ギターもピアノも、自分の意志でこうなりたいという
気持ちがないと続くものではないです。
私が中学の時に一緒にギターを始めた友達たちは
きっと今もギターを弾いていると思います。
高校の同級生がギターをやりたいと
街の楽器屋までギターを買いに行くのを手伝いましたが
彼らは3か月も持ちませんでした。
子供の時に、親に習い事として
無理にピアノのレッスンに通わされた経験のある人は
分かるかと思いますが
練習というのが子供には苦痛で仕方がないけど
それを言語化して親に伝えるすべがない
簡単にいうと「面倒くさい」だけなんですが
じゃあ、漫画やテレビやゲームはどうかというと
平気で何時間もできるのに
ピアノの練習だと10分もしんどいのは
具体的な「ピアノを続けた先にある未来像」が見えないからであり
親が範を示せないのもダメな理由の一つでしょう。
自分だって、面倒くさくって続けられないものを
子供に命令して、できないから怒り、辞めてしまえとまくしたて
子供の方からあべこべにごめんなさいと言わせるんだから
練習嫌いになるのも当たり前で、勉強が嫌いなのも
こういうのが続かない原因だと思う。
楽器を続けるには
目的と達成感と報酬がないと子供も大人も
上手いこといかない
手前味噌ですが、私は小4~中2くらいまで
近所のおばさんの家にピアノを習いに行っていた。
きちんとしたピアノ教室ではなく、
普通の家庭にアップライトがあって、
適当なアニメソングとか知っている曲の楽譜を
その家の本棚から選んで「これやりたい」と言ったら
おばさんが弾いてくれて、それをまねして20~30分弾いて終わり
理論も基礎練習もなく、ただただピアノに触れて
興味がある曲を弾いて終わりだった
発表会もなかったし、練習も自宅でしなかったし
練習しないことを怒られることもなく、
たまに家の電子ピアノで弾いていたら
親が聞いていたとかそのくらい
学校で片手間に習った「天空の城ラピュタ」の曲を弾いていたら
クラスのもっと上手な女の子が私の弾いているバージョンよりも
もっと上手に弾いて、悔しいというか恥ずかしい気持ちになったのを
今も覚えている
それでもっと練習したわけでもなく
私のテンポでピアノを弾いていて、ビートルズのライブ映像を見て
レットイットビーやヘイジュードを弾きたくなって
小遣いでピアノ譜を買ったりして
かなりの自己満足のために誰に言われるまでもなく
ピアノを弾いていた
高校から完全にギターになり、ピアノを弾くことはなかったけど
たまにバンドスコアにあるピアノパートでかっこいいものがあると
どうしても弾きたくなって頑張っていたもんだけど
その原動力って、家にゲーム機がなかったし
今みたいにネットもスマホもないし
漫画とビデオとエロ本くらいしか楽しみがない
1990年代だったからこそ
私の興味やかっこいいと感じたことを
アウトプットするのがピアノだったりギターであったのだと思う。
当時はCDが売れまくっていて、中古CD屋が至る所にあり
数百円でCD買って聞くのも娯楽だったし
音楽を楽しむ余裕がある良い時代だった
こうなりたいという明確な目標はなかったけど
ピアノを弾けたらかっこいいというのは理解していて
それがギターに代わり
私はプロになり、役所の書類の職業の項目に「ギタリスト」と書いて
興奮したのを覚えている
今は子供にピアノを習わせているが
どうもきちんとした教室で課題を出されて
できないと叱られたりしているのを見ると胸が痛む
音楽はもっと自由で自発的なものなんだろうけど
小学生でその意味が分かるにはまだ時間がかかるし
家にはゲームもネットも漫画もあるから
やっぱそういう楽な方に流されて練習嫌いになるのは
無理もない話なんだけど
そういう時こそ範を示さなくてはと
思うんだけど、本人のスイッチが入る何か
きっかけがないと難しいなーと思いながら
子供の好きなスプラトゥーンのCDを探したら
5000円もして、買おうか迷っています。
私は小学生の時にテレビのCMで聖飢魔Ⅱが出ていたの
衝撃を受け後にギターに目覚めたけど
そういう経験をさせてあげたいと思うし
それは意図的に衝撃を起こすことだって
できるんじゃないかと思っている。
ギターを好きになる取り組み方法はあるんだけど
本人の気持ちも大事だし、先生のアプローチも大事
私にはそれができるのではないかなと
思っております。