アパート借りて、光熱費払ってご飯食べるだけだったらいつだっててきる。
夢をつかむのって言うのは、ただの暮らしの先にあることだとおもうんですよ。だから平凡な暮らしの中にこういう憎悪があることで、夢を意識して普通じゃなくいられると思っています。普通というのは、サラリーマンになって他人のことをなにも考えなくなることです。挨拶できないとか、人に謝れないとか、サラリーマンの9割ができないこと。できないままで子育てしている人もいる。
つづく
|