12月17日から27日まで、池袋のシアターKASSAIで上演いたしました、vol.25『ボブジャックの少し早い年忘れの宴!』が無事に閉幕いたしました!たくさんのご観劇、ご視聴、ご声援ありがとうございました!

 

「目を閉じておいでよ」キャスト

 

「ボブオムニバス」キャスト

 

 

コロナ禍の中、無事に開催できるのか?開催すべきなのか?、、、迷った時期もありましたが、今のような少しどんよりした世の中で、少しでも楽しい気持ちや温かい気持ちになるために「演劇」を観たい!というお客様が少しでもいるなら、我々演劇人は発信をすべきだと腹を決め、上演することに決めました。もちろん、安全・安心して観ていただける環境を整えた上で。6番シードさんを始め、交流させて頂いている劇団さんたちが、しっかりと上演を続けられていることも励みになりました。まだ完全に安心できるのは公演終了後もう少し経ってからになりますが、ひとまずは誰一人欠けることなく千秋楽まで辿り着けたことでほっとしております。

ご来場いただいたお客様にも、感染症対策のために色々とご協力いただきました。皆様、快く受け入れてくださり、本当に感謝の言葉しかありません。普段ボブジャックの公演では日替わり前説をやることが多いのですが、今回は感染症対策のことなど説明することも多く、また責任者として私がしっかり説明させていただきたく思い、私が全前説を担当しました。初日の前説、皆様が「うんうん」としっかり頷きながら私の前説を聞いてくださり、その段階で涙が出そうになりました。心強さというか、暖かさというか…。「この公演はなんとしても成功(安全・安心という観点でも)させなければならない」とより一層心に誓いました。今までも「観ていただけるお客様あっての我々」ということを常に意識はしておりましたが、そのことをさらに痛感した公演にもなりました。これからもさらに精進して、皆様に楽しんで笑って感動していただける作品作りに取り組んでいきたいと思います。

 

さて、今回の公演内容のお話に移りたいと思います。

以前から「全く違う内容の2作品を同時上演したい!」と考えていましたが、いや〜…、大変でした汗。大変な大きな理由としては、その2公演のキャストがほぼが同じだったということ。しかも、作品もキャラも全然違う。演出の私も当然大変でしたが、両作品に出演していたキャスト陣が大苦戦しておりました。他にも苦戦していた理由は色々あるのですが、まあ、そこまで面白くない裏話なのでここでは割愛しておきます。兎にも角にも、なんとかやり切ってくれたキャスト陣には感謝の気持ちしかありません。無茶な企画立ててごめんねっ。そして、全部で4作品(うち1作品は執筆済み、1作品は改訂)を書いた脚本の守山も大変だったと思います。無茶な要求を受けてくれてありがとう。

 

それぞれのキャラクターや稽古中裏話などはキャスト陣について書く時にやりますが、全体的なお話としては、まず今回のセットについての裏話をしましょう。

今回のセット、当然稽古が始まる前にセットは決めないと稽古にならないので事前に決めたのですが、その段階では、すでにあった「唯一度だけ」、そして改訂版の「東京サタデーナイト」しか脚本がなかったのです(東京サタデーもなかったのですが、元の大阪ベイブルースはあったので)。なので作品をやる上で必要なものなどは一部しかわからない状態でした。唯一度だけではテーブルがいるとかカフェのカウンターがいるとか、その程度。「ラブレター」は一枚もなかったし、「目を閉じておいでよ」は数ページしかありませんでした。いずれにせよ、今回は4作品やる予定だったので、具象(具体的なセット、部屋とか駅とか)にはできないことは決まっていたのですが、とにかく空間を決める決め手がない状態でした。割り切って素舞台というのも考えたのですが、それだと味気ないし、4作品だから、そりゃ〜素舞台が妥当だよね〜、というのがなんか嫌だったんです。まず思いついたのが、舞台上に色々と「枠」を作ることでした。枠を出したり引っ込めたりすることで場の雰囲気が変わる、枠を様々な用途で使う、以前からそういうセットで舞台作りしてみたいというのもあったので、今回がその時なんじゃないか?と思い、枠をテーマにしたセットにしてもらうようにしました。であればと、美術さんと相談して、舞台上にあるものは全て「枠」で構成しましょうとなりました。椅子に使われていた台やカウンターや墓石に使われていた棚っぽいもの、テーブル、色々なところに仕掛けられていた間接照明、それら全てを「枠」でデザインしてもらいました。美術さんのセンスにも助けられ、シンプルだけど味のあるセットになったなと思っています。そして最終的に施した床の「クロス」。これは「目を閉じておいでよ」の最初の数ページを読んだ時に「今回の作品、人生交差点」みたいな作品になりそうだなという印象を受けたので、舞台上に大きく交差点を作ってもらいました。予想通り、今までのボブジャック史上でもトップクラスの人生交差点の脚本がその後上がってきました。これは自分でもファインプレーだったなと思っています。あとは、自由度の高いセットをどう使っていくか…、稽古しながらパズルをしているような感覚にもなり非常に楽しかったです。

 

ではまず「目を閉じておいでよ」について書いていきたいと思います。ここから先はネタバレ要素も含みますので、まだ作品をご覧になっておらず、ネタバレは嫌だった!という方はご注意ください。

 

この作品、脚本が完成した時に「守山、またとんでもない脚本を書いてきやがったな…」というのが、最初の印象でした。特に大きなロジックもなく、わかりやすくワクワクするような展開でもなく、大きな事件も起きない(既に起きた後の話なので)。でも、確実に面白く素晴らしい脚本。ただ、この面白さを伝えるのはなかなかに難しいぞと。特に前半。基本、みんなの日常が淡々と描かれているだけ。もちろん後半に向けての豆まきはされてはいるのですが。しかも、各チームがほぼ均等に描かれており、そのため、エピソードがどうしても飛び飛びになる(まあ、その中でもメインの麦子たちのターンは数も多かったのですが)。しかし、全てのシーンをしっかり紡いでいかないと後半の感動にはつながらない。そういう脚本だなと。各チームのエピソードは前半ではあまり交わらないし。かといって、ハイテンポでグイグイ引っ張っていくストーリーでもない(困ったときのハイテンポが使えない)。さて、どうしたものかと。これは自分の演出家としての力量が試される脚本だなと。

 

色々と仕掛けはあるのですが、まずは冒頭の事故のシーン。脚本にはないシーンですね。最初の暗転が開けると、微笑む女性が立っている。そこに大きな事故の音。倒れる女性。ゆっくりと立ち上がり、あたりを見渡す女性の目には既に光がなくなっている…。このシーンを足すことで、前半の前半はしばらくお客様を引き込めるのではないかと。もちろん、彼女の身に起きたことに立ち会ってもらいたかったというのもありました。後、暗くなりすぎないように、前半はネタも入れたり。また、各エピソードが飛び飛びになるので、一個一個のシーンの出力というか輪郭を、少し強めに出るように演じてもらったりとかとか。後半は、様々なことが起きていくので特に問題はなかったのですが、前半は色々と気を遣ってプランを立てました。

そんな前半を作っていく上で何気に大変だったのが、麦子が盲目という設定。ここでいうのは、演者的な目線ではなく演出的目線のお話です。何が大変か?早く動けないということです。具体的に言うと早くハケられない。実は大半のシーンというのはセリフでシーンとしては終わっていることが多く、次のシーンにいく時に、その前のシーンにいた人たちが舞台上を去っていく姿には、あまり意味がないこといが多い。もちろん、去る姿に意味がある場合もありますが、毎回毎回、去るシーンに意味なんてあるわけありません。色々な場所やチームのエピソードに切り替わっていく群像劇では、このシーンの切り替えがとても重要。この切り替え部分を疎かにすると、作品としてどうしても締まりがなくなってしまうのです。特に私演出の作品では、さっさとハケさせることが多く、なるべく次のシーンとの間に余白を作らないようにします。そのために、走ってハケたり、さっとハケられるように最後にセリフを足すことも多々あります。しかし、麦子にはそれが使えない。かといって、毎回麦子の最後のセリフをなるべくハケ口近くで言わせるというのも変。ということで、ここは発想の転換。今回は逆に、各シーンの最後に次のシーンを前倒しで持ってくることにしました。まあ、いわゆるクロスフェード転換というやつですね。これを麦子が絡んでいないシーンでも使うことで、全体になじませ、麦子のハケに時間がかかるという部分を隠し、かつ、関係のないシーンたちが、さも交わっているかのような効果を持たせることにしました。前のシーンの人たちがまだいる段階で、次のシーンの頭のSEをフェードで入れたり、舞台上でシーンとシーンが重なる部分を多めに作りました。そうすることで更に「人生交差点」感も出せるんじゃないかと。この辺りのタイミングはデリケートで、早すぎると前のシーンを壊してしまうし、遅すぎるとキレがなくなる。ちょうどいいタイミングを狙わないといけません。なので、今回は音響さんや照明さんに、次のシーンへ切り替わるきっかけを細かく狙ってもらいました。「このキャラが振り返った瞬間」「一歩踏み出そうとした瞬間」「舞台の真ん中を越える瞬間」などなど。本当にテクニカルチームには頭が上がりません。

 

後、悩ましかったのが「麦子が見える瞬間」の演出ですね。麦子は失明しているものの「死に近い人」が見えるという設定。台本には(違和感)とだけ書かれている(あれ?今、麦子、見えてなかった?という違和感)。この違和感、一番怖かったのが、「あっ、あの役者さん、今、思わず目が見えてる人の動きしちゃったな」と役者側のミスと捉えられてしまわないかということでした。そのためには演出的にはっきりと意図的に「違和感」を示さないといけない。しかし、やりすぎるとネタバレしてしまう。この塩梅が難しかった。なので、明らかに違和感があるシーンを一つだけ入れました。音も照明も使って。1つだけでも印象的に描くことの方が大事なのかなという計算もありました。そして…、ここから少しややこしい話になります。これ、逆説的にいうと、実はこの違和感を感じる部分以外の麦子の目線の方が難しいことになるのです。麦子は目が見えていないので、基本、周りの人と正対して会話しません。リアルは少し違う部分もあるのですが、わかりやすく「正対しない」というルールを作りました。しかし、真夏のことは常に見えているのです。だからと言って、真夏にだけは常に正対するのでは、さすがに違和感すぎます。麦子は「見たくない」から、意識的な動きでは敢えて真夏の方を見ない、正対しないというのは成立します。しかし、意識的ではなく「反応」で真夏に対応したり話しかけたりするシーンでは、絶対に真夏の方を見てしまうはずなんです。人間ですから、反応の動きまで自分で支配することはできません。ここを嘘ついて、それでも真夏の方を見ないようにするのは、明らかに「ウソ」になるのです。後々の伏線になる「違和感」を守ために、他のシーンでは嘘をついて良いのか?…、まあ、その辺りは演出家さんによるかもしれませんが、私はあまりそういう嘘は好きではありません。この手の嘘は、見ている人を「騙す」ための嘘になるからです。役者に不必要な嘘をつかせたくありませんしね。この辺りは麦子役の森岡悠ちゃんと共通認識を持つことにしました。反応だからといって顔をガン見してしまうと、さすがにバレる。なので脚本にある「死に近い人がぼんやり見える」というのは、本当にぼんやりとシルエットが見える程度ということにして、その人がいる辺りに思わず正対してしまうが、目線は顔じゃなくて、首に行ったり頭に行ったりする。はっきりとは見えていないので。そうすると、見ている人にはたまたま方向が一致したぐらいの印象しか与えず、そこに引っかかり「違和感」を憶えないはず。なので、前半の方でも、実は麦子は真夏に思わず反応して正対してたりします。真夏以外にはほぼ正対していません。ちなみに、麦子が真夏の姿が見えるようになる瞬間はOPアクト前の、寄りかかられてからという設定です。まあ、そんな難しい設定、よくぞこなしてくれましたよ、森岡悠ちゃんは!

 

い、いかん、すごく長くなってしまった。本当はもっと沢山、演出的裏話はあるのですが、とりあえず今日はこの辺りで。というわけで、ちょっとした裏話でした。次回は「目を閉じておいでよ」を彩ってくれたキャスト陣について書こうと思います。